第三十話 「変動の前兆と、森に集う影」
鳥の声が、遠くで澄んだ音を落としていた。
祠から戻った僕は、朝の光を浴びながら静かな街路を歩いていた。
(……ルファス。
本当に“精霊”なんて存在するんだ。
それも“律の精霊”なんて――)
胸の奥の核が、かすかに温い金色を灯している。
昨夜の余韻がまだ残っているのだろう。
霊術をようやく扱えるようになったばかりなのに、
もう精霊と会ってしまった――そんな現実がまだ追いつかない。
(進め、か……)
ルファスの言葉は、不思議と胸の奥に深く沈んでいた。
ギルドに入ると、ざわつく声が耳に飛び込んできた。
「聞いたか? 魔素の揺らぎがまた――」
「今日のほうが酷いって言ってたぞ」
「近郊で魔物が群れてるって噂も……」
依頼掲示板には、朝なのに人だかりが出来ている。
「アイザックくん、おはよう」
ミーナが心配そうに駆け寄ってきた。
「今日の森……気をつけてね。魔素の流れが“異様に濃い”の。
報告が何件も来てる」
「濃い……?」
魔素は通常、多少のムラはあっても“濃度”は大きく変わらないはずだ。
(昨日……祠の周囲で霊素の膜が広がった。あのあたり――)
胸の奥がざわつく。
「ね、アイザックくん」
ミリエルが袖をそっと掴んだ。
「今朝、森から“冷たい音”がしたの。
いつもの風じゃない……うまく説明できないけど、変だったの」
ミリエルの“感覚”は当たる。
霊素の扱いを学んだ今の僕には、その言葉は危険信号にしか聞こえなかった。
(……森で、何かが起きてる)
「おい、お前がアイザック・ヴァーンか?」
低い声が背後から飛んできた。
振り返ると――四人組の冒険者。
先頭の大柄な男はCランクの徽章を肩に付けている。
その後ろには、魔術師、軽剣士、狩人の女性。
噂に聞いていたパーティ。
“斥候の牙”
森の調査と討伐を専門とする実力派だ。
(……強い)
ガルドのような刺々しさはないが、
戦いを知っている冒険者特有の“沈黙の圧”を纏っていた。
「俺はレント。こっちはミゼス、ロッカ、ティーネだ」
レントが手を差し出した。
「いきなりで悪い。少し聞きたいことがある」
「……なんですか?」
「昨日の夕方――森で“霊素の膜”の揺らぎが観測された。
薄金色で、かなり広範囲だったらしい」
心臓が跳ねる。
(……防壁だ)
「もし心当たりがあるなら教えてくれ。
あれだけの揺らぎが起きたなら、周囲の魔物が影響を受けてる可能性がある」
責める声ではなかった。
森の安全を守る者の目だった。
迷った末、僕は言った。
「……僕です」
「やっぱりか」
レントは驚きもしなかった。
「安心しろ。怒る気はない。
ただ、霊素も魔素も“環境の流れ”だ。
大きく揺れると、魔物は狂暴化したり群れたりする」
ミーナとミリエルが同時に息を呑む。
「だから俺たちは調査に入る。
ついでに……お前にも来てほしい」
「僕が?」
「揺らぎの“中心”で何が起きたのか、本人が見たほうが早い。
それに――お前の感覚は鋭いはずだ」
レントは少し声を落とす。
「昨日の夜、森で“一瞬だけ”未知の揺らぎが観測された。
魔素でも霊素でもない……“第三の色”だ」
息が止まった。
(……なんで……胸の奥が反応してる……!?)
「心当たりは?」
「…………少しだけ」
レントは短くうなずいた。
「十分後に出る。準備して来い」
「分かった」
出発前──小さな不安
装備を整えて戻ると、ミーナとミリエルが待っていた。
「アイザックくん、ほんとに気をつけてね」
「……絶対、ひとりにならないでね?」
二人の不安げな顔に、僕は笑って返した。
「大丈夫。
パトロール・ファングは強いし――」
(ルファスが……見ている気がする)
胸の奥で、金色がかすかに揺れた。
「必ず帰るよ」
「揃ったな。――行くぞ」
レントが手を上げる。
ミゼスが杖を構え、ロッカが双剣に触れ、ティーネが弓弦を軽く鳴らす。
「今日の森は静かじゃない。
“音”より“匂い”を信じろ」
四人が影のように森へ踏み込む。
僕も続いた。
胸の核が震えていた。
昨夜の温い揺らぎとは違い、鋭い警告の色を帯びている。
(森が……乱れてる)
「アイザック、遅れるな!」
レントの声と同時に、僕は駆け出した。
森へ入って数分。
空気が――重い。
魔素の流れが、いつもの空色ではなく、
黒ずんだ霧のように沈んでいた。
「……魔素の“濁り”?」
声を漏らすと、魔術師ミゼスが振り返る。
「君、魔素が“色”で視えるのか?」
「……うん」
「なら注意しろ。
濁りに近づきすぎると思考が乱れる」
レントが森の奥を睨んだ。
「揺らぎの中心はこの先だ。急ぐぞ」
胸の核がまた脈打つ。
ズズ……ズズ……。
(……あそこに、“いる”)
ルファスとは違う。
もっと荒く、もっと鋭く、もっと危険な気配。
「急げ!」
レントの声に、僕たちは森の奥へと駆け込んだ。




