第七十三話 「災害か希望か、止まらない残酷」
戦場を揺らした歓声は、まだ震度の余韻を残していた。
パトロール・ファング、ダイナス、兵士、冒険者――
誰もが「勝利した」と信じ込み、胸を張り、喉が枯れるほど叫んでいた。
だが。
その熱の中心から、ひとつだけ“調和を乱す異物”が歩き出した。
アイザックだ。
ナティアの英雄と称えられるはずの少年は――
ゼールの倒れた身体に背を向けると、
ゆっくり、まるで儀式のような歩みで森の別方向へ向かった。
そして。
倒れている三人――
ライラ、ゼファル、セタン。
ゼールの部下である魔人族を一人ずつ掴み、
ずるり、ずるりと引きずって連れ戻してきた。
その光景を見た瞬間、
歓声は急激にしぼみ、静寂が広がっていく。
「……おい、なんだ……?」
「なんで敵の仲間を……ゼールの元に……?」
「ま、まさか慈悲……? そんな……」
困惑の声が、戦場のあちこちで波紋のように広がる。
ララも震え声を漏らした。
「アイザック君……? 何してるの……?」
カールアだけは、声も出せなかった。
どこかで確信していたからだ。
(……違う。
あれは……“いつもの”弟弟子じゃない……)
アイザックは三人をゼールの目の前に並べた。
泥と血にまみれたゼールは、視界を奪われ、息を呑む。
「ゼールさん、しっかりしてください」
アイザックの声は優しい。
優しいのに――“芯が冷たい”。
「……な、なんだ……これは……」
ゼールはかろうじて声を絞り出した。
視界に映るのは、瀕死の部下たち。
まだ息はある。
それが逆に、耐えがたい地獄だった。
「おい! なにを……するつもりだ!!」
ゼールの叫びに、
アイザックは小さく、しかしはっきりと微笑む。
「何って、僕の大切な人たちを
あんなにも楽しそうに奪ったんですから――
お返しをしないと失礼ですよね」
その笑顔は、純粋と残酷が入り混じっていた。
ゼールは絶叫した。
「な、何を言っている……!?
私は……私は貴様との戦いに敗れただけで……
誰も殺してなど……!」
だがアイザックは、まるで聞こえていない。
精神世界で見た“殺戮の幻”が、
彼の中で“現実”として確立してしまっていた。
ゼールを殺す。
その前に、報復する。
その正義がアイザックを怪物へと変えていた。
アイザックはセタンの後ろ首を掴み、
強引に立たせる。
ゼールと向かい合うように。
「……っ、ゼール……様……?」
セタンが微かに目を開く。
「なんで……そんな酷い傷を……!」
状況を理解し、
背後に気配を感じて振り返る。
黒髪。
額と頬に魔紋。
濃密な魔素を纏う少年。
――そして、笑っている。
「きゃっ……! だ、誰……!?
え……魔王様……?」
その言葉に、アイザックは眉をひそめた。
「魔王?何言ってるんですか。
僕は人間です」
その声は“本当にそう信じている”声だった。
「あなたたちのせいで、僕は大切な人を失いました。
なので申し訳ないですが、僕の報復を受けてください。
自分たちだけやって、
自分たちが被害を受けるのを嫌がるって……
おかしくありませんか?」
アイザックは右手を握りしめる。
周囲の魔素が吸い寄せられ、
黒い魔力へと変換され、
刃のような形を作り上げていく。
じわじわと黒い剣が実体化した。
兵士も冒険者も、息を飲む。
「おい……おい……待て……!」
「仲間を……目の前で殺そうとしてる……!」
「でも敵だぞ!? 俺たちを殺そうとした……!」
「だとしても……あれは……っ」
ざわめきは混乱へ。
混乱は恐怖へ。
カールアの心は、嫌な確信で締めつけられた。
(止めるべきだ……
でも……動いた瞬間に“殺される”……)
アイザックは静かに宣告した。
「では、セタンさんでしたっけ?
僕はこのゼールさんという方から右脚を斬られました。
なので――まずはあなたの右脚を斬ろうと思います」
セタンが息を呑む暇もない。
アイザックの黒い剣が、
まさに振り下ろされる――その直前。
「待ってくれ!!」
ゼールが、今まで出したことのない、
懇願のような叫びを上げた。
その声は震え、
誇りも威厳も捨てた、
ただの「命乞い」だった。
黒い剣は空中で静止する。
アイザックの腕が――
“何かに止められたように”動きを止めていた。
彼自身、理解できないというように目を伏せている。




