第七話 「風が残した影」
翌朝。
空気は冷たく澄んでいたが――“まだ風は戻っていなかった”。
「……今日も、無風か」
丘の上に立っても草は揺れず、木々は沈黙したまま。
昨日の出来事が胸によみがえる。
レーヴェ。
いや、ヴァシュトと呼んでいたあの白い獣の、本当の名。
ほんの少し前まで隣にいたのに、今はどこにもいない。
(なんでだよ……どうして消えたんだ)
胸の奥が重い。
怒りでも悲しみでもない、名前のつかない感情だった。
そのとき、村の通りからざわめきが広がった。
「風狼が……狂ってただと?」
「黒い霧を吐いていたって話だ」
「祠の風が止まったのと関係あるのか……?」
「それに……狂った風狼はどうして村を避けたんだ?」
人々の声が、風のない空気に溶けていく。
(祠……?)
トーヴェルの外れには“風の祠”がある。
遥か昔、風の守護者と契約したとされる、小さな祠。
祭礼の日には村人が祠の前で祈りを捧げるのが習わしだった。
その祠は、ずっと“風に守られてきた場所”だ。
――昨日、風は止んだ。
(祠の異変……風狼の狂気……レーヴェの消失……)
それぞれが繋がっているようで、真実が見えない。
「イザーク!」
振り向くと、母セリアが駆け寄ってきた。
「怪我はない? 昨日の魔獣の騒ぎで外に行ったりしてないわよね?」
「うん……大丈夫だよ」
答えながら、胸が痛んだ。
レーヴェのことは……言えなかった。
心配をかけるだけじゃなく、
(説明なんて、できるはずがない)
「風の祠の調査が決まったみたい。しばらく子供は外出禁止よ」
「……祠が、何かあったの?」
母は首を振る。
詳しいことは誰にも分かっていないらしかった。
村ではあちこちで噂が飛び交っていた。
「風の守りが壊れたのか……?」
「魔獣の動きが変だ」
「今年の祭りは無理だろうな……」
その声を聞きながら――
(レーヴェは……“呼ばれた”って言ってたよな)
胸が締めつけられた。
あの最後の瞬間、レーヴェは普通の魔物じゃなかった。
(僕は……やっぱり“何か”に巻き込まれている)
レーヴェを救ったあの日。
掌から溢れた光の感覚。
白い闇で聞いた、あの声。
――選定外、要審査。
点と点だった出来事が、少しずつ線になっていく。
(なんで僕なんだ……?)
その問いは、風のない空へと吸い込まれていった。
言葉にならない違和感だけが、
――静かに、深く、胸の奥で根を張り始めていた。




