↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/12

第三章 入れ替わり/第三節 もっと良くなってほしい人

入れ替わり3


第三章 入れ替わり


第三節 もっと良くなってほしい人


 久世宗一郎と話したい。


 榊原がそう申し入れると、返事はその日のうちに来た。


『明日、午前十時でしたら』


 断られると思っていた。


 むしろ、ここまで来たら取材中止を言い渡されてもおかしくない。


 冷蔵庫を覗き、人事制度を聞き、特殊営業課まで入った。


 それでも共和食産は、榊原たちを追い出さなかった。


「それが一番分かんないんすよね」


 ホテルのロビーで、藤原が言った。


 取材四日目の朝だった。


「何が」


「普通、隠すでしょ」


「何を」


「全部ですよ」


 藤原が指を折る。


「人魚。鬼。人間の肉。入れ替わり。人外社員」


「人間の肉はまだ見てない」


「足あったじゃないですか」


「青かった」


「色の問題じゃないでしょ」


 美咲がコーヒーを飲みながら言った。


「藤原君、ちょっと慣れてきたよね」


「何がです?」


「人魚とか普通に言ってる」


 藤原が止まった。


「……やめてくださいよ」


「自分で言ったんじゃん」


「そういうの気づくと怖いんですよ」


 片桐が新聞を畳んだ。


「慣れるのは悪いことじゃないら」


「この件は慣れちゃダメでしょ」


「仕事できんぞ」


「片桐さん順応しすぎなんすよ」


「長くテレビ屋やっとると、大抵のもんは画になるかならんかで見るようになる」


「人魚も?」


「尾っぽは画になる」


「最低だ」


 榊原は黙って資料を読み返していた。


 昨夜、人事課でもらった社員向けハンドブック。


 何度読んでも文章自体はまともだった。


 有給休暇。

 育児・介護。

 相談窓口。

 外国人社員向け支援。

 ハラスメント禁止。


 その中に、


『入替措置』


 と、


『知己個体加工回避制度』


 が並んでいる。


 それだけが狂っている。


 いや。


 狂っていると思うのは、自分たちだけなのかもしれない。


「榊原さん」


 藤原が呼ぶ。


「何」


「今日、何聞くんです?」


「全部」


「またそれ」


「社長の考え」


「聞いてどうするんすか」


「番組に使えるなら使う」


 藤原が顔をしかめた。


「使う?」


「何だよ」


「これ、まだ会社紹介にする気なんすか」


「まだ決めてない」


「じゃあスクープにする?」


「それも決めてない」


「何も決めてないじゃないですか」


「だから取材してるんだろ」


 藤原が息を吐いた。


「ほんと、その言葉好きっすね」


 榊原は眼鏡を押し上げた。


「仕事だからな」


「はいはい」


「一回」


「……はい」


 藤原は榊原を見なかった。


 共和食産に着くと、久世は社長室ではなく、小さな応接室で待っていた。


 灰色の作業服。


 今日も同じだった。


「おはようございます」


「お時間ありがとうございます」


「こちらこそ」


 久世は四人分の茶を用意していた。


 藤原がそれを見る。


「社長がやったんすか」


「はい」


「秘書とかいないんです?」


「おりますけど、お茶くらい淹れられます」


「そういうもんなんすね」


 久世が笑う。


「藤原さんは、社長になるとお茶を淹れなくなる予定ですか?」


「社長になれたら考えます」


「頑張ってください」


 藤原も少し笑った。


 その自然なやり取りが、榊原には妙に腹立たしかった。


 この人は何なんだ。


 人間を商品として扱う会社の社長。


 それなのに、誰より普通だ。


「今日は撮影は?」


 久世が聞く。


 榊原は片桐を見る。


 片桐が首を振る。


「最初は話だけで」


「分かりました」


「録音は?」


「構いませんよ」


 榊原はボイスレコーダーをテーブルへ置いた。


「じゃあ、単刀直入に」


「はい」


「人間を売ってるんですか」


「はい」


 即答。


 藤原が目を伏せた。


 美咲が久世を見る。


「人魚も?」


「はい」


「鬼も?」


「はい」


「宇宙人みたいなものも?」


「扱ったことはあります」


「牛や豚と一緒に?」


「同じ施設内ではありますが、衛生区分や加工工程は種別ごとに異なります」


 まるで食品衛生の説明だった。


「そういうこと聞いてるんじゃないんです」


 榊原が言う。


「では?」


「おかしいと思わないんですか」


 久世は黙った。


 質問の意味を考えているようだった。


「何がでしょう」


「人間を食肉として扱うことですよ」


「なぜです?」


 榊原は言葉を失った。


 久世は挑発している様子ではない。


 本気だった。


「人間だからですよ」


「はい」


「人間ですよ?」


「承知しています」


「牛や豚とは違うでしょう」


 久世は少し考えた。


「違いますね」


「だったら」


「牛と豚も違います」


 榊原が止まる。


「人魚と鬼も違います。人間と人魚も違う。虫と鳥も違う。それぞれ違います」


「そういう話じゃない」


「同じ命だという話でしょうか」


「逆です」


「逆?」


「人間は人間でしょう」


「ええ」


「だから食べちゃいけない」


「なぜです?」


 また戻った。


 榊原は苛立った。


「人を殺しちゃいけないからですよ」


「牛を殺すことは?」


「食べるためでしょう」


「では、人間を食べるためなら?」


「駄目でしょう!」


 声が大きくなった。


 藤原が少し身を引く。


 久世は怒らない。


「榊原さん」


「はい」


「私は、人間の命が軽いと言っているわけではありません」


「同じことですよ」


「むしろ逆です」


 久世は茶碗を持ち上げた。


「人も虫も、一つの命です」


 静かな声だった。


「牛も。豚も。人魚も。鬼も。皆、一つです」


「だったら殺すなって話でしょう」


 榊原が言った。


「全部」


「それは難しいですね」


「なんで」


「私たちは食べなければ生きられませんから」


「植物だってある」


「植物も生きていますよ」


 榊原は黙った。


 久世は茶を一口飲む。


「私は、命を大切にしなさいという言葉が、ずっと不思議でした」


「どうして」


「大切だから食べない、という意味なら、人間はほとんど何も食べられません」


「だからって人間を食べる理由にはならない」


「理由ではありません」


「じゃあ何なんです?」


「線を引かないだけです」


「線?」


「これは食べてよい。これは食べてはいけない。これは殺してよい。これは殺してはいけない」


 久世は指先でテーブルに一本の線を引くような仕草をした。


「皆さん、その線をどこかに引いています」


「普通でしょう」


「ええ」


「社長は引かない?」


「なるべく」


「人間と虫も?」


「同じ命です」


「じゃあ蚊も殺さない?」


「殺しますよ」


 あっさり答えた。


 藤原が顔を上げる。


「殺すんすか」


「刺されたくありませんから」


「じゃあ矛盾してるじゃないですか」


 久世が笑った。


「そうでしょうか」


「命は平等なんですよね?」


「はい」


「なら蚊も殺さないでしょ」


「平等に大切だからといって、殺してはいけないとは限らないでしょう」


「分かんないっす」


「私も食べられたくありません」


 久世が言った。


 榊原が目を細める。


「社長も?」


「ええ。痛いでしょうし、死にたくありません」


「じゃあ、あんたは商品にならない?」


「条件次第ではなります」


 美咲が驚く。


「社長でも?」


「社長だから例外、という方がおかしくありませんか」


「でも嫌なんですよね」


「嫌ですよ」


「だったら逃げるでしょう」


「できるなら」


「会社の権限で外れるとか」


「しません」


「なんで?」


 久世は少しだけ考えた。


「牛だって、食べられたくはないでしょうから」


 榊原は背もたれへ身体を預けた。


 理解できない。


 でも筋だけは通っている。


「嫌であることと」


 久世が続ける。


「許されないことは、別だと思っています」


 藤原が小声で、


「怖えな、この人」


 と言った。


 久世が笑う。


「よく言われます」


「聞こえてたんすか」


「すぐそこですから」


「すんません」


「構いません」


 榊原はレコーダーを見た。


 赤いランプ。


 全部録れている。


 使える。


 使えるどころではない。


 もしこれをそのまま出せば、何が起きる。


 炎上。


 警察。


 行政。


 全国ニュース。


 いや。


 人魚も鬼も存在することから説明しなければならない。


 誰が信じる。


 映像はある。


 でも、あの程度で?


 CGだと言われれば終わる。


「社員の入れ替わりについては」


 榊原が聞いた。


「社長はどう考えてるんです」


「人事制度です」


「それだけ?」


「それだけ、とは?」


「田所さんですよ。前の田所さんと今の田所さん、全然違う」


「評価は改善しました」


「そういう話じゃない」


「職場では重要ですよ」


「前の本人はどうなる」


「本人の契約によります」


「商品になることも?」


「あります」


「それを平気でやる?」


「平気ではありません」


「でもやる」


「仕事ですから」


 榊原は笑った。


 乾いた笑いだった。


「それ、便利な言葉ですね」


「そうですね」


 久世も否定しない。


「榊原さんもよく使われています」


 藤原が思わず吹き出した。


 榊原が睨む。


「何」


「いや」


「笑っただろ」


「笑いました」


「正直だな」


「榊原さんが言われる側になるの珍しいなって」


 久世が二人を見る。


「仲がよろしいんですね」


「悪いです」


 藤原が即答した。


 榊原も同時に、


「よくないです」


 と言った。


 久世が笑った。


「息は合っています」


「そこだけです」


 藤原が言う。


 榊原は話を戻した。


「評価が悪ければ、その人は替えられる」


「一定条件下では」


「それって更生とは逆じゃないですか」


「なぜです?」


「良くなる機会を与えてない。駄目なら別のやつに替えてるだけだ」


 久世が榊原を見る。


「十分に機会は与えます」


「何回?」


「人によります」


「田所さんは?」


「個別情報です」


「結局それか」


「前歴があるからといって、何でも許されるわけではありません」


「だからって本人を消す?」


「消すという表現は正確ではありません」


「じゃあ何て言う」


「入れ替わりです」


 そのまま。


 またそのまま。


 この会社は、恐ろしいことほど名前が簡単だった。


「人は、もっと良くなれる」


 榊原が言った。


「廊下の標語」


「はい」


「今聞くと、全然意味違いますね」


 久世は少し笑った。


「どちらの意味でしょう」


「良くなれないなら良いやつに替える」


「そう受け取られましたか」


「違うんですか」


「それだけではありません」


 久世は窓の外を見る。


「三浦さんをご覧になりましたね」


「はい」


「田所さんも」


「はい」


「彼らが入社した時点で、社会から良い評価を受けていたと思いますか」


「それは」


「前科。失業。借金。依存。暴力。いろいろあります」


「だから雇う」


「はい」


「でも評価が下がれば替える」


「働く場所を用意することと、働かなくてよいことは別です」


 榊原は返せなかった。


「私は、更生という言葉をあまり使いません」


「会社は使ってますよ」


「広報には便利ですから」


 美咲が少し笑った。


「そこは正直なんですね」


「更生したかどうかを、私が決めるのも妙でしょう」


「じゃあ何を決めるんです?」


「働けるかどうかです」


 久世は答えた。


「ここで」


 それだけだった。


 善悪ではない。


 人間か、人外かでもない。


 働けるか。


 そこにいるか。


 役割を果たすか。


 榊原にはそれが冷酷に思えた。


 同時に、妙に公平でもあった。


 取材は一時間を超えた。


 榊原がレコーダーを止める。


「ありがとうございました」


「こちらこそ」


 立ち上がる。


 藤原はすぐ扉へ向かった。


 美咲と片桐も機材をまとめる。


 榊原が最後になった。


「榊原さん」


 久世が呼んだ。


「はい」


「一つだけ」


「何でしょう」


 久世はいつもの笑顔だった。


「もっと良くなって欲しい方、いらっしゃいませんか?」


 榊原は意味を理解するのに一瞬かかった。


「……何です?」


「弊社の制度を見て、そう思う方がいらっしゃることがあります」


「誰か替えたい人がいるかって聞いてる?」


「替えるとは申し上げておりません」


「同じでしょ」


「もっと良くなって欲しい方です」


 笑顔。


 柔らかい声。


 だから余計に怖かった。


「いませんよ」


「そうですか」


「普通はそう答えるでしょ」


「普通でしょうか」


「普通です」


「分かりました」


 久世はそれ以上追わなかった。


 榊原は扉を開けた。


 廊下で藤原が待っている。


「長いっすよ」


「先行ってろよ」


「機材榊原さんのもあるんで」


「珍しく気が利くな」


「そういう言い方するでしょ」


「何が」


「別に」


 二人で歩き出す。


 榊原は久世の言葉を思い出した。


 もっと良くなって欲しい方。


 反射的に、隣を見た。


 藤原。


 遅刻寸前。


 言葉遣いが雑。


 機材も雑。


 すぐ文句を言う。


 でも。


 榊原はすぐ視線を前へ戻した。


「何すか」


 藤原が気づいた。


「別に」


「今絶対なんか思ったでしょ」


「五分早く来ればいいのになって」


「またそれかよ」


「事実だろ」


「ほんと嫌いだわ」


「知ってる」


 二人はそのまま廊下を歩いた。


 帰り支度を終え、駐車場へ出る。


 美咲と片桐は先に車へ。


「俺、マイク忘れた」


 藤原がポケットを探る。


「どこに?」


「応接室かも」


「早く取ってこい」


「はいはい」


「一回」


「はい」


 藤原が事務棟へ戻る。


 榊原はため息をついた。


「ほんと五分足りないな、あいつ」


 片桐が車の荷台を閉める。


「若い頃なんてそんなもんだら」


「片桐さん、藤原に甘いですよね」


「榊原が細かすぎるだよ」


「俺?」


「お前」


 美咲も頷く。


「私もそう思います」


「なんで俺が責められてんの」


「人には評価厳しいんですよ、榊原さん」


「仕事だろ」


「ほら」


 またその言葉。


 仕事。


 榊原は何となく言い返さなかった。


 五分ほどしても、藤原は戻ってこなかった。


「遅いな」


 榊原が言う。


「電話したら?」


 美咲。


 その時、事務棟から藤原が出てきた。


 マイクを片手に持っている。


「ありました」


「どこに」


「応接室」


「五分も何してた」


「社長とちょっと喋ってました」


 榊原が見る。


「何を?」


「別に」


「何だよ」


「榊原さんに言う必要ないでしょ」


「仕事の取材先だぞ」


「仕事じゃない話っすよ」


 藤原は助手席側の後部ドアを開ける。


「早く帰りましょう」


「変な奴」


「榊原さんにだけは言われたくない」


 車が駐車場を出る。


 バックミラーの向こうで共和食産が小さくなる。


 藤原はスマートフォンを見ていた。


 口元が、少しだけ笑っている。


「何笑ってんだ」


 榊原が聞く。


「別に」


「気持ち悪いな」


「もうちょっと人の気持ち分かる人になった方がいいですよ」


「は?」


「なんでもないっす」


 藤原は窓の外を見た。


 数分前。


 応接室へ戻った藤原は、マイクを拾った。


「すみません、忘れ物しました」


「どうぞ」


 久世はまだ席にいた。


 藤原がマイクをポケットへ入れる。


 帰ろうとした時、


「藤原さん」


 呼び止められた。


「はい?」


「先ほどの質問」


「質問?」


「もっと良くなって欲しい方です」


 藤原は笑った。


「榊原さんには聞いたんですよね」


「はい」


「なんて?」


「いらっしゃらないと」


「でしょうね」


 藤原は鼻で笑った。


「自分以外はみんな直したがるくせに」


「榊原さんがお嫌いですか?」


「嫌いっすよ」


 即答だった。


「細かいし。人の話聞かないし。自分が正しいと思ったら止まんないし」


「なるほど」


「取材って言えば何やってもいいと思ってるし」


「では」


 久世は笑った。


「榊原さんに、もっと良くなって欲しい?」


 藤原は少し考えた。


 深刻には考えなかった。


 社長の妙な冗談くらいに思った。


「まあ」


 笑う。


「もうちょっと人の気持ち分かる人になったら、いい人なんじゃないですか」


 久世は頷いた。


「承知しました」


「え?」


「ご意見として」


「ああ」


 藤原は肩をすくめる。


「本人には言わないでくださいよ」


「もちろんです」


「マジで面倒くさいんで」


「分かりました」


 それだけだった。


 藤原は部屋を出た。


 久世は一人になった。


 机の上の内線電話へ手を伸ばす。


 受話器を取る。


「久世です」


 少し間。


「待機の確認をお願いします」


 さらに間。


「いえ、まだ推薦だけです」


 久世は窓の外を見る。


 駐車場で、榊原が腕時計を見ている。


「条件は」


 久世が微笑む。


「三十代男性。映像職。少し頑固だそうです」


 受話器の向こうで、何か返事があった。


「はい」


 久世は答える。


「できれば、人の気持ちが分かる方を」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。