第四話 綻び
秋も日に日に深まり、庭木が赤や黄色に色づき始める頃、モーリスおじいさんの姿を見かけなくなった。
花壇の土を掘り返していたマキアスに尋ねると、体調を崩して寝込んでいるとのことだった。
「ここ最近で一気に冷え込みましたからね。年寄りにはキツかったんスよ」
そろそろじいちゃんも引退かな〜、なんて軽口を言うものだから、わたしはクスリと笑う。
「モーリスおじいさんに聞かれたら大目玉よ。年寄り扱いするなって」
「間違いなく拳骨が飛んできますね」
からりと笑いながら、マキアスが土に何かを撒いていく。
「それは何?」
「ああ、栄養剤っスね。どうにも土に元気がないもんだから、じいちゃんに教わりながら配合してみたんスけど」
「この前も、そのようなことを言ってたわね」
そうですね、と頷いて、彼はしゃがんだまま空を見上げた。なんとなくわたしもそれに倣う。広がる秋空は、冬の訪れを感じさせる薄い青だ。
静けさを孕む空を眺めていると、ふと違和感を覚えた。ーーなんだろう。よく分からないけど、何かが妙と感じる。
「今年は鳥が少ないですね」
「あ……」
その一言で、胸につかえていた違和感がストンと落ちた。
毎年、庭園には小鳥が木の実を食べにたくさん訪れていたのに、今年はほとんど見かけない。
静かすぎるのだ。
「……どうして」
答える声はない。ただ、一陣の風が吹いた。
ざわざわと木々の葉を揺らし、サザンカの花びらを攫うそれは、土と花の香りを含んで庭園を渡っていく。
何故だろう、胸騒ぎがする。
なにか取り返しのつかないことが起こるような、不吉な予感が足元にまとわりついて離れない。
「姫様、お髪が」
サッと侍女が側に寄る。その後ろで、黒髪の騎士が空を見上げていた。
風に乱れた前髪。
その隙間から覗く瞳は、鮮やかな赤色をしていた。
◆
あれから何度か枯れ井戸に通ったが、嵐が去ったあの日以降、鴉には会えていない。
忙しいのかしら?と考えて、鴉が忙しいって何よとすぐに否定する。
でも西の魔法使いの使い魔なのだから、あれこれと用事を言いつけられて飛び回っているのかもしれない。
クッキーを齧りながら、窓の外を眺める。
ひとりで過ごすティータイムはとても退屈で、生意気な鴉でもいいから話し相手になって欲しかった。
それに、ひとりになるとやっぱり色々と考えて気分が落ち込んでしまう。
モーリスおじいさんは、まだ伏せっているようだ。庭園の草木は心なしか萎れているし、土や葉に虫はおらず、空に小鳥は少ない。
厨房に出入りする食材の卸売業者に話を聞いたら、マキアスの言う通り今年は麦や野菜の育ちが悪く、値が高騰しているとのことだった。
「西の魔法使いの呪いだ、なんて喧伝するやつもいますがね。そう言う連中は、だいたい悪いことが起こると何かしらのせいにするもんです」
業者の男性は呆れたように笑って言った。
「こんな年もありますよ」
確かに、豊作の年があるなら不作の年があってもおかしくない。でも不作になるなら、やはりそれ相応の理由があるはずだ。
冷害、水不足、天候不良……いずれも当てはまらない。不穏な足音だけが、ひたひたと確かに忍び寄る薄気味悪さ。
ーーカツン
クッキーを片手に思案に耽っていると、何かを叩く音で現実に引き戻された。
何かしらと顔をあげて、窓硝子を嘴で叩く鴉と目が合う。
「まあ」
窓を開けてあげると、さも当然と言った態度で部屋に飛び込んだ鴉が、ソファの手すりにちょこんと止まった。
その太々しさに思わず笑ってしまう。
「あなたに会いたいと思っていたところなのよ」
鴉はわたしを一瞥したあと、無言のままテーブルに飛び移った。どうやらクッキーをご所望のようだ。
皿にいくつか取って、食べやすいように細かく割ってあげる。
「召し上がれ」
「悪いな」
クッキーを嘴で摘み、パクパクと食べていく。見る間に減っていくので、よっぽどお腹が空いていたのかしらと目を丸くするわたしに気付いた彼は、少し気まずそうに顔を背けた。
「主の命で、周辺の村や町を回っていた」
「そう、大変だったのね」
「主は鴉使いが荒い」
ため息をつかんばかりに疲れ果てた様子の鴉を見て、悪魔のような納期で働かされているマダム・デボラと職人たちを思い出した。ーーあれから音沙汰ないけど、生きてるかしら。
「やっと観念したか」
「え?」
空腹が満たされたのか、人心地ついた様子の鴉が言う。
「ここから逃げ出す計画は諦めたのだろう? まあ、端から無駄なことではあったがな」
鴉め、一言多いのよ。
「……だって、言ったじゃない。魔法使いは、わたしを害さないのでしょう?」
「ああ。主は一度懐に入れた相手には甘い男だ」
「うーん、一気に嘘くさく思えてきた」
今、まさに目の前に、クタクタになるまで働かされた鴉がいるのだ。説得力がまるでない。
わたしが胡乱な視線を投げると、彼は己の失言を取り繕うように、「今は非常事態だから仕方ない」と言い訳をした。
「とにかく、さっさと婚礼をあげて、こんなところからは一刻も早く去ることだな」
「こんなところって」
まあ、確かに『こんなところ』ではあるけども、一応は生家なもので。
古びた寂しい離宮でも、それなりに思い出はあるよの。
「安心しろ。そなたの婚礼は無事に執り行われる」
確信めいた口振りに、「それも占いの結果?」と尋ねれば、鴉は鷹揚に頷いた。
「主が良き日を占った。何も問題はない」
「なるほど」
魔法使いの言う「最良の日」に合わせるため、わたしのウェディングドレスは今この瞬間も、寝る間を惜しんで縫われているのだ。
マダム、なんと言うとばっちり。
「なにも問題ない。主の占いは決して外れぬ。そなたは冬の日の朝、この国で一番豪華な婚礼衣装を着て教会に立ち、伴侶となる主はーー主の呪いは、その日ようやく絶たれるのだ」
ーー呪い。
「……あなたの主は、呪われているのね」
やっぱり、と言う気持ちで呟く。不思議と心は凪いでいた。
呪われた身であればこそ、醜い化け物だのという酷い噂が流れたのだろう。完全なでたらめではなく、根も葉もあったと言うことだ。
「さよう。しかし、主の呪いは大昔、主が自らにかけたものだ。かけたはいいが解き方が分からぬと、今日まで放置されてきた」
「えっ」
まさかのセルフ。
なんだか思ってたのと違ったわ。
てっきり、悪い魔女とか魔物とかに呪われてしまったのかと思ったのに、自分でかけた魔法が解けなくなっただけってーーそれは世に言う、『ドジっ子』と言うやつなのでは……
「そなたが何を言いたいかは分かる」
鴉がとても遠い目をしている。みなまで言うなと小さな背中が語るので、気の毒だから口に出して言うのはやめておいた。
「ーー念のための確認だけど、わたしとの結婚が呪いを解く鍵になる、で合ってる?」
「そうだ」
「責任重大ぃ……」
結婚前から見ず知らずの他人の人生を背負わされてしまった。
これが《運命の伴侶》とやらの責任なのね。
重たすぎて地面にめり込みそうよ。
◇◇◇
深夜、静寂に満たされた庭園に、漆黒のローブを身に纏う男の姿があった。フードを目深にかぶり、闇夜に溶け込む様は、さながら亡霊のようである。気の弱い者が見れば、驚きのあまり心臓が止まるだろう。
男は枯れ井戸の前で立ち止まり、かたわらの楡の木を見上げた。
「報告を」
主の命令に、鴉は低い声で答える。
「芳しくないな。どこも似たような状況だ。草木は枯れ、命は育たず、水は死に始めている。ただし人間たちは、まだ深刻に捉えてはいない。一部の人間は、『西の魔法使いの呪いだ』と声高に触れ回っているが」
「いつもの事だな」
凶事の責任をなすり付けられるのには慣れている。当然全く身に覚えはないが、今に始まったことではないので、鴉の主人ーー西の森の魔法使いは軽く受け流した。
各地の不作と異常事態の報告は、国王の耳にも届いているはずだ。ひとつひとつは取るに足らない事象だとしても、長く続けば国家を蝕む癌になる。有能な為政者であれば、状況を正しく把握しようと迅速に動くだろう。
だが、彼らは不作の理由を探ることもせず、有識者の意見をまともに取り合わないどころか、「西の魔法使いが末姫欲しさに、国中に厄災をもたらしている」と言う市井の噂に便乗し、「国民を守るため、大切な末姫を魔法使いに捧げる」などと、絶妙に真実を織り交ぜた嘘を密かに流布してプロパガンダに走る始末だ。
日々の生活に不安と不満を抱える民は、扇情的な話題に飛びつき、瞬く間に噂は王都を駆け巡った。
やがて『出所不明の噂話』は、行商人や旅人を介して郊外の街や近隣の村々、果ては国中に伝わり、今では末姫の結婚は、『西の森の主への生贄』として共通認識されている。
悪い話ほど伝播が早い。まさしく病のようだと魔法使いは思う。そこに怒りや悲しみはなく、ただ無感情に、人とはそう言うものだと受け止めている。
「そう言えば姫は最初から、自分が生贄であると思い込んでいたな」
「……俺は正しく、末姫を妻に欲しいと国王に伝えたはずだ。望み通り金も渡した」
眉ひとつ動かさず、解せぬと語る魔法使いに、「そう言うところだと思う」と鴉は呆れた。「とにかく主は印象が悪すぎる」
マディナイとの婚姻を申し出た時、魔法使いは「どんな望みもひとつだけ叶えてやる」と約束し、欲深い王は彼に金品を求めた。
「本当にそれが望みか」
「金があれば民は飢えぬ。国の役に立てるのだから、あの子も本望だろう」
「……承知した」
魔法使いは約束通り金銀財宝を与え、国王は喜んで娘を差し出した。これは正当な話し合いの結果であり、決して生贄などではない。
魔法使いは離宮を振り返り、マディナイの部屋の窓をじっと見つめた。フードを下ろすと、長い黒髪が一房、はらりと白い額に垂れ落ちる。
彼女を得るために渡した金は、民に還元されることなく、王族の贅沢に浪費されている。婚礼のための支度金として魔法使いが上乗せした金さえも、彼らは貪欲に吸い尽くしている。
それらを知っても、魔法使いの心は微塵も動じなかった。
ただ、静かに受け入れる。ーーやはり占いの通りであった、と。




