第八話 「八歳の日々」
風の異変から――二年が経った。
村は今では昔と変わらない日常を取り戻し、
風も以前のように吹き始めていた。
けれど、あの日森へ消えたレーヴェの姿を
見た者は誰一人いない。
僕自身も、あの白い獣の気配を一度も感じていない。
その“いない”という静けさだけが、
未だ胸の底で、薄く痛み続けていた。
そして時間だけが過ぎ――僕は八歳になった。
剣を振り、畑を手伝い、魔素と霊素の感知を試す毎日。
人よりほんの少し早く目覚めた力が、
何なのかはまだ分からない。
夜になると、ふと森の方へ視線が向く。
(……今日も、戻ってこないのか)
胸の奥に霧が立ち込めているような感じだ。
晴れそうで晴れない、もどかしい痛み。
レーヴェが消えたあの日、風はゆっくり戻った。
けれどその吹き方はどこか落ち着きがなく、
まるで“世界がまだ何かを探している”かのようだった。
八歳になった僕の一日は、少しだけ賑やかだった。
家の裏の空き地で木剣を振っていると、
早朝にもかかわらず次々と声がかかる。
「イザーク、今日も早いな!」
最初に駆けてくるのはコルト。
責任感が強く、いつの間にか僕の練習に付き合うのが日課になっていた。
「まったく……。またひとりで振ってるんだと思ったよ」
苦笑するコルトの横で、
木に寄りかかりながら片手を挙げる影がある。
「おーい! 今日はサボってねぇぞ、な? な?」
テルム。
“サボってない”と言いながら、姿勢が完全にサボりである。
「それ、たぶんサボってるぞ」
と言うと、
「細けぇこと言うなって!」
と、いつもの笑顔が返ってくる。
「イザーク! 今日の噂聞いた!?」
勢いよく飛び込んでくるのはリーネ。
噂話を集める早さは村一だ。
「森の奥で光が揺れてたって! 精霊かもしれないって!」
「……怖くはないよ」
「じゃあ心配だけはしとく!」
胸を張る意味は不明だが、それがリーネらしい。
その後ろから、おずおずと声が落ちてくる。
「……アイザックくん。昨日、頭痛いって言ってたけど……もう平気?」
ファナ。
控えめだが、僕が熱を出したとき一晩中ついてくれた優しい子だ。
「ああ、大丈夫。もう治ったよ」
「……よかった」
その笑みには、いつも静かな温度があった。
少し遅れて、鍛冶屋の息子ジョルが姿を見せる。
手には小刀と紙やすり。
「ザック、木剣貸してみろ。先がすり減ってる、怪我するぞ」
「ほんとか? ありがとう!」
「どうせ親父も暇だしな。練習道具くらいは作れる」
最後に、薬草の束を抱えたマリエが近づいてきた。
「アイザック、昨日の擦り傷……薬塗った?」
「あ、まだ……」
「もう……早く塗らないと」
優しいながらも、医者のような厳しさを持っている。
六人が揃うと、空き地は小さな祭りのように賑やかだった。
(……みんなとこうして集まるの、久しぶりだな)
二年前から、僕は夜に森へ行くことが増えた。
レーヴェと過ごしたあの小屋に足が向いてしまうせいで、
自然と友達と過ごす時間が減っていた。
今のこの時間が、どこか懐かしくて、胸に優しい。
練習を終えたあと、僕は丘の上へ向かう。
次は魔素と霊素の感知だ。
魔素は体の外側を流れる“風の線”。
霊素は体の内側で脈打つ“灯火”。
最近になって、その違いの“手触り”がようやく分かってきた。
(……でも、術として形にするにはどうすればいい?)
意識を向ければ、応える力はある。
だが火にも風にも変化してくれない。
知識が足りない。
方法も分からない。
ただひとつ。
レーヴェに触れたとき生まれた金色の灯りだけは、
今も胸の奥で、小さく灯り続けていた。
温かくて、懐かしくて――
忘れようとしても忘れられない灯りだ。
(レーヴェ……君はいま、どこにいるんだ)
森を見ると、胸が静かに疼いた。
夕刻。
家に戻ると母セリアが鍋をかき混ぜていた。
「イザーク! 今日はみんなと遊んでたんでしょ? いいねぇ!」
「遊んでないってば、練習だよ」
「はいはい、練習ねぇ~」
父アレンは薪割りをしながら、
ちらりとこちらを見て頷いた。
その一瞬の仕草が、妙に嬉しい。
寝る前、外に出る。
森の方から、ゆっくりと風が吹き抜けていった。
その風の中で、僕は無意識に気配を探す。
(……レーヴェ)
返事はない。
声もない。
それでも――
胸の奥に灯った金色は、寂しげに揺れていた。
まるで世界そのものが、
まだ“何かを待っている”かのように。




