1 女神さまでも更年期障害になるんですね……
基本的に毎日朝7時の更新です。
20話前後で完結予定。
確か私は、病院のベッドで息を引き取ったはずだった。
だけど気づけば、真っ白な場所にいた。
天国、というには妙に生活感がある。
白い床。
白い柱。
白いカーテン。
そして中央には、豪奢な玉座――ではなく、なぜか長椅子。
そこに、お肌が疲れ髪も乱れた絶世の美女がぐったりと横たわっていた。
「暑い……」
開口一番、それだった。
長い銀髪を乱暴にかき上げ、女はうちわのように手に持った書類で自分を扇いでいる。肌は汗ばんでいて、額には玉の汗。薄い法衣は乱れ、周囲では小さな火花がぱちぱち散っていた。
……なんだろう。
死後の世界にしては、妙に見覚えのある光景だ。
そして確かにこの白い部屋の中、めっちゃ暑い。
「ちょ、ちょっと待って。なんで冷房がないのここ」
思わず口をついて出た。
女がぎろりとこちらを見る。
「冷房とは何です」
「部屋の中を涼しくするやつ」
「そのようなものはありません!」
逆ギレされた。
ああ、うん。
なんかもう、分かる。
五十八年生きた女の勘が告げていた。
これ、絶対つらいやつだ。
すごく、経験してきたやつで間違いない。
「……もしかして、急に顔や手や足が暑くなったりします?」
「します!」
「眠れない?」
「眠れません!」
「意味もなくイライラしたり」
「しますが!?」
「動悸とか」
「します!!」
「急に泣きたくなったり」
「……………………します」
沈黙した。
美女は、はっとしたように口元を押さえる。
「な、なぜ分かるのです……?」
「それ、全部更年期障害」
「こうねん……き……?」
知らない単語だったらしい。
女は呆然としていた。
「え、知らないの?」
「わ、私は女神ですよ!?更年期とは何ですか!?」
「女神でも更年期障害あるんだ……」
「私が、更年期……神になって5000年ですが初めて聞いた言葉です」
「長命だから、更年期障害も長いのかもしれないわね……」
思わずしみじみ呟いてしまった。
だってそうだろう。
神様なら、そういうの超越してそうじゃないか。
だが女神は半泣きだった。
「最近ずっと神力が暴走していて……!火山は噴くし雷は落ちるし、地上の神官どもも天界の神官どもも『神威が増しておられる……!』とか言うし!」
「違う違う、そういうときはちゃんと休まないと」
「休めません!地上からの祈りの処理が!」
「あー……」
これはブラック企業だ。
女神にだけ仕事が集中したパターンだ。
神界にもブラック案件があるのか。
私は深いため息をついた。
生前、私はごく普通の会社員だった。
特別な能力なんてない。
定年を前にして、病気になり、入院治療中に命を落とした。
そして、40代後半から更年期障害だけは嫌というほど経験した。
汗は止まらない。
眠れない。
理由もなく不安になる。
体のあちこちが無駄に熱くなり、イライラする。
昨日まで平気だったことが急につらくなる。
病院へ行き、漢方を試し、食事を見直し、どうにかこうにかどうしようもない不調と折り合いをつけて、仕事をしながら生きてきた。
だから分かる。
今この女神に必要なのは、神秘でも奇跡でもない。
「とりあえず水分補給。常温の水でね」
「み、水……?」
「あと首冷やす。横になって。話はそれから」
「え、あ、はい」
女神、素直だった。
私は周囲を見回した。
するとテーブルの上に、水差しと布が出現した。
「便利ね」
「神界ですので……」
「そこは便利なんだ」
布を水で濡らし、女神の首筋に当てる。
「ひゃっ!?」
「我慢して。熱くなってるところを冷やすのが大事だから」
「はい……」
妙に従順である。
思わず苦笑した。
絶世の美女だろうが女神だろうが、つらい時はつらいのだ。
うん、すごくわかる。しんどいよね……。
「ちゃんとごはん食べてる?」
「最近は祈りの処理が忙しくて、あまり……」
「駄目。寝不足と空腹は症状が悪化する」
「悪化……」
「あと、一人で抱え込まない」
女神はぱちぱちと瞬いた。
それから、小さく呟く。
「皆、私を崇めます」
「そりゃ女神だし」
「ですが……誰も、つらいでしょうとは言ってくれませんでした」
私は一瞬だけ黙った。
ああ。
なんだ。
この人、ずっと我慢してたんだ。
我慢しすぎて、自分が我慢してることに無頓着になってたんだね。
「つらいよねぇ、更年期」
その瞬間。
ぼろぼろと、女神の目から涙が落ちた。
「つらいですぅ……!」
その声と同時にすぐ近くに雷が落ちた。すさまじい音だった。
「泣くと雷が落ちるの!?」
「最近情緒が不安定でぇ……!」
「分かる分かる」
私は泣き出した女神の背中をぽんぽん叩いた。
死後の世界で何やってるんだろう、私。
でもまあ。
泣きたい時は、泣けばいいのだ。
五十八年生きて、それくらいは知っていた。
私は、ひとしきり泣いた女神にテーブルの上に現れた白湯を飲ませながら、深々とため息をついた。
欲しいものが現れるテーブル、なんて便利。
「とにかく、今すぐ全部を一人でやろうとするのやめなさい」
「ですが、祈りは日に何十万件も……」
「知らないわよ。部下増やしなさい」
「神官どもは使えません!」
「ブラックに使い潰される中間管理職の台詞なのよそれ」
女神はぐっと言葉に詰まった。
図星らしい。
「あと、睡眠」
「はい……」
「食事」
「はい……」
「無理な時は休む」
「…………努力します」
「努力じゃなく休むの。神様だって休まないと」
私がぴしゃりと言うと、女神はしゅんと肩を落とした。
その姿は、神々しいというより完全に疲れ切った働く女性である。
神様も大変なんだなぁ、と妙にしみじみした。
するとその時、不意に女神が顔を上げた。
「……落ち着きました」
「そりゃよかった」
「貴女のおかげです」
「いや、水と白湯飲ませて体を冷やしただけ」
「それを誰もしてくれなかったのです。そして、自分でもどうしていいのか分からなかったのです」
女神は静かに笑った。
先ほどまでの余裕のない顔とは違う。
少しだけ柔らかい。
「永井結子」
不意に名前を呼ばれ、私は瞬いた。
「はい?」
「貴女は優しい人ですね」
「そんな大層なもんじゃないわよ。私も苦しんだ症状だから分かるだけ」
「いいえ」
女神はゆっくりと身を起こした。
乱れていた銀髪が、さらりと背中に流れる。
周囲に散っていた火花も、いつの間にか収まっていた。
やっと神様っぽくなったな、と思った。
「貴女は、自分も苦しかったからこそ、人の苦しみを見つけられる」
女神の金色の瞳が、真っ直ぐ私を見る。
「ですがその知識は、あの世界にはありません」
「あの世界?」
「これから貴女が向かう世界です」
ああ、やっぱりそういう流れか。
私は白い天井を見上げた。
「異世界転生?」
「はい」
「テンプレねぇ」
「てんぷれ?」
「こっちの話」
女神は小首を傾げたが、すぐに真面目な顔へ戻った。
「かの世界では、老いによる不調は呪いと恐れられています」
「うわ、面倒」
「王侯貴族ですら苦しんでいます」
「婦人科ないの?」
「ふじん……?」
「ないのね」
駄目だこりゃ。
思わず額を押さえた。
いやでも、異世界ならそうか。
医学だって発達していないだろうし。
「貴女の知識は、きっと多くの者を救います」
「買いかぶりすぎよ。私、ただの会社員だったんだけど」
「それでもです」
女神はそっと微笑む。
「誰かにつらいですねと言える人は、案外少ないのですよ」
その言葉に、少しだけ黙った。
五十八年。
良いことばかりじゃなかった。
仕事。
家族。
老い。
更年期。
病気。
しんどいことは山ほどあった。
でも。
だからこそ分かる痛みも、確かにある。
「……まあ、できる範囲なら」
「ありがとうございます!」
ぱっと女神の顔が明るくなる。
さっきまで泣いていたとは思えない切り替えの早さだ。
「では、貴女に加護を授けます!」
「そんな大層なのいらないんだけど」
「安心してください!私の加護は実用性重視です!」
「嫌な予感しかしない」
女神は胸を張った。
「常に枕がちょうどいい高さになります!」
「地味に嬉しい!」
「お茶が常に適温です!」
「ありがたい!」
「あと肩こり軽減!腰痛もなし、関節痛もなしです!一生!」
「最高!」
思わず拍手した。
なんだこの生活特化型加護。
絶妙に欲しい。
「では、参ります」
女神が両手を重ねる。
白い空間に、柔らかな光が満ちていく。
「貴女の新たな名は、ユイ」
「そのままなのね」
「覚えやすいでしょう?」
「まあねぇ」
光が、私の身体を包み込む。
意識がふわりと浮いた。
その時。
「ユイ」
女神が、静かに言った。
「覚えておいてください」
金色の瞳が優しく細められる。
「私は、貴女の味方です。私の名は女神カルーシャ。私の名前を呼べば、私は貴女に応えます」
その言葉は、不思議なくらい温かかった。
「……分かった。カルーシャ、じゃあ時々、あなたが不調になってないか確認させてもらうわね」
「はい。努力します」
「ありがとう、味方だと言ってくれて」
五十八年生きてきた中で。
そんな風に、まっすぐ味方だと言ってくれた人は、案外少なかった気がする。
だから結子――いや、ユイとなる私は少しだけ笑った。
次の瞬間、世界が白く弾けた。




