第十三話 「Fランク冒険者、誕生」
馬車の規則的な揺れが、眠気より先に胸の不安を刺激していた。
森の奥で“ぽん”と灯った奇妙な光――あれはいったい何だったのか。
レーヴェの気配とは明らかに違う。けれど、僕の奥底に触れてくるような冷たい反応だけが残っている。
荷台には商人、旅人、近くの村の夫婦。
揺れるたびに荷物がカタカタとぶつかり、小さな音が響いた。
「ファズラン王国も最近はきな臭ぇらしいぜ」
商人のぼやきに、その場の空気が自然とそちらへ向く。
「何があったんですか?」
僕が尋ねると、商人は眉間をひそめた。
「ザルヴェイン帝国との国境付近だ。魔物が妙に増えててな。“律が乱れた”なんて噂もあるくらいだ」
――律。またその言葉だ。
胸の奥がざわりと揺れる。
旅人の女性も落ち着かない様子で続けた。
「カナシュア地方でも、魔物が普通じゃない動きをしてるって聞いたわよ」
「坊主、あんた……冒険者か?」
商人が値踏みするように僕を見る。
「そんなところです」
曖昧に返すと、商人は短く鼻を鳴らした。
「気をつけな。外の世界は村ほど優しくねぇ」
(分かってる。だけど――行かなくちゃいけない)
大きな揺れ。
前方に広がったのは、巨大な石造りの城壁だった。
「……すげぇ……」
六メートルはあるだろう。
門前には兵士、商人、冒険者たちが列を作っていた。
門をくぐった瞬間、息を呑む。
石畳を埋める人波。
レンガ造りの家々。
香草の匂い、魔道具の呼び込み、鍛冶屋の金属音。
(これが……世界か)
胸が大きく鳴った。
少し迷いながら道を尋ね、目的の建物に辿り着く。
――冒険者ギルド ナティア支部
酒場を併設した立派な木造建築。
扉を押した瞬間――
「おい見ろよ、ガキが来たぞ」
「田舎丸出しだな」
「顔だけ綺麗で中性的なのが逆にムカつくんだよ」
「ひょろっとしてるけど男か? 女か? わかんねぇな」
笑い声が飛ぶ。
茶髪のDランク冒険者がこちらを見て薄く笑った。
(……無視だ)
呼吸を整え、受付へ向かう。
「こんにちは。登録ですか?」
銀髪の受付嬢――ミーナが柔らかく微笑む。
「はい、お願いします」
「では銀貨九枚と銅貨十枚が登録料です」
(たしか銀貨一枚が二千円で、銅貨一枚が百円……
これ、二万円ってことだよな。……た、高い……!)
初めての“高い買い物”だった。
震える手で革袋から銀貨と銅貨を取り出し、カウンターへそっと置く。
「銀貨九枚に銅貨十枚、たしかに受け取りました。
続いて冒険者登録用紙の書き込み欄に記入をお願いいたします」
差し出された登録用紙には、いくつかの項目が並んでいた。
・名前(スペル必須)
・使用武器
・魔術/霊術の使用可否
・基本能力
・希望適性
ペンを取ろうとした時、ミーナが補足するように微笑んだ。
「記入は、”共通文字”でお願いしますね」
「……コモン・グリフ?」
「はい。この世界で使われている“書き文字”のことです。
話し言葉は簡単で、誰でも覚えやすいんですけど――
書き文字はすごく独特で、慣れるまではちょっと難しいと言われています」
(あ、母さんが教えてくれた文字か……
確かに……発音は日本語みたいなのに、書く文字は――アルファベットみたいだ)
ミーナは続ける。
「コモン・グリフは、はるか古代に使われていた“律文字”を簡略化したもので、
一画の角度が違うだけで意味が変わることもあるんですよ。
だから、初心者の方は苦労するんです」
(ここでも律か…)
なるほど、と自然に納得できた。
僕はペンをゆっくり握り、名前を記す。
――
Isaac Vahn アイザック・ヴァーン
――
ミーナがほんの少し驚いたように目を丸くした。
「……すごく綺麗に書けていますね。
コモン・グリフをここまで整えて書ける方は、あまりいませんよ」
(母さんが丁寧に教えてくれたおかげだ)
胸が温かくなる。
使用武器は“剣”。
魔術・霊術は両方とも「基礎レベル」と記入する。
「では適性検査へ。こちらの水晶に手を置いてくださいね」
透明な水晶に触れた瞬間――
キィィン……。
淡い光が内部を揺らめかせた。
「……珍しい反応ですね。
属性に偏らず、中心へ収束していく“均衡型”です」
胸がざわりと震える。
そして――
「判定完了――ランクは“ニュートラル系 F”。
適性区分は〈探究者〉となります」
(ニュートラル系……?)
受付嬢が補足してくれる。
「戦士でも術師でもない、中間に立つ者……珍しいですが、初めは少し不遇かもしれません」
最低寄りの評価。
だけど――これが今の僕だ。
そのとき。
「がっはは! Fランクだとよ!」
「ニュートラルって、中途半端って意味だろ!」
「親も似たようなもんなんじゃねぇの? 田舎は気楽でいいよな!」
また、あのDランクの男だ。
――ぷつん。
胸の奥で、音がした。
(僕のことは……どうでもいい)
(でも――母さんと父さんを馬鹿にするな)
体内で魔素と霊素が同時に荒れ狂う。
空気が震え、“圧”が漏れ出す。
視界が揺れ――動いていた。
ドガッ!!
拳が男の腹に沈む。
「ぐっ……!」
続けて、鞘付きのまま剣の突きを叩き込む。
ドッ!!
男の体が大きくのけ反る。
(……止まらない。止められない)
怒りが血を焼き、もっと深い“何か”が胸の奥で蠢く。
その時――
「そこまでだ」
太い腕が背後から僕を押さえつけた。
大剣を背負った屈強な男。
眼光だけで“本物の強者”と分かる。
「気持ちは分かる。だが、ここは戦場じゃない」
その一言で、熱が一気に冷めた。
「……すみませんでした」
ミーナもほっと息をつく。
胸のざわつきが収まらないまま、ギルドを出た。
夕暮れの街は暖かな灯りに包まれ、通りにはいくつもの店が並んでいる。
少し奥まった場所に、木製の看板が揺れていた。
――
「風灯り亭」
――
「今日から……お世話になります」
そう声をかけると、優しげな女将が迎え入れてくれた。
「初めての街だろう? 無理はしないことだよ。
二階の一番奥の部屋が空いてるからお入り」
疲れ切っていた心が、ふっと軽くなる。
鍵を受け取り、階段を上がる。
木の香りが心を落ち着かせた。
部屋に入り、夕食を簡単に済ませ、ベッドへ倒れ込む。
ギルドでの出来事が頭の中で渦巻く。
(……あの時の力。あれは……なんだったんだ)
魔素でも霊素でもない、もっと深い何か。
胸の奥に、あの奇妙な光が浮かび上がる。
(明日から、依頼を受けよう)
自分の力を知るために。
あの光の正体を確かめるために。
夜風が窓を揺らすなか、僕は静かに目を閉じた。
こうして――
「冒険者・アイザック」の最初の一歩が始まった。




