第六十八話 「王都ファズラエル――迫る刻限と、揺れる決断」
森を抜ける風が、雷鳴のように枝葉を震わせた。
夕陽が差し込み、木々の影が後ろへ流れていく。
エンフォルスを纏ったシルファが、一本の光の軌跡となって平原を駆け抜ける。
――十時間。
シリアスとの死闘、いやお遊びを終え、全身の限界を押し広げるようにエンフォルスを全開にしてから、すでにそれほどの時が過ぎていた。
「っ……はぁ……っ……!」
呼吸は荒い。
肺が焼けるほど痛むのに、足は止まらない。
(……こんな距離、前の私なら絶対に無理だった)
胸に手を当てながら、シルファは奥歯を噛んだ。
「あのむっつりスケベ……! なんで絡んでくるのよ……!」
怒りはあっても、どこか感謝も混じっていた。
その事実が腹立たしい。
(……でも、シリアスからもらった“あのポーション”。
あれを飲んでから、確実に私……変わってる)
マナス草ポーション。
ヒーラ草ポーション。
どちらも、ただの高級品ではない。
ヒーラ草ポーションは疲労と痛みごと押し流す。
精神の落ち込みまで強引に引き上げる、異常なほどの回復力。
そして――マナス草ポーション。
(魔素を魔力に……魔力を他のエネルギーに変換する時……
本来なら必ず“ロス”が出る。普通は避けられないのに)
今のシルファは、それをほとんど感じない。
むしろ増えている。
魔素一 → エンフォルス一。
これは常識だ。
だが今は、
魔素一 → エンフォルス二、場合によっては三。
こう感じる。
――あり得ない。
(質が……尋常じゃなく高い。
王城の宝物庫や政府研究塔の“禁制品クラス”の精度)
シリアスはどこでこんなものを入手しているのか。
考えれば考えるほど、得体が知れなくて不安が増すだけだった。
だが、その不安ですら、今はかき消される。
(……アイザックくん……カールア…みんな……頼む、無事でいて……!)
ナティアは地の利を活かせば十倍の戦力差でも戦える。
ハルドとカールアがいればさらに心強い。
ただ――。
(六千の魔物。しかも種がバラバラで、統率されて“行軍”してるなんて……絶対におかしい)
普通、魔物の大群は個々が勝手に動く。
同じ方向へ進むことさえ奇跡だ。
だが今回、パトロール・ファング――ガルドは言っていた。
「隊列を組んで北東から接近中」
そんな芸当、自然発生では絶対に起こらない。
(……誰かがいる。後ろに、絶対に……!)
嫌な予感が胸を締めつけ、息が詰まりそうになる。
「……ダメ。考えても意味ない!」
自分に言い聞かせ、シルファはさらに速度を上げた。
風の抵抗で肌が切れそうだ。
エンフォルスの軌跡が地面を焦がし、草が焼ける。
ふと、視界の端が変わった。
土道が、いつの間にか磨き上げられた石畳に変わっていた。
視線を前へ。
(……来た……!)
巨大な城壁。
空を覆うほどの高さ、二十メール以上。
門は斜陽を浴びて輝き、その奥に広がる街並み、特に王城は壮麗だった。
ファズラン王国の心臓――
王都ファズラエル。
「……っ!!」
シルファが急停止した瞬間、
ドォォォンッ!!
風圧が城壁に叩きつけられ、砂埃が舞い上がった。
「な、なんだ!?」
「敵襲か!?」
「どこだ、どこから来た!?」
門兵たちが武器を構える。
だが――そこに立っていたのは、一人の女性だった。
淡い金色の髪を振り乱し、肩で息をしているシルファ。
「はっ……はぁ……っ……!」
「シルファさんじゃないか!? どうした、そんな状態で!?」
胸を押さえ、シルファは叫んだ。
「――緊急事態です!
ナティアが……攻められています!!」
その瞬間、空気そのものが凍りついた。
「ナティアが……!?」
「本当か!? 規模は!? 敵軍は!?」
「わ、私は軍務局へ走る!」
「シルファさんは王城へ! 王家への報告を――!」
シルファは返事もせず、すでに走り出していた。
石畳が続く王都中央区。
王城の白い塔が視界に入る。
(あと……少し……!)
胸の痛みは限界を越えていた。
マナス草のポーションがなければ、とっくに倒れている。
門兵が叫ぶ。
「そこの冒険者! その速度は危険だ――!」
だが止まれない。
「ナティアが……ッ……落ちる前に……!」
王城の巨大な扉が見える。
その瞬間。
――視界がぐらりと揺れた。
「……え……?」
足元が消える。
倒れ込む身体を、二つの影が支えた。
「危ない!!」
「おい、しっかりしろ!」
ファズラエル騎士団。
第二隊隊長レオニス。
第三隊副隊長ミレナ。
どちらも王都最強クラスの実力者だ。
ミレナはシルファの体を抱えながら、眉を寄せた。
「シルファさん……魔力の流れがメチャクチャよ……!
こんな無茶なエンフォルスの使い方……命に関わる!」
「そ……んな……こと……言ってる……場合……じゃ……!」
シルファは震える足で無理やり立ち上がろうとする。
「王様に……報告……しなきゃ……!」
だが足は動かない。
腕も震える。
視界は霞む。
レオニスが肩をつかみ、低く叫んだ。
「報告は俺たちが通す!
お前はこのまま倒れたら何にもならん! 休め!!」
「でも……ッ……!」
「シルファ!!」
その一喝は、心臓を殴られたように響いた。
ミレナが続ける。
「あなたが死んだら……誰がナティアの人たちの“心配”を続けるの?
休むのも……仕事よ!」
シルファは唇を噛み、拳を握った。
(……くそ……! 動け……動けよ……!
みんなが……アイザックくんが……死んじゃう……!)
そのとき――
――ゴォォォン……。
王城の高窓から鐘の音が響いた。
「緊急招集だ!」
「王が動いたぞ!」
レオニスはシルファを抱え上げながら言った。
「安心しろ。
王も、軍も動く。絶対に間に合わせる」
その言葉を聞いた瞬間、シルファの力が抜けた。
落ちていく意識の中で――
ただ一人の名を呟いた。
(……アイザック……君……)
そして世界が、闇に溶けた。




