第六十話 「ナティア防衛戦 第六撃 黒幕(前編)」
朝日が斜めから差し込み、
血と鉄のにおいがまだ残る戦場に光の帯を刻んでいた。
第二波の戦闘が始まってから、
どれだけ時間が経ったのか分からない。
城壁の上から見下ろす光景は――
ただひと言で表すなら、圧勝だった。
槍が並び、盾が統率され、
魔術が火花を散らして魔物の群れを焼き払っていく。
(……圧勝、なんだよな。
でも……やっぱり、苦しい)
魔物とはいえ、命が途切れる瞬間を何度も見た。
それは胸の奥をじわじわ締め付ける。
「アイザックくん?」
声に振り向くと、ララさんが覗き込んでいた。
「もしかして、まだご飯足りなかった? 育ち盛りだもんね!」
「そ、そんなことないですよ! お腹パンパンです……!」
慌てて答えると、ララさんはほっと息をついた。
「それなら良かった。たぶんね、こういう状況……
アイザックくんみたいに若い子にはキツイと思うの」
「若い――」
確かに、この戦場にいる若手といっても、
僕より二、三歳上くらいの“もうすぐ成人”の人ばかりだ。
「すごいよ、ほんと。私がアイザックくんくらいの年でここにいたら、怖くて気絶しちゃう……」
ララさんが笑いながら言った。
僕は胸の奥がひやりとした。
(やば……前世では二十三、四歳だったんだよな……。
立ち振る舞い、変に見えないように気をつけないと……)
「いや、怖いですよ。僕だって。
でも……困ってる人がいたら助けたい。それが命に関わることなら尚更です」
そう言うと、ララさんは少し驚いたように目を瞬かせ、きゅっと口を結んだ。
「……なんか、アイザックくんって私より年上みたいだね。
本当に立派だよ」
「っ……あ、いえ……。師匠にも“頼んだ”って言われたので」
「師匠?」
「シルファさんって人です。知ってるか分からないですけど」
その瞬間、ララさんの目が大きく見開かれた。
「ま、まって……一閃の剣、シルファ様のこと!?!?」
「はい……まぁ、その……」
ララさんは両手で口を覆った。
「すごい……! あの方の弟子!?
二頭の成体ウィンドウルフと互角に戦えた理由、やっと分かった!」
「いや、互角だなんてそんな……!」
(……カールアさんが“最初の弟子”だってバレたらもっと騒ぎになるよな。黙っておこう)
ララさんは僕の腕に触れ、驚いたように声を漏らした。
「アイザックくん……傷、もう治りかけてる。
体の中の魔素と霊素の“純度”が高いのかも!」
「そ、そうなんですか……?」
「そうだよ! 純度が高いほど回復魔術はよく効くの。
ここまで治る子、そうそう見ないよ!」
(……良かった。治るなら、戦える)
ふっと胸が軽くなった。
正午を越えると、戦場の熱量がさらに膨れた。
雄叫び。
槍が鳴り、盾がぶつかり、
冒険者たちの怒号と詠唱が飛び交う。
城壁の上から見下ろす限り――
魔物よりも、こちらの数の方が多い。
「すごい……!
森の奥にまだ魔物がいるとしても、今はもう“こちらの方が多い”んですね」
僕が言うと、ララさんは嬉しそうに頷いた。
「本当に大金星だよ! 王都の援軍なしで、この規模を押し返すなんて!」
その言葉のとおり、魔物たちは明らかに怯え――
ついに、森の奥へ“敗走”し始めた。
「……勝った!」
「追えっ!!」
一部の兵士が雄叫びを上げ、森へと追撃しようとする。
その瞬間――
胸の奥が、ざわりと震えた。
(――違う)
(絶対、おかしい)
僕は霊術を最大まで引き上げ、
気配円を広げた。
とはいえ、今の僕では半径六メートルほど。
狭い範囲だ。
――それでも、感じた。
(……なに、これ)
森の奥。
魔物たちが逃げ込む先。
そこから――
ドロドロに濁った魔力 が溢れていた。
底なし沼みたいに重く、
淀んだ濃霧みたいにまとわりつく魔素。
明らかに、魔物のものではない。
(……こんなの、見たことない)
呼吸が浅くなる。
ララさんが僕の横顔に気づいた。
「アイザックくん……どうしたの?」
「……ララさん。
あの奥……なんか、います」
「え?」
視線の先、森が深い闇となって口を開けていた。
敗走する魔物たちが吸い込まれていくその奥から――
確かに“何か”がこちらへ目を向けていた。
(これが……第三波?
いや、それどころじゃなく――)
(――“黒幕”が、いる)
朝の光がゆっくりと影へ沈んでいく中、
その気配だけが濃く、濃く、濃く……滲み出していた。
そして――
森の奥が、蠢いた。




