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五十路転生 ―ホットフラッシュは魔法では治りません―  作者: ねねこ


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1/2

1 女神さまでも更年期障害になるんですね……

基本的に毎日朝7時の更新です。

20話前後で完結予定。

 確か私は、病院のベッドで息を引き取ったはずだった。

 だけど気づけば、真っ白な場所にいた。

 

 天国、というには妙に生活感がある。

 白い床。

 白い柱。

 白いカーテン。

 

 そして中央には、豪奢な玉座――ではなく、なぜか長椅子。

 そこに、お肌が疲れ髪も乱れた絶世の美女がぐったりと横たわっていた。

 

「暑い……」

 

 開口一番、それだった。

 長い銀髪を乱暴にかき上げ、女はうちわのように手に持った書類で自分を扇いでいる。肌は汗ばんでいて、額には玉の汗。薄い法衣は乱れ、周囲では小さな火花がぱちぱち散っていた。

 

 ……なんだろう。

 

 死後の世界にしては、妙に見覚えのある光景だ。

 そして確かにこの白い部屋の中、めっちゃ暑い。


「ちょ、ちょっと待って。なんで冷房がないのここ」

 思わず口をついて出た。

 女がぎろりとこちらを見る。

「冷房とは何です」

「部屋の中を涼しくするやつ」

「そのようなものはありません!」

 

 逆ギレされた。

 ああ、うん。

 なんかもう、分かる。

 五十八年生きた女の勘が告げていた。

 

 これ、絶対つらいやつだ。

 すごく、経験してきたやつで間違いない。


「……もしかして、急に顔や手や足が暑くなったりします?」

「します!」

「眠れない?」

「眠れません!」

「意味もなくイライラしたり」

「しますが!?」

「動悸とか」

「します!!」

「急に泣きたくなったり」

「……………………します」

 

 沈黙した。

 美女は、はっとしたように口元を押さえる。


「な、なぜ分かるのです……?」

「それ、全部更年期障害」

「こうねん……き……?」

 知らない単語だったらしい。

 女は呆然としていた。

「え、知らないの?」

「わ、私は女神ですよ!?更年期とは何ですか!?」

「女神でも更年期障害あるんだ……」

「私が、更年期……神になって5000年ですが初めて聞いた言葉です」

「長命だから、更年期障害も長いのかもしれないわね……」

 思わずしみじみ呟いてしまった。

 だってそうだろう。

 神様なら、そういうの超越してそうじゃないか。

 だが女神は半泣きだった。

「最近ずっと神力が暴走していて……!火山は噴くし雷は落ちるし、地上の神官どもも天界の神官どもも『神威が増しておられる……!』とか言うし!」

「違う違う、そういうときはちゃんと休まないと」

「休めません!地上からの祈りの処理が!」

「あー……」

 

 これはブラック企業だ。

 女神にだけ仕事が集中したパターンだ。

 神界にもブラック案件があるのか。

 私は深いため息をついた。

 

 生前、私はごく普通の会社員だった。

 特別な能力なんてない。

 定年を前にして、病気になり、入院治療中に命を落とした。

 

 そして、40代後半から更年期障害だけは嫌というほど経験した。

 

 汗は止まらない。

 眠れない。

 理由もなく不安になる。

 体のあちこちが無駄に熱くなり、イライラする。

 昨日まで平気だったことが急につらくなる。

 病院へ行き、漢方を試し、食事を見直し、どうにかこうにかどうしようもない不調と折り合いをつけて、仕事をしながら生きてきた。

 

 だから分かる。

 今この女神に必要なのは、神秘でも奇跡でもない。


「とりあえず水分補給。常温の水でね」

「み、水……?」

「あと首冷やす。横になって。話はそれから」

「え、あ、はい」

 女神、素直だった。

 私は周囲を見回した。

 するとテーブルの上に、水差しと布が出現した。

「便利ね」

「神界ですので……」

「そこは便利なんだ」

 布を水で濡らし、女神の首筋に当てる。

「ひゃっ!?」

「我慢して。熱くなってるところを冷やすのが大事だから」

「はい……」

 妙に従順である。

 思わず苦笑した。

 絶世の美女だろうが女神だろうが、つらい時はつらいのだ。

 うん、すごくわかる。しんどいよね……。


「ちゃんとごはん食べてる?」

「最近は祈りの処理が忙しくて、あまり……」

「駄目。寝不足と空腹は症状が悪化する」

「悪化……」

「あと、一人で抱え込まない」

 女神はぱちぱちと瞬いた。

 それから、小さく呟く。

「皆、私を崇めます」

「そりゃ女神だし」

「ですが……誰も、つらいでしょうとは言ってくれませんでした」

 

 私は一瞬だけ黙った。


 ああ。

 なんだ。

 この人、ずっと我慢してたんだ。

 我慢しすぎて、自分が我慢してることに無頓着になってたんだね。


「つらいよねぇ、更年期」

 その瞬間。

 ぼろぼろと、女神の目から涙が落ちた。

「つらいですぅ……!」

 その声と同時にすぐ近くに雷が落ちた。すさまじい音だった。

「泣くと雷が落ちるの!?」

「最近情緒が不安定でぇ……!」

「分かる分かる」

 私は泣き出した女神の背中をぽんぽん叩いた。

 

 死後の世界で何やってるんだろう、私。

 でもまあ。

 泣きたい時は、泣けばいいのだ。

 五十八年生きて、それくらいは知っていた。


 私は、ひとしきり泣いた女神にテーブルの上に現れた白湯を飲ませながら、深々とため息をついた。

 欲しいものが現れるテーブル、なんて便利。

「とにかく、今すぐ全部を一人でやろうとするのやめなさい」

「ですが、祈りは日に何十万件も……」

「知らないわよ。部下増やしなさい」

「神官どもは使えません!」

「ブラックに使い潰される中間管理職の台詞なのよそれ」

 女神はぐっと言葉に詰まった。

 図星らしい。

「あと、睡眠」

「はい……」

「食事」

「はい……」

「無理な時は休む」

「…………努力します」

「努力じゃなく休むの。神様だって休まないと」

 私がぴしゃりと言うと、女神はしゅんと肩を落とした。

 その姿は、神々しいというより完全に疲れ切った働く女性である。

 神様も大変なんだなぁ、と妙にしみじみした。

 するとその時、不意に女神が顔を上げた。

「……落ち着きました」

「そりゃよかった」

「貴女のおかげです」

「いや、水と白湯飲ませて体を冷やしただけ」

「それを誰もしてくれなかったのです。そして、自分でもどうしていいのか分からなかったのです」

 女神は静かに笑った。

 先ほどまでの余裕のない顔とは違う。

 少しだけ柔らかい。

「永井結子」

 不意に名前を呼ばれ、私は瞬いた。

「はい?」

「貴女は優しい人ですね」

「そんな大層なもんじゃないわよ。私も苦しんだ症状だから分かるだけ」

「いいえ」


 女神はゆっくりと身を起こした。


 乱れていた銀髪が、さらりと背中に流れる。

 周囲に散っていた火花も、いつの間にか収まっていた。


 やっと神様っぽくなったな、と思った。


「貴女は、自分も苦しかったからこそ、人の苦しみを見つけられる」

 女神の金色の瞳が、真っ直ぐ私を見る。

「ですがその知識は、あの世界にはありません」

「あの世界?」

「これから貴女が向かう世界です」

 ああ、やっぱりそういう流れか。

 私は白い天井を見上げた。

「異世界転生?」

「はい」

「テンプレねぇ」

「てんぷれ?」

「こっちの話」

 女神は小首を傾げたが、すぐに真面目な顔へ戻った。

「かの世界では、老いによる不調は呪いと恐れられています」

「うわ、面倒」

「王侯貴族ですら苦しんでいます」

「婦人科ないの?」

「ふじん……?」

「ないのね」


 駄目だこりゃ。

 思わず額を押さえた。

 いやでも、異世界ならそうか。

 医学だって発達していないだろうし。


「貴女の知識は、きっと多くの者を救います」

「買いかぶりすぎよ。私、ただの会社員だったんだけど」

「それでもです」

 女神はそっと微笑む。

「誰かにつらいですねと言える人は、案外少ないのですよ」


 その言葉に、少しだけ黙った。


 五十八年。

 良いことばかりじゃなかった。


 仕事。

 家族。

 老い。

 更年期。

 病気。


 しんどいことは山ほどあった。


 でも。


 だからこそ分かる痛みも、確かにある。


「……まあ、できる範囲なら」

「ありがとうございます!」

 ぱっと女神の顔が明るくなる。

 さっきまで泣いていたとは思えない切り替えの早さだ。

「では、貴女に加護を授けます!」

「そんな大層なのいらないんだけど」

「安心してください!私の加護は実用性重視です!」

「嫌な予感しかしない」

 女神は胸を張った。

「常に枕がちょうどいい高さになります!」

「地味に嬉しい!」

「お茶が常に適温です!」

「ありがたい!」

「あと肩こり軽減!腰痛もなし、関節痛もなしです!一生!」

「最高!」

 思わず拍手した。


 なんだこの生活特化型加護。

 絶妙に欲しい。


「では、参ります」

 女神が両手を重ねる。

 白い空間に、柔らかな光が満ちていく。

「貴女の新たな名は、ユイ」

「そのままなのね」

「覚えやすいでしょう?」

「まあねぇ」

 光が、私の身体を包み込む。

 意識がふわりと浮いた。

 その時。


「ユイ」

 女神が、静かに言った。

「覚えておいてください」

 金色の瞳が優しく細められる。

「私は、貴女の味方です。私の名は女神カルーシャ。私の名前を呼べば、私は貴女に応えます」

 その言葉は、不思議なくらい温かかった。

「……分かった。カルーシャ、じゃあ時々、あなたが不調になってないか確認させてもらうわね」

「はい。努力します」

「ありがとう、味方だと言ってくれて」


 五十八年生きてきた中で。

 そんな風に、まっすぐ味方だと言ってくれた人は、案外少なかった気がする。


 だから結子――いや、ユイとなる私は少しだけ笑った。


 次の瞬間、世界が白く弾けた。

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