第五十七話 「激戦の裏で 一閃の剣と影紡の交わり 開幕」
エンフォルスを全開にして、ナティアから王都へ向かってから――
もう四時間ほどが経っていた。
風景はとっくに“線”になっていて、
木々も畑も、小さな村も、視界の端で一瞬通り過ぎては消えていく。
「……久しぶりだな、ここまで本気で出力するの」
頬をかすめる風は、冬の冷たさよりも鋭い。
その奥で、神経だけが焼けるみたいに熱い。
(ナティアは、絶対守る。それは当たり前なんだけど)
(なんでだろ……あの街に、あそこまで執着してるのって)
頭に浮かぶ顔は、ひとつじゃない。
カールア。
ナティアに配属されて、文句を言いながらも全力で動いている弟子。
厳しくしながら、結局甘くなってしまう相手。
(あの子は、私の大事な弟子で――半分、妹みたいなものだしね)
そして――赤茶の髪の、あの少年。
アイザック。
(……きっと、このルミナルド大陸にとって“希望”になる)
(あの子が、律の鎖を揺らせるかもしれない)
胸の奥で、エンフォルスとは違う種類の熱が、小さく脈打った。
そのときだった。
「――急いでいるところ、すみません」
冷たい声が、風の中に割り込んできた。
前方の空間が、ぐにゃりと歪む。
影が濃くなり、その中心から“黒い霧”のようなオーラが立ち上る。
やがて、その影は人の形をとった。
外套をまとった男。
黄金の瞳が、真っ直ぐこちらを見ている。
「……影のオーラ。しかも、この魔力」
シルファは、強制的に足を止めた。
土が抉れ、風が派手に散る。
男は、軽く頭を下げる。
「突然失礼しました。少々、お時間をいただきたい」
「……どなた?」
「どなただなんて、そんなよそよそしい言い方はやめてくださいよ」
男は苦笑するように口角を上げた。
「エルドの森で、あなたとカールア嬢が、あの赤茶の可愛らしい少年に修行をつけていたとき。
ずっと近くで観察していた私に、気づいていながら見逃してくれたじゃないですか」
「……やっぱりお前か」
シルファは目を細めた。
「一カ月近くも、女二人と少年一人をじろじろ監視して。
あんた、むっつりスケベでしょ」
「そんな言いがかりみたいな評価やめていただけます?」
男――シリアスは、肩をすくめた。
「私はただ、観察していただけです。健全な興味ですよ、健全な」
「はいはい。で、その健全な変態さんが、何の用?」
「本当に酷い」
シリアスは小さくため息をつくと、真顔に戻った。
「あなたが急いでいるのは分かっています。
あの魔物の大群――あれは人為的なものだと、私も判断しました」
「だろうね」
「だからこそ、少しだけお聞きしたい。
あの少年のことを。そして――一カ月修行をつけていた、あなた自身のことも」
「……はぁ」
シルファは頭を掻いた。
「じゃあ“少しだけ”ね。時間あんまりないから」
「感謝いたします。その代わりと言っては何ですが――」
シリアスは懐から小瓶を二つ取り出した。
「最上級のマナス草ポーションと、ヒーラ草ポーションを差し上げます」
「……は?」
瓶の中で、濃い液体がゆらりと揺れる。
「最上級マナス草って……あんた、もしかして“帝国”の人間?」
「ほぉ。これはすごい。よく分かりましたね」
シリアスの瞳が、興味深そうに細められた。
「只者ではないと思っていましたが――このバカみたいに広いルミナルド大陸にある国のことを、
ここまで把握しているとは」
「そりゃそうでしょ。私これでも、このファズランの“王立”の教師も一応してるんだし」
「先生でしたか。ということは、この大陸にある国の数や勢力、
そして――向こう側のこともご存知で?」
「御託並べてないで、さっさとやろ」
シルファがばっさり切る。
「どうせ、私は王都まで走る。あんたは、どうあってもあの子のことを訊きたい。
だったら――一番手っ取り早いのは、“剣を交える”ことよ」
「……合理的ですね」
シリアスは、薄く笑った。
「では――あの少年には剣術を主に叩き込んでいたようですし。
剣をメインに、お手合わせ願えますか。
私は魔術とオーラ、少々の剣術しかありませんが」
「いいよ。先手は譲る」
「お言葉に甘えて」
影が揺れた。
シリアスの足元から黒い靄が立ち上り、
それは一筋の“影”となって彼の手の中に凝縮する。
影が形を変え――黒い剣となった。
同時に、シリアスの全身に淡いオーラが纏わりつく。
ただの術師とは思えない密度の“気配”。
「……へぇ。術師のくせに、そんなにオーラ纏えるんだ。すごいじゃない」
「お褒めにあずかり光栄です」
シリアスは、一歩踏み込んだ。
「――では、行きます」
地面を蹴った瞬間、影が弾ける。
黒い残像が一直線にシルファへ向かい、
影の剣が縦に振り下ろされる。
その動きは――速い。
帝国でも指折りの術師であり、
剣も相応に使えると自負する男の“本気”。
直撃すれば、さすがに無傷では済まない――はずだ。
だが。
瞬き一回。
たったそれだけで、視界がひっくり返った。
風の音が横に裂ける。
シリアスの剣が縦に降りるより早く、
シルファの剣筋が“横”から食い込んでいた。
「――え」
剣と剣が擦れた瞬間、全身に衝撃が走る。
次の瞬間には、シリアスの体は空を舞っていた。
地面に叩きつけられる寸前。
かすかに見えたのは、空気を“横に”裂いて走る光の軌跡。
(一太刀……?)
(たった、一回の剣戟で……?)
背中から落ちた衝撃で、肺から息が抜ける。
視界がぐらぐらと揺れた。
「……ちょっとやりすぎたかな。ごめん」
土煙の向こうで、シルファが肩をすくめる。
「時間ないしさ。それに――術師なのに、あんな綺麗なオーラ見せられたら、
こっちもつい、本気出したくなるでしょ?」
(化け物だ)
シリアスは、ぼんやりと思った。
(私は確かに術師だ。だが、オーラの技術には自信がある。
並大抵の剣士よりは、上だとすら思っていた)
(なのに――たった一度、横に剣を振り返されただけで)
指一本動かない。
剣はすでに手から離れていた。
視界の端で、シルファの剣先がふっと下がる。
(こんな化け物が、ファズランの……しかも辺境の街にいるなんて)
(聞いてないぞ……本当に)
致命傷はない。
骨も、おそらく折れていない。
ただ、全身の“芯”をまとめて叩き折られたような感覚。
意識が、ゆっくりと遠ざかっていく。
(あの少年に……こんな存在がついているなら――)
(律の揺らぎも、夢物語じゃないかもしれないな……)
シリアスは、そんなことを考えながら――
静かに、闇へ沈んでいった。




