第五十六話 「ナティア防衛戦 一時の休息 決心」
森の匂いが、やけに濃かった。
血と土と、焦げた草の匂いが混ざり合って、風に押されるように体を包んでくる。
三人に抱きしめられてから、どれくらい経ったんだろう。
ほんの数十秒なのに、やけに長く感じた。
冬の夜は寒いはずなのに――身体は温かくて、でも胸の奥は痛い。
(……ああ……恥ずかしい……でも、少しだけ安心した)
「弟弟子、何があったの?」
「説明するから……ちょっと……離して……息が……できない……」
「あっ、ごめん!」
ようやく三人の腕がほどけて、僕は深く息を吸い込んだ。
その空気さえ、少し血の匂いが混じっていた。
呼吸を整えて――僕は、全部を話した。
ウィンドウルフ二頭と戦ったこと。
どれだけ傷だらけになったのか。
最後に、子どもウィンドウルフを見て、手が止まったこと。
話しながら胸が締め付けられて、何度も言葉が詰まった。
話し終えた時、全員の表情は複雑だった。
驚き。
困惑。
肯定も否定も入り混じった、言葉にできない感情。
そんな空気の中、カールアさんがゆっくり前に出て、静かに口を開く。
「見ての通り、今のアイザックは満身創痍。血だらけで、軽鎧はボロボロ。
……この状態で二頭仕留めるのは無理よ。それに――アイザックの言いたいことも、わたしは分かる」
その言葉に、全員の肩が少しだけ緩んだ。
「お前があれを足止めしてくれてたおかげで、城壁前は優勢だったんだ」
その一言で、胸に刺さっていた棘が少しだけ動いた。
でも――抜けたわけじゃない。
(僕は……殺せなかっただけなんだよ……)
拳を握ると、乾いた血がぱらぱらと落ちた。
野営地に向かう道は、静かすぎた。
戦いの音が、まだ遠くでくすぶっている気がする。
歩きながら、みんなが中央戦線の話を始めた。
「俺たちバーグオーガをぶっ倒しまくったぞ!」
「BランクとCランクの即席パーティが結構やり合えてさ、
ガルドが突っ込んで盾役が支えて……あれは気持ちいいくらいの連携だった」
「小型は術師と大砲とバリスタが片っ端から削ってたな」
声は興奮してるのに、どこか不自然な“緊張”が混じっている。
その空気を切り裂くように、カールアさんが言った。
「でも、おかしいのよね。こんな大群がナティアに来るなんて……」
ロッカさんが鼻を鳴らす。
「俺らが斥候した時、六千って言ったろ?
今日倒したのは多くて半分だ。つまり……今日のは先発隊だ」
「じゃあ……まだ……?」
「中型以上は大した数はいなかった。
けどな……バーグオーガの奥に“濃い魔素”の何かがいたんだ。あれだけが厄介だ」
濃い魔素。
(……あれかもしれない)
戦場で感じた、あの“見られてる感覚”。
ウィンドウルフを相手にしてる時も、ずっと背中に張りついていた冷たい気配。
誰も触れてないけど――絶対“何か”がいる。
胸の奥で、嫌な予感がうずまく。
野営地が見えてきたところで、ハルドさんとガルドさんがこちらに駆け寄ってきた。
「アイザック! お前……どこ行ってたんだ! 本気で心配したんだぞ!」
「……ガルドさんって、こんな情に厚かったでしたっけ?」
「ば、ばか! 今はそういう冗談言ってる場合じゃねぇ!
……まさかここまで根性あるとは思わなかった。悪かったな、最初の印象」
続けてガルドさんが口を開く。
「ミーナ! ミリエル! 夜の森に入るなんて危ないだろ、まったく……!」
「だって……」
「アイザックくんが心配で……!」
二人の瞳が涙で潤んでいる。
胸が痛い。
こんな顔させたくないのに。
ハルドさんが僕の鎧を見て、顔色を変えた。
「……おい、これは……酷いな。よく死んでないな……」
「ポーション! 包帯! 薬草も持ってこい!」
次々と温かい手が僕に触れて、ポーションの魔力が傷に染みこんでいく。
少し、痛みが引いた。
(……あったかいな)
包帯を巻かれている間、ミリエルちゃんが袖を小さく引いた。
「……よかった……ほんとに……生きてて……」
その声が小さく震えていて、僕の方が胸を締め付けられた。
(……守りたかったのは、この声なんだ)
治療が落ち着くと、すぐに話し合いが始まった。
「明日、日が昇ってから第二波が来ると考えるべきだ」
「理由は一つ。誰かが指揮している可能性が高い」
「夜襲もあり得るが……明るい時間の方が相手も判断がしやすい」
「それに、今日の戦力を見る限り……奴ら、まだ“本気”じゃない気がする」
火の粉がはぜて、闇の中で小さく散った。
みんなの声は冷静だけど、決して余裕はない。
戦いに勝ったわけじゃない。ただ“生き延びた”だけだ。
その緊張の中で、ミーナさんがそっと僕の肩に上着をかけてくれた。
「寒いでしょ……熱もあるし、休んで」
「ありがとうございます……」
上着の温もりがやけに優しくて、胸がじんと熱くなる。
(……帰ってきたんだ。戦場じゃなくて、“ここ”に)
目がどんどん重くなる。
戦いの痛みと、安心と、罪悪感と、温もりが全部入り混じって頭がぼやけていく。
(守る……って決めたのに……)
(正しいかどうかなんて……わからないけど……)
(僕は……守りたいんだ……)
最後に、その想いだけが胸に残ったまま、
静かに意識が落ちていった。




