第七十五話 「英雄の崩壊、災害の胎動」
僕のゼールさんに向けて放った“最後の一撃”は――
本来なら、ゼールという魔族の伯爵の命を確実に奪うはずだった。
だが、その刃は。
――金属音とともに、空中で止められていた。
「……っ!?」
驚きで腕が痺れた。
黒い剣が打ち返された衝撃が手首に残っている。
目の前に立つのは、
銀白色の長い髪を揺らし、月光のような光を纏った男。
中性的で整った顔立ち。
その瞳は氷のように冷静で、こちらの動きをすべて見透かしているようだった。
(……わかる……ゼールさんより、ずっと強い)
本能が告げていた。
アイザックとその男――アルディロの剣は、激しく押し合う。
金属同士が擦れる硬い音が、戦場の静寂に鋭く響いた。
数合、ただ押し返し合うだけなのに、
“強さの格が違う”ことを理解させる圧があった。
その男は、無表情で僕に問いかける。
「――なぜ人間なのに、我々と同じ魔素と魔力をしている。
そしてその魔刻……それは魔王様の……」
男の声は驚愕すら薄い。
“観察”。
ただ事実を確認しているだけの声音。
そのとき、苦痛に倒れ込んでいたゼールが、震える声をあげる。
「ア、アルディロ様……!?
なぜここに……! そして……我々は……失敗しました。申し訳……ございません……!」
アルディロ――それが、この銀白色の男の名らしい。
アルディロは視線すら向けず、淡々と告げた。
「ああ、知っている。ここは一旦引くぞ。
すでにゼレスがお前の部下三人を保護しているはずだ」
「ゼ、ゼレス様まで……!?
そ、そんな……!」
ゼールの顔に屈辱と安堵が入り混じった表情が浮かぶ。
「今回はとんだ大誤算だった。それに――」
アルディロの瞳が、遠くの森と空を同時に見透かすように細められる。
「もう多くの人間が来ている。おそらく援軍だろう。
この状況だと、こっちに援軍が欲しいところだがな」
「な、そんな冗談を言ってる場合じゃ……!」
ゼールが怒鳴りかけるその瞬間。
「もう、いいですか?」
僕はアルディロへ向かって黒い剣を弾き飛ばし、
刹那の速度で彼の目の前に躍り出る。
「邪魔するなら――殺すまでです」
殺意がそのまま言葉になった。
アルディロの瞳がわずかに見開かれた。
(ゼールの中位魔紋昇華解放であの様だった……
こいつは……粗削りだが――強すぎる)
彼の心がそう呟く声が、僕に聞こえた気がした。
アイザックの攻撃のすべてが“殺しの急所”のみを狙う。
剣速、踏み込み、角度、体重移動――
どれもが獰猛で、洗練されていないのに“致命的”だった。
アルディロは攻撃を受けながら裁き、
回避はしても反撃をしない。
(……何だ、こいつ……強いのに……攻めてこない……?)
僕は理解できなかった。
そのとき、ぐっとアルディロの視線が動いた。
ほんの一瞬だけ、後方へ向けられた。
(……え?)
僕も反射的に後ろへ気配を感じる。
そして――アルディロの初めての“反撃”が来た。
剣が僕の視界へ迫る。
ギリギリまで引き付けて、逆にカウンターを入れようと踏ん張る。
が――
その瞬間。
「いない!?」
剣圧はあったのに、本人が消えていた。
背後から気配。
振り返ると、さっきまで目の前で戦っていた銀白の男――アルディロが立ち、
その横には赤髪の女性が楽しそうに微笑んでいた。
赤髪の女性はこちらに向かって手を振る。
「君、可愛い顔してほんとに強いんだね!
じゃあ僕、またね!」
僕のこめかみがピクリと動く。
(……なんだよこの女……むかつく)
その横には、逃げるはずだったゼールの部下たちも保護されていた。
次の瞬間――空間が歪む。
風が巻き返し、魔素が渦の中心へ吸い込まれる。
時空が裂け、“門”が形成される。
「またな。君とはまた会うだろう。
我らとは似て非なる……恐ろしく強い少年よ」
アルディロがそう言って、門へ入ろうとした瞬間。
僕の中で、何かが叫んだ。
(――奪わせろよ)
全身が熱を帯び、黒い剣へ気が集まっていく。
刃が青黒い炎に包まれ、
白に近い輝きの火がその内側で渦巻く。
槍のように逆手持ちへと構え直し――
投擲姿勢へ移行した。
アルディロが眉をひそめた。
「おい、ゼレス。……あれ、まずくないか」
赤髪の女――ゼレスも、苦笑して答える。
「ええ、あれはまずいです。早く閉じないと……」
だが、遅い。
僕は全身を使い、破壊の一撃を――投げた。
「――潰えろ」
放たれた黒炎の剣は、一直線に門へ吸い込まれていき――
ぐにゃあああああんッ!!
門が激しく軋みながら閉じ、
黒い剣の刃のほとんどが中へ飲み込まれ、
地面には“柄と欠片”だけが転がった。
僕はゆっくり歩き、折れた剣を拾う。
手に握りしめた瞬間――
「くそおおおおおおおおおおおおおッ!!!!」
喉が裂けるほどの慟哭が、空へ向かって響いた。
宿敵を逃した。
すべて無駄になった。
感情が音になって溢れた。
視界が滲み、呼吸が乱れる。
だが次の瞬間。
僕の視界に――
冒険者、兵士、ララ、ガルド、ハルド、ダイナス、パトロール・ファング、そしてカールアが映った。
カールアは――泣いていた。
「……なんで……?」
僕は理解できなかった。
(なんで……泣いてるの?
僕……変なこと……した?
でも、ゼールさんたちが……僕の仲間を……殺した……はずで……)
記憶が、水に垂らした絵具のように濁っていく。
ゼールも。
ゼールの部下も。
アルディロも。
そして、目の前の人間たちも。
全部が“敵”に見えた。
(殺さなきゃ……一人残らず……)
折れた黒い剣を構える。
最初に目が合ったのは――カールア。
(……笑った。なんで笑うんだよ)
カールアは――泣いていた。
……はずなのに、
アイザックの目には“笑っている”ようにしか見えなかった。
次の瞬間。
“光”がひとすじ、僕の視界を貫いた。




