第六話 誓い
婚礼当日の朝。
冬の冷たい空気に包まれた王都の大聖堂は、祝いの日とは思えないほど張り詰めていた。
本来であれば王族の婚礼には国内外から貴族が集い、聖堂を埋め尽くすはずだった。けれど現実として、長椅子には空席が目立つ。
流行病を理由に欠席した者。
あるいは、この婚礼そのものを忌避した者。
参列者も口々に不吉な噂を囁き合う。
ーー西の森の怪物がやってくるぞ。
通常の婚礼では考えられないほど多くの騎士が大聖堂の警備を固めていて、およそ結婚式とは思えないほど物々しい。これから決闘でも始まるのかしら。
あきらかに祝福ではない、誰もが恐怖に備えるための警戒心を剥き出しの中、わたしは父王に連れ添われて祭壇の前へ進む。
最前列に座る王妃や兄はこちらを一瞥すらしない。姉たちに至っては、わたしのドレスを羨ましげに見つめていた。ーー式が終わったら途端、ドレスを剥ぎ取られそうなほど欲望に満ちた目で。
祭壇の前にはわたしと神父様のふたり。旦那様となる魔法使いはまだ現れない。
ひそひそ声がさざなみのように広がる。
「魔法使いはどこだ?」
「ああ、恐ろしい……早く帰りたいわ」
早く帰りたいーーその意見には、わたしも完全に同意する。窮屈なドレスも靴もしがらみも脱ぎ捨てて、さっさと自由になりたい。もっとも、わたしが帰るのはもう離宮ではないし、魔法使いがわたしに自由を与えるかは分からないけど。
でも、わたしは鴉の言葉を信じてみようと思ったの。
わたしとの婚姻が魔法使いの呪いを解く鍵なら、わたしにだって彼に要求する権利があるはず。それなら身の安全と衣食住の保証を求めてもバチは当たらない……よね?
ざわめく周囲をよそに、そんな打算的な思案に耽っていたら、大聖堂の重厚な扉が音を立てて開いた。雑音がピタリと止む。誰もが息を呑んで扉を見つめている。
「……ルーク?」
冬の淡い陽射しの中、立っていたのは黒い軍服を着た見覚えのある騎士だった。
真っ直ぐ祭壇に歩み寄る彼に、虚を突かれて反応の遅れた騎士たちが一斉に剣を向ける。
「止まれ、何者だ!」
年嵩の騎士が声を張り上げる。真紅と金を基調とした見栄えのする制服は、王宮配備の近衛騎士団のものだ。最前列に座る王族と、その後列に座る高位貴族たちを護るように紅い制服を着た団員らが動く。
「邪魔だ」
ルークが軽くーーさながら羽虫を追い払う仕草で右手を振ると、目に見えない衝撃に弾かれるように、行手を阻んでいた騎士たちの身体が一斉に宙を舞い、石壁へ叩きつけられる。
一瞬の静寂の後、あちこちで悲鳴が上がった。
「黙れ」
今度は空を握り潰すように、振り上げた右手を閉じる。すると、悲鳴が止んだ。
声を奪われたのだと分かる。なぜならわたしも経験済みだからだ。
その間、ルークはひとときも祭壇から目を逸さなかった。分厚い前髪の向こうから、じっとわたしを見つめているのを感じる。
彼の姿が、一歩進むごとに変化していく。
短く切り揃えられていた黒髪が、さらりと音もなく背中まで流れ落ちる。
両目を覆っていた前髪は左右に流れ、柘榴石を思わせる赤い瞳がわたしを射抜く。
護衛騎士の黒衣が白銀に溶け、純白のローブに変わる。
金糸銀糸をふんだんに使い、古き故国の祝いの紋様を全体に刺した、わたしと対になる豪奢な婚礼衣装。
あれが、西の魔法使い。
わたしの伴侶となる『怪物』ーー
「マディナイ」
鮮やかな変化に見惚れていたら、いつの間にか魔法使いが目の前に立っていた。冷たく美しい相貌に感情の色はない。でも、恐ろしくはなかった。
「我が名はイール=ルーク=アルヴァン。あなたを迎えに来た」
そうして、白い手袋をはめた右手を差し出す。
「どうか私の妻に」
その手を見下ろして、わたしは内心、不思議でたまらなかった。なぜって、結婚は決定事項なのだから、わたしにはこの手を取る選択しか残されていないのだ。それなのに、こんな風にプロポーズされるなんてーー
彼は、わたしが自らの意思でこの手を取ることを望んでいるのだろうか。
悪名高い魔法使いなら、結婚式なんてまどろっこしいこともせず、さっさと攫っちゃえばいいのに。
戸惑うわたしに、魔法使いは言った。
「あらゆる占いの結果が、今日この時に、この場所であなたを妻に迎えることが最良の運命であると示していた」
「な、なるほど……?」
いったい何が『なるほど』なのかは聞かないでほしい。
鴉の言う通り、彼の主は相当な変わり者のようだわ。
「マディナイ」
ルーク……いや、イールが少し身を屈めてわたしに顔を近づける。艶のある黒髪が一房、肩から滑り落ちた。
「約束しよう。私の持てる限りの力で、あなたを幸福にすると」
顔面が良すぎて圧が強い。
あまりの迫力に情けない声が漏れそうになるのを堪えて、わたしは真正面から赤い瞳を見つめ返した。
眩しくて目が焼かれそう。
でも、視線を逸らせない。
どんなに素敵なキラキラ美男子が相手でも、『君こそ占いで出た運命の伴侶だ!』なんて言われたら普通に警戒するし、絶対お断りだと、そう思っていたのにーー
「……謹んで、お受けいたします」
気付けば彼の右手に自分の手を重ねて、わたしはプロポーズを受けていた。
これは手強い。
この顔の良さは反則だ。
恋なんて知らないわたしだけれどーーいいえ、知らないからこそ、こんな美丈夫に真摯に迫られたらコロリと行くしかないじゃない。
魔法使いがわたしの手を握り返し、ほんの少し口角を上げた。笑った、と言えなくもない。この距離にいたわたしでなきゃ見逃しちゃうくらいわずかな微笑み。でも、破壊力はなかなかのものだった。
心臓が保たない。
コロリと逝きそう。
ーーもはや、言い訳のしようもない。
諦めて天を仰ぐわたしを、イールは不思議そうに見下ろす。
どこかであの生意気な鴉が、チョロすぎるわたしを小馬鹿にして笑っている気がした。
でも仕方ないじゃない?
だって、あんな言葉を向けられたのは、生まれて初めてだったのだから。
幸福をくれると言う彼の言葉は、どんな愛の囁きよりもずっと誠実に聞こえてしまったんだもの。




