第五十三話 「ナティア防衛戦 第三撃 風狼《ウィンドウルフ》」
砂煙の向こうで、青白い残光が揺れた。
その残光は、ゆっくりと――だが確実に、こちらへ歩いてくる。
(……あれは)
四肢をしなやかに使い、風を纏う銀灰の毛並み。
蒼い瞳だけが、氷みたいに冷たく光っている。
ウィンドウルフ。
トーヴェルで初めて見たときから、
なぜか“宿敵”みたいに感じていた魔物。
危険度ランクはC~B。
本来なら、Eランクの僕が真正面から戦う相手じゃない。
なのに。
(……やれる気がする)
震えているはずなのに、
胸の奥の核だけが、静かに熱を帯びていた。
ウィンドウルフが地面を削る。
その動きは――速い。
兵士の盾を斜めに切り裂いた、あの最初の疾走のほうが明らかに鋭かった。
なのに、
今は“さっきより遅く見える”。
(なんで……?)
僕は前衛じゃない。
盾兵の後ろ、術師の列よりも少し前の“俯瞰できる位置”だ。
だからなのか。
それとも――
(一カ月間くらいの修行で、僕……)
気づかないうちに、
身体が、目が、耳が――鍛えられていた?
ウィンドウルフが前衛の兵士に飛びかかる。
一瞬の隙。
胸の核が、ぎゅっと縮んだ。
「――っ!」
剣を握り、足が走り出す。
刃にほんの少しだけ、剣気が灯る。
斬撃がウィンドウルフの横腹を掠めた。
しかし――
風が、剣を“削いだ”。
斬れたのは、毛皮の表面だけ。
深くは届かない。
(やっぱり……固い)
ウィンドウルフが反撃に移った瞬間に、
僕は魔素を引き上げる。
「《ウィンド・スパイク》!」
風の槍が、ウィンドウルフの着地をわずかに乱す。
隙は小さい。
でも、その小さな歪みが前衛を守る。
前衛が盾で体当たりして押し返す。
その横を、僕が再度斬り込む。
霊術で足を軽くし、
魔術で動きを乱し、
剣気で削り込む。
(……ニュートラルなんて、言えないな)
僕自身が驚くほど、
全身が「戦いに最適化」されていた。
「おい……あれ、やべぇだろ」
レントさんが、ウィンドウルフの動きを追いながら呟いた。
「アイザック、あいつ……」
「過集中、入ってんじゃねぇか?」
ロッカさんが言った。
確かに――
目が焼けるみたいに開いていて、
焦点が合ってるのか分からない。
呼吸は浅く、
返事もない。
ただ、敵の動きに反応した瞬間だけ――
異様に速い。
「おい! アイザック!!」
レントさんの声が、ようやく耳に届く。
「……え? あ、はい!」
我に返った瞬間、
自分でも驚くほど心臓が跳ねた。
「俺たち、別の遊撃に回る。
ここは、もう……お前一人で十分だ」
「えっ」
「不安かもしれねぇが――」
ロッカさんがニッと笑う。
「その顔見たらよ、逆に邪魔だって分かるんだわ」
(……そんな顔、してた?)
怖いのに。
逃げたいのに。
でも、足が前に出る。
「任せてください」
自分でも、驚くほど静かな声だった。
パトロール・ファングが離れ、
周囲に僕とウィンドウルフだけが残る。
風が揺れる。
ウィンドウルフの蒼い瞳が、
まっすぐ僕を見ていた。
(……始めよう)
胸の核を、そっと掴む。
剣気が刃に灯る。
魔術で足を軽くし、
霊術で気配を読む。
ウィンドウルフが、
風とともに消える。
次の瞬間、
背後から気配が迫った。
「――っ!」
振り向きざまに剣を振る。
風を裂き、火花が散った。
剣と牙が擦れた、鋭い音。
ウィンドウルフは跳ねて距離を取る。
その四肢は軽い。
風と一体化したような動き。
(速い……でも)
さっきより、
ほんの少しだけ“見える”。
ウィンドウルフの攻撃。
風の揺らぎ。
足の重心。
牙が来る角度。
全部が、胸の内側に線となって走る。
(……いける)
互いに何度も切り結ぶ。
土がえぐれ、空気が裂ける。
ウィンドウルフは風を纏い、
僕は剣気を纏う。
その戦いは――
ただの狩りじゃなかった。
“意志”と“意志”の衝突だった。
◇
日が傾いていく。
気づけば、戦いながら森の奥へ進んでいた。
(もう……夕方?)
どれほど斬ったか分からない。
どれほど避けたかも覚えてない。
腕は痺れ、
足は鉛みたいに重い。
それでも、
ウィンドウルフは立っている。
そして僕も――まだ倒れていない。
(……不思議だ)
ウィンドウルフの瞳の奥に、
なぜか“知性”を感じる。
ただの獣じゃない。
ただの魔物じゃない。
僕を、じっと見ている。
(……なんでそんな目で見てるんだよ)
その問いが胸に残ったまま――
二度目の風が、森を揺らした。
終わりの気配じゃない。
“何かの始まり”の風だ。




