第十二話 「十三歳の決意、旅立ちの日」
十三歳になった頃――胸のざわつきは、もう誤魔化せないほど強くなっていた。
風の乱れは落ち着いているはずなのに、ときどき森の奥で魔素が震える。
あの日――レーヴェが姿を消した夜の残り香だけが、まだ胸の底で燻っている。
畑を手伝い、友達と笑い、父さんと模擬戦をし、夜は魔素と霊素の感覚訓練。
以前と変わらない日常の中でも、心だけが落ち着かなくなっていた。
(……僕は、このままでいいのか)
その“違和感”が形になったのは、夕暮れの丘だった。
木剣を振り終えた瞬間、父アレンが後ろから声をかけてきた。
「イザーク。最近、迷いが剣に出ているな」
父さんは僕の隣に立ち、風の止んだ空を見上げる。
「……父さん。僕、このまま村で暮らしてていいのかなって思うようになった」
「ナティアのことか」
胸が跳ねた。
ナティア――週一で来る八人乗りの馬車で、村から三時間ほどの町。
トーヴェルよりずっと大きく、冒険者も行き交う半商業都市だ。
王都ほどではないとは言え魔術や霊術を学べる場所で、村の金持ちの子が通っている“学びの街”。
父の横顔は、いつになく真剣だった。
「トーヴェルはファズラン王国……その中でも“カナシュア地方”の外れにある村だ。
この村は平和だが、世界はもっと広い。
魔術も、霊術も、人との出会いも……ここだけでは学べない」
そして、真っ直ぐに言った。
「世界を知れ。自分の足で見て、選べ。
それが――お前の強さになる」
胸の奥に、小さな火が灯った。
「……僕、強くなれるかな」
父は優しく笑った。
「強さは剣でも魔術でもない。“覚悟”だ」
その言葉が、心の奥に深く沈んでいった。
その夜。
僕は両親へ――初めて、自分の気持ちを打ち明けた。
「父さん、母さん……僕、ナティアに行きたい。
もっと外の世界を知りたい」
母セリアは驚き、そしてすぐに涙を浮かべて僕の手を握った。
「イザーク……そんな気持ち、ずっとひとりで抱えていたの……?」
父さんは静かに聞き、深く頷いた。
「行きなさい。外を知らずに大人になるより、ずっと良い」
母の声も震えていた。
「危険を感じたら帰ってきていいのよ。
でもね……あなたが選ぶ道なら、母さんは応援する」
胸の奥が熱くなった。
「……ありがとう。僕、行くよ」
その夜は、まったく眠れなかった。
翌日――旅立ちの“前日”。
昼頃、母が大きな木箱を抱えて部屋に入ってきた。
「イザーク……旅立つ前に、これを持って行きなさい」
蓋を開けると、ぎっしりと詰まった銀貨が光った。
息が止まった。
「こ、これ……全部僕に……?」
母の瞳が潤んだまま頷く。
「十三年間……少しずつ貯めた銀貨なの。
三百枚……普通に計算すると、二ヵ月は食べていける額よ」
(銀貨一枚が二千円相当だから……六十万円くらいだ)
胸が詰まった。
「母さん……ありがとう。絶対に無駄にしないよ」
母はそのまま抱きしめてくれた。
手が震えていて、僕は何も言えなかった。
夕方。
剣の練習を終えると、いつもの六人が待っていた。
コルト、リーネ、テルム、ファナ、ジョル、マリエ。
まるで言い出すのを知っていたかのように、全員が真剣な顔をしている。
コルトが一歩前へ。
「イザーク。おまえ……最近、なんか変だよな」
リーネも腕を組む。
「ソワソワしてるっていうか……絶対何か考えてる顔」
テルムは不安そうに眉を寄せる。
「おい……また森に怪しい足跡見に行ってるとかじゃねえよな……?」
(……言わなきゃ)
「みんな。実は……ナティアに行こうと思ってる」
風が止まったような静けさが落ちた。
「……ナティア?」
「本気なの……?」
「馬車で三時間のあの街!? 危ねぇんだぞ……!」
「噂だと、変な術師も多いって……」
六人が好き勝手に言う中、
ファナだけが俯いて、小さく袖を握っていた。
僕は一人一人を見るように言葉を続けた。
「この村じゃ、もう学べないことがある。
魔素も霊素も……僕は全然形にできない。
でも、強くなりたいんだ。
ちゃんと自分の足で立てるように」
ジョルが拳を握る。
「……帰ってくるんだよな?」
「もちろん。ここが――僕の帰る場所だから」
テルムの目から涙が落ちる。
「じゃ、じゃあ……行ってこいよ……!!
帰ってくるって言うなら……行ってこい!!」
「テルム、泣いてる」
「うるせぇ!!」
リーネは鼻をすすりながら言う。
「イザーク……帰ってくるまでの噂、全部集めておくからね」
マリエは泣きながら包帯の束を差し出す。
「傷……絶対、ちゃんと見てね……!」
そしてファナは――袖をつまんだまま、震える声で。
「……行く前に、もう一回……ちゃんと、話してね」
「うん。約束する」
胸が温かく、苦しかった。
翌朝――旅立ちの日。
村の入り口には、六人の友達と両親が揃っていた。
「イザーク!! 本当に行くんだな!!」
コルトが叫び、テルムはまた泣いていた。
「イザークがいねぇとツッコミ役いねぇんだよ!!」
「バカ、泣くな!」
リーネは泣きながら笑う。
「ほんとに……行くんだね」
ジョルは自作のナイフを差し込み、
「困ったら使え。……折れねぇぞ」
マリエは包帯を押しつけ、
「ぜ、絶対、ケガ放置しないでよ……!」
ファナは袖をつまんだまま、震える指先で視線を上げた。
「……帰ってきてね」
僕は全員をしっかり見つめて言った。
「みんな、ありがとう。絶対に戻ってくるよ」
その瞬間――
父と母が前へ出た。
母セリアはもう堪えきれず抱きしめる。
「イザーク……どこへ行っても、あなたは私たちの誇りだからね……」
父アレンは僕に一振りの剣を差し出した。
鞘は古く、傷だらけなのに、刃は曇っていない。
「これは……父さんの……?」
「ああ。若い頃の旅で使った剣だ。
お前なら――託せる」
柄を握った瞬間、胸の奥が熱くなる。
父は僕の肩に手を置き、静かに言った。
「迷ってもいい。倒れてもいい。
だが必ず――自分の足で立ち上がれ」
涙がこぼれそうになり、僕は強く頷いた。
「行ってきます!!」
「坊主、乗りな。もう出るぞ!」
御者の声に押され、馬車へ乗る。
村がゆっくりと遠ざかる。
畑も、丘も、友達も、両親も。
見えなくなる直前――
森の奥で、ぽん、と光が灯った。
小さく、淡く。
けれど確かに、“僕を見ていた”。
(見てろよ。僕は行く)
(律がどう選ぼうと……僕は僕の道を選ぶ)
馬車の車輪が土を踏みしめ、乾いた音を響かせた。
僕の世界が、静かに、しかし確かに――動き始めた。
こうして、僕は初めて“自分の意志で選ぶ旅”へ踏み出した。




