第十四話 「初めての依頼と、胸に残る痛み」
翌朝。
決意して眠ったはずなのに、胸の奥に残ったざわつきは消えていなかった。
陽の光は眩しいけど足取りは異様に重かった。
理由はひとつ。
――昨日、ギルドで浴びた嘲笑だ。
扉の前で深呼吸をする。
だが、鼓動の速さはおさまらない。
(……また、昨日みたいに笑われるかもしれない)
覚悟を決めて扉を押す。
木の扉がきしむ音が、やけに大きく響いた。
◇
中に入った瞬間、数人の冒険者がこちらを振り返る。
「昨日のガキだろ」
「まだ帰ってなかったのかよ」
「なんだその顔。女みてぇに綺麗で細っこいくせに、剣なんか持ちやがって」
――肌に刺さる、嘲り混じりの視線。
アイザックの顔立ちは、幼い頃から“男の子にしては綺麗すぎる”と言われてきた。
母譲りの金と赤と茶の混じる瞳。
父譲りの柔らかな輪郭。
少年にしてはあまりに中性的で、大人も子どもも二度見するほどだ。
だが今日は、その綺麗さがただの嘲りに変わっていた。
(……無視だ。昨日みたいに騒ぎにはしたくない)
受付へ向かうと、銀髪の受付嬢――ミーナが気遣うように微笑んだ。
「おはよう、アイザックくん。今日は……依頼、受けてみる?」
「……はい。お願いします」
震えないように声を整えながら依頼板を見る。
初心者向けの採取依頼が並んでいた。
「これ……ヒーラ草の採取、受けます」
その瞬間、背後からまた声。
「採取かよ、妥当だな」
「Fランクだしな。背伸びしねぇだけマシだろ」
拳が震える。
爪が手のひらに食い込む。
(……今は堪えろ)
依頼票を受け取り、ギルドを出た。
◇
エルドの森へ続く道は静かだ。
けれど胸の奥では、昨日の嘲笑が何度も反芻されていた。
(僕……本当に冒険者になれるのか……?
強くなるって、こんなにも怖いものだったっけ)
森の湿った土の匂いが、少しだけ心を落ち着かせてくれる。
ヒーラ草の採取は順調だった。
――その時。
「……キュゥ……」
弱々しい鳴き声が聞こえた。
草むらをかき分けると、そこにいたのは小さなドリンブルの幼体。
足を怪我しているのか震えており、怯えた瞳でこちらを睨む。
「……痛いのか」
そっと近づくと、幼体は鼻を鳴らして後ずさった。
剣の柄に触れた瞬間――胸が締めつけられた。
(……これを、僕が……殺すのか)
母の言葉が過る。
『命を奪う時こそ、覚悟がいるのよ』
父の声も重なる。
『剣は振るうたび、自分の心を削る』
そして前世の記憶の残滓――
誰かを傷つけたあとの、涙と後悔だけが蘇った。
(……なんで震えてるんだ、僕……)
家畜処理の手伝いは平気だった。
もちろん食べるときは命を頂くことに感謝している。
でも――自分の手で、生きた命を絶つことになると、足がすくむ。
剣をわずかに抜いただけで、喉が苦しくなる。
涙が滲む。
呼吸が乱れる。
「……ごめん。僕……怖いんだ……」
その瞬間、幼体が恐怖に耐えきれず突進してきた。
「っ!」
反射的に剣を抜く。
斬ろうとした――まさにその刹那。
胸が ズキィッ! と痛み、腕が硬直した。
――“まだ違う”
誰の声か分からない。
けれど確かに胸の奥で響いた。
咄嗟に鞘の腹で軌道を逸らす。
幼体は転がり、森の奥へ逃げていった。
膝が崩れる。
「……ごめん……痛い思いさせて……ごめん……」
森はただ、風が木々を揺らす音を返した。
◇
戻って報告すると、ミーナが眉を寄せた。
「アイザックくん……今日、顔色が……」
「……大丈夫、です」
だが背後から、また声が刺さる。
「泣きそうな顔してんぞ?」
「採取でそれかよ。帰れ帰れ」
胸が焼けるように痛む。
なのに声が出ない。
悔しさだけが滲む。
ミーナは彼の震えに気付き、そっと報酬袋を差し出した。
「今日は……ゆっくり休んでね」
◇
宿――「風灯り亭」。
扉を開くと、暖炉の火がぱちぱちと弾ける音。
木造の温もり。
家に帰ったような安心感。
「おかえり、アイザックちゃん」
女将のラナ・フォールドが微笑む。
朗らかで、どこか母に似た温かさがあった。
「……ただいま、戻りました」
「今日は少し顔が沈んでるね。ちゃんと食べなきゃだめだよ?」
そこへ、娘のエマがひょこっと顔を出す。
十五歳、快活で人懐っこい少女だ。
「おかえり、アイザックくん。……今日も顔、綺麗」
「えっ……」
あまりにまっすぐな言葉に、アイザックは固まる。
「変な意味じゃないからね?」
エマは笑った。
「森帰りなのに肌ツヤいいし。うちの弟なんか泥まみれで帰ってくるのに!」
「姉ちゃん言いすぎ!」
カウンターの影から顔を出したのは弟のリオ、十歳。
「アイザック兄ちゃん、今日は魔物倒したの!?」
「……倒してないよ」
そう答えると、ラナとエマが自然と表情を和らげた。
「そっか。でもいいのよ?」
ラナが優しく肩に手を置く。
「何を斬るかより、自分がどう向き合うかが大事だからね」
エマも横で頷いた。
「うん。泣きそうな顔で帰ってきても、ここでは何も気にしなくていいんだよ?」
二人が横で励ますように微笑む。
胸がじん、と熱くなる。
「……ありがとう」
ラナが手を叩く。
「さ、夕食の準備ができてるよ。今日はウチの名物、野菜シチューとハーブ焼きだよ」
「……はい」
食堂のテーブルに案内されると、温かな香りがふわりと鼻をくすぐった。
湯気を立てるシチュー、香草の香りが立つ焼き野菜、柔らかいパン。
いつもなら、自然とお腹が鳴るはずなのに。
(……何も、食べたくない)
スプーンを持つ手が、わずかに震えた。
エマがそっと覗き込む。
「……あんまりお腹すいてない?」
「……うん。少しだけ……」
リオが心配そうに眉を寄せる。
「兄ちゃん、もしかして体調悪い? 痛いとこある?」
「ちがうよ。大丈夫……ただ、ちょっと疲れただけ」
ラナは何も言わず、静かにアイザックの前に温かいパンを置いた。
「無理に食べなくていいんだよ。ただ――少しだけでも口にすると、心が温まるからね」
その優しさが胸に刺さった。
パンを小さくちぎって口に入れる。
噛もうとすると、喉がきゅっと塞がる。
(……駄目だ。喉を通らない)
シチューの湯気を眺めるだけで、胸が苦しくなる。
「ラナさん……ごめんなさい。今日は……これくらいで……」
ラナは静かに微笑んだ。
「いいんだよ。人間、食べられない日だってあるさ。
気持ちが疲れたときは……心がご飯を拒否するんだよ」
エマも頷いた。
「うん。無理に食べたら余計つらくなるもん。
大丈夫、明日になれば、また食べられるよ」
「……ありがとう」
ラナに見送られながら階段を上がる。
胸が痛くて、脚が重い。
(……強くなりたいのに。
なのに……こんなことも、できないのか)
部屋に戻り、扉を閉めた瞬間――
押し込めていた感情が一気にあふれた。
「……斬れなかった……魔物なのに……ただの幼体なのに……」
悔しさ、情けなさ、優しさゆえの痛み。
それらが混ざって涙となり、静かに頬を伝う。
けれどその奥には、確かな想いが芽生え始めていた。
「……強くなりたい。
奪うためじゃなくて、守るために。
誰も傷つけずに済むくらい……強く」
それは――
小さくても消えない、確かな決意だった。




