第二十二話 「誰かの命と、自分の刃と」
夜が明け、空に淡い光が滲み始めるころ。
胸の奥はずっと不安でいっぱいだった。
昨日の森での討伐以来、胸の中心の“核”がうずき続けている。
(……今日、ガルドさんと戦う……)
恐怖はある。
だけど、それ以上に――自分に対する問いが胸を締め付けていた。
(僕は……斬れなかった。
守りたかったのに、剣が止まった。
あれじゃ……誰も守れない)
けれど、あのとき弓使いの女性を「助けたい」と願った気持ちが、確かに本物だったことも知っている。
だから今日――逃げるわけにはいかない。
◇
模擬戦の舞台は、ギルド裏手の簡易訓練場だった。
受験者たちが円形の闘技場を囲み、固唾をのんで見守る中、
僕とガルド・レインズは向かい合う。
地面には無数の戦いの跡。
土に染みついた気配が、歴戦の冒険者たちの残した爪痕を物語っていた。
対面のガルドは鉄製の模造剣を肩に担ぎ、余裕と侮蔑の浮かんだ笑みをこちらに向けてくる。
「おい、坊主。心の準備はできてんのか?」
「……うん。逃げないよ」
「へっ。威勢だけは一人前だな」
試験官のカールアが二人の間に立ち、低く響く声で告げる。
「第二段階――模擬戦を開始する。
使用武器は模造剣。殺傷は禁止。
ただし、“戦う意志”を見せられなければ失格とする」
(……意志。僕には、それが足りないんだ)
「両者――構え!」
剣を握る手は震えていた。
それでも目だけは逸らさなかった。
「――始め!」
――ガルドの猛攻。
開始の合図と同時に、ガルドは弾丸のように距離を詰めてきた。
速い。
模擬戦とは思えない殺気。
「どうしたァッ!」
横薙ぎの一撃。
重さが段違いで、受けた瞬間、腕が痺れた。
ガガンッ!!
「くっ……!」
「おいおい、それだけかよ!
昨日みてぇに突っ立ってりゃ、そのうち死ぬぞ!」
容赦のない攻勢。
胸の奥が冷たく締め付けられる。
(……このままじゃ……終わる)
けれど、剣を振ろうとするたび、胸に刺すような痛みが走る。
あのフォレストウルフのときと同じ――“奪う”ことへの恐怖。
ガルドはそれを見抜いたように嗤った。
「お前、斬れねぇんだよなぁ?
命を奪うのが怖ぇんだろ?」
「……っ!」
「だったらよ――」
耳元で、低くささやく。
「昨日仕留めた“ちっぽけなフォレストウルフ”みてぇに、
てめえの命も終わらせてやるよ」
刃が地面を叩く甲高い音。
喉がひゅっと細くなる。
ガルドは続けた。
「命の価値は強さだ。
弱い命は獣と同じ。
だから俺は、迷わず斬る。
……お前と違ってな?」
胸の奥で、何かがキィンと鳴った。
「……ちっぽけ……?」
「そうだよ。魔物も人間も弱けりゃ“ちっぽけ”なんだ」
挑発するように剣先を向けてくる。
「さぁ、来いよ。
お前の“ちっぽけな命”も――同じように終わらせてやる」
(……)
胸の中で、音を立てて何かが崩れ落ちた。
「……ちっぽけ……?」
その単語を反芻した瞬間、胸の奥で熱がせり上がる。
「命に……優劣なんて……ないっ!!」
ズンッ!!
大気が震えた。
砂ぼこりがふわりと浮き、空気が一瞬だけ重く沈む。
受験者たちが息をのんだ。
「な……っ!?」
ガルドが一歩、無意識に後ずさる。
(……胸が……熱い……!)
痛みでも怒りでもない。
ただひたすらに――“守りたい”という願いだけが燃え上がっていた。
同時に、ガルドの脳裏で記憶が弾ける。
――初めてアイザックを嘲ったあの日。
あの「一瞬だけ感じた正体不明の恐怖」。
(あれ……なんだったんだ……!?
なんで俺……あの時、戦慄したんだ……!?)
今ようやく理解する。
(……コイツ……やべぇ……!!)
僕は、一歩踏み出した。
一歩――ただそれだけなのに、風圧が走り、
刃を構えたガルドの頬に薄く切り傷が浮かぶ。
「なっ……バカな……!?」
剣を構えると、刃の周りの空気がわずかに震えていた。
光でも音でもない――残響のような、見えない揺らぎ。
(……これ……僕の……?)
ぶつかり合う――その瞬間。
「うおおおお!!」
ガルドの大剣が唸りを上げて迫る。
しかし――
ガァンッ!!
ほんの軽い合わせで、ガルドの腕が弾かれたように痺れた。
「っ……!? なんでだよ……!!」
二撃目。
カァンッ!!
剣が跳ね上げられ、空を舞う。
三撃目。
ドッ!!
ガルドの巨体が後方へ吹き飛んだ。
だが――僕の剣は、その喉元で寸前に止まる。
斬らなかった。
止めた。
その刃には、“覚悟”と“優しさ”が宿っていた。
カールアの瞳が細く鋭くなる。
(……今のは“剣気”……?
いや――そんなのどうでもいい。
確かだ。あの子の“核”は、本物だ)
模擬戦――終了。
「……勝者、アイザック・ヴァーン!」
静寂が破れ、ざわめきが走る。
「なんだ今の……力……」
「Fランクの動きじゃない……」
地面に倒れたままのガルドが、震える声で呟く。
「……なんだ……お前……
なんなんだよ……アイザック……」
答えられないまま、僕は胸に手を当てた。
(僕は……誰かを傷つけたくない。
でも――守るために振るべき刃もある)
その現実を、初めて真正面から見据えた。
◇
戦いのあと、カールアが静かに歩み寄る。
「アイザック」
「……はい」
「今日、お前は“斬らなかった”。
だがあれは――斬れなかった昨日とは違う。
“止めるために振った剣”だった」
胸の奥が少し温かくなる。
「……僕に、できてたんでしょうか」
「できていた。
そして、お前はこれからも迷い続けるだろう。
命の価値に、答えなんてないからな」
カールアは柔らかい声で続ける。
「だがな。
迷いながら振る剣にしか――救えない命もあるんだ」
(救える……命……)
「……僕は……変わりたいです」
「ああ。変われるさ。
お前は“そういう核”を持っている」
その一言が、胸にじんわり染みた。
夕暮れの風が頬を撫でる。
胸に手を当てると――
微かな脈動が返ってきた。
ズキ……ズズ……。
(……まただ……)
その瞬間――
――ちりん。
幻聴のように、祠の鈴が鳴った。
今日はなぜか、その音が誇らしく響いた。
(僕は……守るために剣を振る。
奪うためじゃない――誰かを救うために)
アイザックは静かに目を閉じる。
第二の試験――終了。
そして物語は、確かに次の扉を開け始めていた。




