第十七話 「迫られる選択と、胸を貫いた力」
ナティアに来てから、一か月が経とうとしていた。
採取、護衛、鍛錬――。
できることを毎日少しずつ積み重ねるうちに、
胸の痛みは少しずつ薄れてきた。
それでも完全に消えたわけではない。
(……それでも。前よりは、顔を上げて歩けてる)
そう自分に言い聞かせながら、ギルドの扉を押し開けた。
◇
空気がぴりつく。
――また、視線。
「ほら、あのガキ……」
「祠にすがったって噂のやつだろ」
「狩りもできねぇFランクじゃねぇか」
遠巻きの声は小さいのに、胸には重く刺さった。
(……痛い。でも、昨日よりは耐えられる)
一瞬足が止まりかけたが、歯を食いしばって前へ進む。
「アイザックくん、おはよう」
ミーナが心配そうに微笑む。
その声だけで胸の緊張がほぐれた。
「今日も依頼、見ていく?」
「……うん。見るだけでも」
狩りの依頼へ手を伸ばしかけ――
胸がひゅっと縮み、指が止まった。
(……まだ、怖い)
掴んだのは、軽めの採取依頼だった。
「これ、受けます」
ミーナは優しく頷いた。
「うん。気をつけてね」
◇
依頼を終えて戻る途中、街道の空気がざわついていることに気づいた。
(……何だ? 風向きが……変だ)
胸の奥で、警鐘のようなざわめきが走る。
その瞬間――
ゴォォォォン!! ゴォォォォン!!
街の中央塔から、重々しい“警報の鐘”が鳴り響いた。
「魔素の暴走だ!」
「森から魔物が出るぞ!」
冒険者たちが武器を抱えて走り、
ギルド職員が必死に叫ぶ。
「エルドの森で魔素の暴走を確認!
小型、中型の魔物が街道に出没中!
戦える者は防衛線に急いでください!」
(魔素の暴走……!)
胸が跳ねる。
背後から嘲る声。
「Fランクが来ても足手まといだ!」
「昨日泣きそうだったガキが戦場に出るのかよ」
「田舎者は宿に隠れてろ!」
拳が震えた。
(怖い……でも……)
胸の奥の、あの日の記憶。
何もできず死んだ前世。
誰も守れなかった悔しさ。
(――誰かが傷つくのはもっとイヤだ)
「……俺は、行く」
自分でも驚くほど、はっきりした声だった。
ミーナが焦ったように走り寄る。
「アイザックくん!? 危険だよ!」
「分かってる。でも……行かないほうが、もっと怖い」
ミーナは、少しだけ目を潤ませて微笑んだ。
「……うん。絶対に、無茶はしちゃだめだよ」
その言葉が、強く背中を押した。
◇
森の入口には、二十名ほどの冒険者が集結していた。
「来るぞ!」
「戦士前衛! 術師は後衛に!」
緊張の空気が張りつめ、森の奥が揺れる。
次の瞬間――
ドゴォォッ!!
巨大なドリンブルが木々をなぎ倒して突進してきた。
幼体とは比べものにならない速度と質量。
「どけっ!」
「ひっ――!」
冒険者が弾き飛ばされ、地面を転がる。
そして魔物は――
避難できず立ちすくむ青年へ突っ込んだ。
(やめろ……!)
胸が裂けるほど痛い。
足が震えた。
(怖い……それでも……!)
「――やめろッ!!」
叫んだ瞬間。
体の奥で何かが爆ぜた。
バチィンッ!!
魔素。霊素。
そして名前も知らない第三の力。
それらが混ざり、うねり、噴き上がる。
足元から圧が立ち上がり、
目に見えない衝撃がドリンブルへ叩きつけられた。
ドガァッ!!
「な……なんだ今の!?」
「Fランクの力じゃねぇ……!」
「成体のドリンブルは角のある獣型魔物で、Fランクでは本来相手にできない危険度――D~Cだよな?」
冒険者たちが息を呑む。
僕は――自分の手が震えていることに気づいた。
(……これ……僕の……?)
ドリンブルは気絶しているだけだった。
命は奪っていない。
(よかった……本当に……よかった)
上級冒険者が駆けつけ、魔物を拘束していく。
◇
ギルドに戻ると、ミーナが泣きそうな顔で駆け寄った。
「アイザックくん……! 無事で、本当に……よかった……!」
胸がじんわりと温かくなる。
「……僕、守れたよ。誰も……傷つけずに」
ミーナは、優しい笑みを浮かべた。
「うん……あなたは、強いよ」
◇
夜。
祠の前で、僕はそっと手を合わせた。
風はないのに――
鈴が、ちりんと鳴る。
「……守れた。奪わずに、守れた」
胸に残るのは、痛みよりも温かさ。
(……俺は、変われるのかもしれない)
小さな確信が胸の奥で、静かに灯っていた。




