フィクストスター
「そんなに大量のパンどうするの」
と阪口くんは目を丸くしていた。
私が空腹を訴えてもあの悪魔はワイン一滴も出してくれなかったのだと密告すると、「神社内だから魔術が使えなかっただけかも知れないよ」という慰めと焼きプリンを貰えた。
メフィストはやたら遅く来たけれど、私は咎めず黙々とパンを食べ進めていた。
私をちらりと一瞥して、ムク犬は悪魔に姿を変える。
変身ができるのだから、魔術だって使えるはずじゃない。
恨みがましい目で見ていたのが伝わったのだろう、嘆息しながら私の隣に腰を下ろした。
それで彼を許すことにした。折角のデートなのにいつまでも怒っているのはもったいない。
「天満星、というのかしらね」
私はふと話を振ってみた。
高台にある神社なので、遮るものなく空を仰げた。
「sternklar」
メフィストの口から音が洩れた。
「シュテルンクラ―ル?」
「星がよく見える」
後で帰って阪口くんに訊いてみたら、そういう意味のドイツ語だそうである。
「Sternは星だよ」と見せてくれた辞書の、最下項目にふと目がいった。――『いとしい人、大切な人』。
――四方の天に星が散らばっていた。秋の星座がよく判る。私は南の空を指した。
「あれ、イルカ座よね?」
菱形につき出た尾びれ。
メフィストはそれを確認し、
「あの菱形をヨブの柩と呼んでいる。おれのいた方ではな。旧約聖書に因んだものらしい」
「ふぅん。よく知ってるわね」
何を今更、という表情を向けられた。
今度は北の空、有名なダブリューを見つける。
「あれね、カシオペア座。こっちでは五曜と呼んだりする。北斗七星が七曜だから」
「ヨウは、星か」
メフィストが話に乗ってくれたので、私は内心とても喜んでいた。
「そう。曜は光のこと。他にも錨星とか蝶子星、角違い星とか、たくさん呼び名があるのは大きな星座だからかしら」
「ギリシャではラコニアの鍵とも言う」
「あら、メフィストフェレス兄さんは、ギリシャみたいな土地は守備範囲外なんじゃないの」
皮肉ではなく単純に驚いて言うと、西洋の悪魔は苦々しい顔で、
「力の出ない土地だがな、行って話を聞くぐらいはできるのさ」
「悪魔って自由なようで意外に面倒なのね」
「そう思うなら」
「でも、好きでなったんでしょ?」
私は焼きプリンのふたを開ける。
こんな風に簡単に、地獄の蓋は開くのだろうか。
「好きで自分から落っこちていったんでしょ。人間は地獄に落ちるの嫌がるのに。堕天使は天使だったくせに悪魔になりたがるなんて、そんなに地獄っていいところなの?」
私も連れて行ってくれない? と言外に滲ませた思いを、メフィストは察知したらしい。
「少なくともおれたちには住み良い」
だがお前には無理だ、と滲ませてきた。
「じゃあ契約してよ。いくらでも、時間よとまれって言ってあげるのに。悪魔は魂の選り好みをするの? それとも私は、悪魔に誘われる価値もない?」
メフィストは長い息を吐いた。
そして私のほうを向いた。
「地獄の生き物はな、大体醜いものだ。このおれとて例外じゃないのさ。そんなものに、魔術をかけられたのでもないのになぜ惚れるんだお前は。アビゴルに懸想するというなら判るが」
アビゴルはサタンの軍隊にいる騎士だ。
彼らの中では珍しく、ハンサムで勇敢であるという。
わざわざ鴨のほうから葱背負って来ているのだから捕まえちゃえば良いのに。
罠だと訝しんだり、細かいところを気にしたりする彼が、好きだ。
「他のひとたちが星なら」
私は石段を降りて、立つ。
「私にとってメフィスト兄さんは、あれなのよ」
指差すのは、月天心。
一番大きなお星様。
「馬鹿かお前は」と蔑んだ声が飛んできた。
そういえばメフィストフェレスというのは、元々「光を忌避する」という意味だっけ。
と、私は阪口くんに辞書を見せて貰いながら思い出していた。
それでも、彼は私にとって、一番大きなSternなのだ。
フィクストスター:恒星
ここらへんの知識はだいぶ、ウィキペディアやら以下の本に頼っています。
『宙の名前』林完次(角川書店)
『堕ちた天使たち』ロバート・マッセロ(心交社)




