第三話 仮縫い
嵐が去った翌日、今度は鴉によってわたしの心中に暴風が吹き荒んだが、その風はいまだ凪ぐことはなかった。
生贄として食べられる可能性は格段に下がったけれど、違う意味で西の森の主が危険人物であると判明したからだ。
占いで『運命の伴侶』と出たから求婚しましたとは、これ如何に。
例えば相手が、若くて美しい他国の王子であったなら、この心象も変わるのだろうか? 醜いと噂の怪物だから、一層気味が悪く感じるのかもしれない。
架空のキラキラ美男子王子を脳内で作り出したわたしは、彼に『君こそ占いで出た、僕の運命の伴侶だ!』と跪いてプロポーズされる想像をしてみたが、やっぱり普通に無理だった。どう頑張っても、『まあ、嬉しい!』とはならないのだ。むしろ、かなり胡散臭い。
嫁いだ先で何をされるのか想像もつかない。
晴れやな空とは正反対の憂鬱な気持ちで庭を散策していると、サザンカのそばで何やら難しい顔をして話し合っている庭師の姿を見つけた。
「こんにちわ、モーリスおじいさん。マキアスも」
「おお、姫様。ごきげんいかがですかな」
モーリスおじいさんはベテラン庭師で、家族に冷遇されているわたしのことも「姫様」と呼んで親切に接してくれる、数少ない使用人だ。彼の孫息子であるマキアスも、見習い庭師として頑張っている。
「二人とも難しい顔で、どうしたの?」
「それが、どうにも今年は花の付きが悪いって爺さんと話してたところだったんスよ」
マキアスが剪定鋏を片手に言う。言われてみれば、毎年この時期にサザンカはもっと花を付けていたはずだ。
「どうやら根が元気を失くしてるようですな」
「先日の嵐のせいかしら?」
「うーん、どうスかねえ。なんだか土もおかしい気がするんだけどなぁ……」
歯切れ悪く唸るマキアスの隣で、モーリスおじいさんが腕を組む。
「長年この庭を見てきましたが、こんなことは初めてですな。どうも、今年は麦や野菜の育ちも悪いようで……」
「まあ、そうなの?」
名ばかりの王族であるわたしには、情けない話、そう言った市政の実情は入ってこない。
モーリスおじいさんが珍しく暗い表情を浮かべるのを見て、漠然とした不安が胸に広がった。
「ところで姫さんは、また抜け道探しですか?」
「ちょっと!」
気を取り直したマキアスが、あまりに軽々しくトップシークレットを口にするので、わたしは慌てて「シーっ!」と人差し指を立てた。
今年で十六歳になるマキアスは、歳が近いこともあって話しやすく、この王宮でわたしが信頼している数少ない人物でもある。だからついつい気が緩んで、脱出計画のことをポロリとしてしまってもやむなしなのである。
「……どこもかしこも塞がれているわ。前はあんなに隙だらけだったくせに……」
ついつい恨み節を口にするわたしを、マキアスは気の毒そうに見つめる。わたしの嫁ぎ先が西の魔法使いであることは、王宮の者なら誰もが知っている。彼は、化け物と呼ばれる相手に嫁ぐわたしに同情的だった。
そんなマキアスに、声を大にして伝えたい。
わたしの結婚相手は、生涯の伴侶を占いで決めちゃうような、乙女的思考回路の持ち主なのだと。
化け物と呼ばれる男が、大きな図体を丸めてチマチマと花びらをむしる姿を想像したら、ほんのり笑えるような、底抜けにホラーのような……
「姫様」
若いメイドが一人、スッとそばに立って恭しく頭を下げる。
「ミセス・デボラがお越しです。お戻りを」
「……分かったわ」
ミセス・デボラは王都で人気のデザイナーだ。彼女にはウェディングドレスの制作を依頼している。娘への支度金を懐にナイナイするようなゲス父王が、人気すぎて三年待ちと言われる一流デザイナーに大金を積んで依頼をかけたと聞いた時は耳を疑ったが、どうやら西の魔法使いの指示だったらしい。
一体どんな依頼状を受け取ったのか、初めて採寸に来た時のデボラ夫人は気の毒なほど顔色が悪かった。
応接室に行き、夫人と挨拶を交わしたのち、義務的に仮縫いのドレスを試着し、サイズを微調整し、デザイン案を詰めていく。
デザインについては魔法使いから細かい指示があったそうだが、ある程度わたしの希望も取り入れてくれるらしい。とは言え、別に希望などないので「よしなに」としか言えない。ドレスに興味もないし、センスもないわたしが口を出すより、プロにお任せするに限る。
ドレスは、光沢のある純白のシルクを基調に、レースとフリルを幾重にも重ねた愛らしいデザインだった。全体に金糸銀糸で繊細な刺繍が施される予定のそれは、あとひと月足らずで完成するとはとても思えない。なんというタイトスケジュール。夫人の顔色は、初対面の時とは別の意味で青白かった。王都中の職人をかき集めても納期に間に合うかどうか……それは蒼白にもなるわね。
それにしても、これまで姉たちのお下がりばかり着せられていたわたしが、初めて自分のために仕立てるドレスがウェディングドレスだなんて、皮肉なものだわ。
鏡に映る、仮縫いドレスを着た自分の姿に複雑な感情が生まれる。
嬉しい、と手放しで言える状況ではないけれど、嬉しくないとも言えない。
それでは、と慌ただしく夫人が帰っていくのを見送ったあと、自室に戻ったわたしは侍女を下がらせた。ドアの両脇を固める護衛をうんざりした気分で見上げると、例の黒髪の騎士が「何か」と短く尋ねてきた。
「なんでもないわ」
慌ててごまかして、部屋の扉を閉めた。彼らもお仕事だものね、責めるのは筋違いよ。嫌そうな顔をしてしまって申し訳ないわ。
ひとりになると、座面の生地が毛羽立つ古ぼけたソファに腰を下ろし、ぼんやり考える。
「結婚ねぇ……」
仮縫いのドレスまで着ておいて、どうしてもまだ実感が湧かない。
この城に未練などないし、西の主も、以前ほど恐ろしいとは思わなくなっていた。鴉の言葉を信じるなら、かの魔法使いはわたしを害する気はないと言う。
彼に嫁いだら、ここよりはマシな人生が待っているのだろうか。
結婚式まで、あとひと月を切っていた。




