第九十一話 「黒剣と、新たな決意」
「――あなたが恐れている“それ”こそ、あなたを英雄たらしめたのです」
ラフラシアン様の言葉が、胸の奥でいつまでも反響していた。
(……僕は、自分の“怖いところ”にも向き合わなきゃいけない)
そう思った瞬間、自然と聖女様と目が合う。
城壁の上――あのとき、彼女は僕のことをこの国、ファズランの「英雄」と呼んでいた。
(……あれも、今の話に繋がっていたんだ)
ラフラシアン様は、僕の目を見て、静かに小さく頷いた。
「そうだったんですね。でも……僕は英雄じゃありません。
そのとき、僕の意識はなかったんです。
けど、皆を結果的に救えたのは、本当に嬉しいです」
それが偽らざる気持ちだった。
胸を張る資格なんてない。けれど――守れたという結果だけは、心から嬉しかった。
「もっと誇ってもいいと思いますが……
そこが、アイザックさんの“謙虚なところ”であり、
“良さ”なのかもしれませんね」
ラフラシアン様が柔らかく微笑むと、部屋のあちこちから小さく笑う気配と、同意するような息遣いが聞こえた。
(……なんで皆、そんなに迷いなく頷けるんだ)
不思議に思いながらも、胸の奥が少しだけくすぐったい。
そんな空気の中で――シルファさんが、ふとテーブルへ視線を向けた。
「……さて。最後に、これね」
テーブルの上には、白布に包まれた物体がひとつだけ残っていた。
シルファさんはそれを手に取り、僕の方へ歩いてくる。
「これは一体……?」
上体を起こしたまま問いかけると、シルファさんは黙って布をめくった。
黒く、冷たい光を帯びた“剣”が現れた。
刃は半分ほどで折れていて、形も完全ではない。
けれど、その刀身に走る黒い筋と、どこか歪んだ輪郭には、見覚えのない懐かしさがあった。
(……知らない。はずなのに……
……どうして、こんなに……)
胸の“核”が、かすかに脈打つ。
痛みではない。けれど、無視できないほど鮮明な“反応”だった。
「これ、見おぼえある?」
シルファさんがそう尋ねる。
「……いいえ。こんな黒い剣、見たことありません。でも――」
喉が自然と動いた。
「でも、なぜか……懐かしい感じがします」
自分で言っていて、矛盾していると思った。
知らないのに、懐かしい。出会ったことがないのに、何度も握ったことがあるような感覚。
自分でも説明できない、その違和感の正体を確かめたくて――口が勝手に動いた。
「あの……持ってみてもいいですか?」
そこだけは、やけに素直な声だった。
「……え?」
シルファさんが、少し目を丸くする。
「まさか『持ってみてもいいですか?』なんて言うとは思わなかったわ」
そう言いながらも、彼女はすぐに笑みを浮かべ、黒い剣を僕の方へ差し出した。
「もちろん。気を付けてね」
両手でそっと受け取る。
ひんやりと冷たいはずの刀身は、不思議とすぐに体温に馴染んだ。
(……落ち着く)
胸のざわめきが、すっと静まっていく。
あの黒い右脚に触れていたときと、どこか似ていた。
危うさと、不安と、それでも寄りかかりたくなるような安堵。
「……これって、もしかして」
言葉が自然と溢れた。
「僕が意識がないときに、使っていた剣なんですか?」
その瞬間――室内に、露骨な驚きが走った。
「えっ……!?」
「なんで分かるんだ?」
「……やっぱり、何か“繋がり”があるのね」
それぞれの声が、驚きと納得を混ぜた色で飛んでくる。
やっぱり、そうなんだ。
(僕はこの剣で、みんなを……)
想像もつかないことをしたのかもしれない。
一歩間違えれば、取り返しのつかない事態になっていたのかもしれない。
胸のあたりが、きゅっと重くなる。
それでも――僕は、この黒い剣から視線をそらせなかった。
「……すみません。この剣、僕が持っていてもいいですか?」
思わず、そう口にしていた。
「僕のものなら……ちゃんと、向き合いたいです。お守りみたいな感じがして……」
怖さがないわけじゃない。
むしろ、怖い。
けれど、逃げてしまったらいけない気がした。
自分が何をしていたのか。
この力が、何をもたらしたのか。
それを知らないまま、この剣から目を背けるのは――あまりにも無責任だと思った。
「もちろん。それはアイザックくんのものだしね」
シルファさんが、迷いなく頷く。
「お守り、ねぇ……」
レオニスさんが、ふっと笑った。
「お前はその“お守り”で、俺たち三人のことを圧倒してたんだぞ?
……ま、本気じゃなかったがな!」
わざと大げさに肩をすくめてみせるその言い方に、部屋の空気が一気に和らいだ。
ぶわっと、笑い声が広がる。
「ええ、でも――レオニス“おじさん”ひとりだったら、
あの時のアイザックくんに負けてたと思うけどなぁ?」
「誰が“おじさん”だ!!」
出た。
シルファさんの、いつもの“レオニスおじさん”いじりだ。
「なんか……関係あるんですか? おふたり」
思わずそう口にした僕の疑問は、レオニスさんの「ない! 絶対にない!!」
という全力否定と、周囲の苦笑でかき消された。
気づけば部屋はすっかり賑やかになっていた。
さっきまで張り詰めていた空気が、嘘みたいだ。
意識のなかった時の僕が何をしていたのかは分からない。
想像もしたくないことを、していたのかもしれない。
それでも――受け入れなければならない。
逃げずに向き合うと決めた以上、すべて含めて“僕”なんだ。
そう胸の中で固く誓い、拳をぎゅっと握りしめた。
(僕は……もっと強くなる。
みんなを守れるくらいに。
誰も不安にさせない力で――)
その思いは堰を切ったように込み上げ、声になって跳ねた。
「強くなるんだああ!!」
勢いのまま立ち上がった――瞬間。
右脚がまだ馴染んでいなかったのか、視界がふわりと傾き、
次の瞬間、
目の前が床になっていた。
ごつん、と額に鈍い衝撃。
「ええっ!? 大丈夫!?」
「アイザックさん、無理に立たなくても……!」
シルファさんと聖女様の慌てた声が耳に飛び込んでくる。
その直後、レオニスさんの豪快な笑い声が響いた。
「強くなるなら、まずは自分の脚で立てるようになるんだな! がはは!!」
(……絶対バカにしてる)
その横で、すかさずミレナさんの冷静な一言が飛ぶ。
「レオニスさん。あなたもまずは、倒れない量でお酒を飲めるようになってくださいね」
「ぐっ……!」
(やっぱりこの人の天敵なんだ……)
と、妙に冷静に思ってしまった。
「待って、今はそんなこと言ってる場合じゃないから! ララちゃん、弟弟子のことお願い!」
カールアさんが慌てて駆け寄り、ララさんが元気よく返事をする。
「はいっ! 任せてください!」
そっと背中と頭を支える優しい手の感触が伝わる。
「おい!アイザック大丈夫か?」
ハルドさんがそう言って、僕の体を持ち上げようとする感覚が分かる。
(……さっき右腕がくっついたばっかなのに、流石ギルド長だ……
それにしても、結構な勢いで頭からいったな……)
じわじわと痺れが広がり、視界がかすんでいく。
だがその中で、誰かの心配する声、ツッコミ、笑い声が混ざり合い――
(……この賑やかな感じ、嫌いじゃないな)
そう思ったところで、意識はふっと遠のいていった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今回で、長く続いた“ナティア防衛戦”はひとまずの区切りとなりました。
アイザックの右脚、黒剣との邂逅、そしてあの異常な暴走――
あれらは一体何だったのか。
彼の身に起きた変化は、まだ始まりにすぎません。
ここから先、アイザックの成長と共に、
彼を取り巻く“因果”や、世界を縛る“律”の真実が少しずつ姿を現していきます。
これからも、彼の歩む道を見守っていただけたら嬉しいです。




