第二百四十六話 「命名契約の重さ」
僕は一度、息を吸った。
「きっかけは、父の一言でした」
左右の空気がざわつく。
それだけで驚かれるのは分かっていた。
だから僕は、ちゃんと続ける。
「父が酔った勢いで、名付けてみろって言ったんです」
「それで僕は、ゼフィルさんとエルナさん、それにハヤトくんとユイナちゃんへ、
勝手ながら名前をつけさせてもらいました」
「何だと?」
「それがきっかけだと……」
「あり得ん」
左右の狼たちが低くざわめく。
驚きと否定が混ざった声だった。
その中の一頭が、明らかな嫌悪を滲ませて言う。
「人間と命名契約を結び、なお平気だというのか?」
すぐに反応したのはハヤトくんとユイナちゃんだった。
「そんなことないもん!」
「あったかいもん!!」
「ばかにするな!!」
言葉はかなり荒い。
でも、その中にある気持ちは真っ直ぐだった。
それが妙に嬉しくて、胸の奥が少し熱くなる。
その声を向けられた狼は、一瞬だけたじろいだ。
「な、何だと……」
「ハヤト、ユイナ。静かに」
エルナさんがすぐにたしなめる。
二人はびくっとして、慌てて頭を下げた。
「あ、ごめんなさい」
「ごめんなさい……」
魔狼王様がゆっくりと目を細めた。
「よい。この魔狼領で暮らしている者なら、我を前にしてそのような態度は取らぬ」
「物珍しくもある」
「そして子が口にする言葉には濁りが少ない」
それからゼフィルさんへ視線を向ける。
「ゼフィル。その子らの言うことは真か」
「命名契約をその人間と交わしていて、本当に不快ではないのか?」
「はい。その通りです」
ゼフィルさんは迷わなかった。
その横でエルナさんも頷く。
「私も同じです。まったく不快ではありません」
魔狼王様は短く息を吐いた。
「ふむ」
「人間よ……いや、名を何という」
周囲の空気がまた揺れる。
「王が人間の名を問うたぞ」
「珍しいどころではない」
「そもそもここへ人間が来たこと自体が……」
左右の狼たちのざわめきが広がる。
僕はその空気に少し呑まれかけた。
けれど、すぐ横から声が飛ぶ。
「イザクお兄ちゃん!」
「アイザック」
ハヤトくんと、ゼフィルさんだった。
そうだ。
流されている場合じゃない。
僕は慌てて背筋を伸ばした。
「アイザック・ヴァーンと申します」
「アイザックか」
魔狼王様の目が、少しだけ細くなる。
「覚えたぞ」
その一言に、左右の空気がまたざわついた。
けれど今度は僕も止まらない。
魔狼王様の視線がそのまま落ちる。
「して、アイザック」
「そなた、命名契約をして何もおかしいと思わなかったのか」
「おかしい、とはなんでしょうか……?」
「命名契約は、ただ名を与えて終わるものではない」
「契約者と名を与えられた者が繋がり、念話が生まれる」
「さらに、魔素も共有される」
魔素の共有。
その言葉に、僕は眉をひそめた。
そんなこと、した覚えはない。
そもそも、されている感覚もない。
「魔狼王様」
思わず口を挟んでいた。
「せっかく教えていただいたのに申し訳ないのですが、
僕たちは魔素の共有なんてしていないと思います」
僕は四人へ目を向ける。
すぐに反応したのはエルナさんだった。
「アイザックの言う通りです」
「むしろ私は、アイザックから魔素を頂いている側です」
「はい。実は俺もです」
ゼフィルさんも続く。
「私も!」
「俺も!!」
ユイナちゃんとハヤトくんも、ほとんど重なるように声を上げた。
……ん?
言っている意味が分からない。
僕が混乱したのと同じくらい、左右の狼たちの空気も乱れた。
「それは異常ではないか?」
「本当に人間なのか」
「信じがたい……」
魔狼王様が僕を見る。
「アイザック。そなたは分からぬ顔をしているな」
「はい……」
本当に分かりませんでした。
「ならば説明しよう」
魔狼王様の声は落ち着いていた。
けれど、その奥に熱が混じっていくのが分かった。
「風狼の長とその番」
「さらにその子ら二体」
「本来なら、その合計の魔素量は人間一人を上回っていて不思議ではない」
そこまで言われて、僕は息を呑む。
「だが現実は違う」
「そなたの持つ魔素量が、それらをなお大きく上回っている」
左右の狼たちがざわついた。
魔狼王様は構わず続ける。
「さらに、その子らは命名契約を快いと語った」
ハヤトくんとユイナちゃんが、ぶんぶんと頷く。
「うん」
「あったかい!」
「ゼフィルとエルナも同じか?」
「はい」
「その通りです」
魔狼王様の口元が、わずかに上がった。
狼の表情だから人間ほどはっきりじゃない。
でも、たしかに分かった。
笑っていた。
「面白い」
低い声だった。
「いや、興味深い」
その場の空気が変わる。
「本来、一方が圧倒的な魔素量を持つ契約は、契約ではない」
「それは支配に近い」
その言葉に、左右の狼たちが小さく息を呑んだ。
「ゆえに、ゼフィルたちが快いと語るのはおかしい」
「否」
魔狼王様の目が、まっすぐ僕を射抜く。
「矛盾している」
ぞく、と背筋が震えた。
さっきまでの問いとは違う。
もっと深いところを見られている感じがした。
魔狼王様は、そのままゆっくりと口を開く。
「これは興が乗る」
その声に、左右の狼たちの空気が張り詰めた。
そして今まで止まっていた魔狼王様が、ゆっくりと動き始める。
その瞬間、引力そのものが動いた気がした。
「図らせてもらおう」




