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第一章 いい会社/第三節 田所さん

いい会社3


第一章 いい会社


第三節 田所さん


 田所浩二は、カメラを向けられた瞬間から機嫌が悪かった。


「だからよ、撮るなら先に言っとけっつったら」


 四十手前。日に焼けた顔。短く刈った髪。首筋には古い火傷のような痕がある。


 一次加工の現場からそのまま連れてこられたらしく、白衣の袖口にはまだ水滴が残っていた。


「昨日からお伝えしてますけど」


 美咲が笑顔で返す。


「聞いとらん」


「田所さん、朝礼にも出てましたよね?」


「朝礼なんか聞いとらんよ」


「堂々と言わないでください」


 美咲が苦笑する。


 片桐はすでにカメラを回していた。


 藤原はマイクのレベルを見ながら、田所の顔をちらちら見ている。


 榊原は少し離れた場所から質問票を確認した。


「田所さん、共和食産には何年くらい?」


「六年」


「入ったきっかけは?」


「仕事なかったから」


「前職は?」


「いろいろ」


「前科について聞いても?」


 田所は露骨に顔をしかめた。


「それ撮るの?」


「嫌なら使いません」


「じゃあ聞くなよ」


「でも、聞かないと分からないので」


「めんどくせえな」


 田所は椅子の背にもたれた。


「傷害」


「服役も?」


「した」


「出所後にここへ?」


「そう」


「更生支援という言葉についてはどう思いますか」


「知らん」


 早い。


「知らん?」


「更生だなんだ、そんなん会社が勝手に言っとるだけだら。俺は金ええからおるだけ」


「待遇はいい?」


「悪かったら六年もいねえよ」


「会社に感謝は?」


「ない」


 藤原が小さく鼻で笑った。


 田所がすぐそちらを見る。


「なんだよ」


「いや、別に」


「今笑ったら」


「笑ってないっす」


「笑ったじゃん」


「笑ってないですって」


「お前、さっきから感じ悪いに」


「田所さんも大概じゃないっすか」


 榊原が藤原を見る。


「藤原」


「はい」


「黙って」


「俺悪くなくないですか?」


「黙って」


 藤原は不満そうに口を閉じた。


 田所は面白くなさそうに舌打ちした。


「若いの、最近こういうの多いな」


「すみません」


 美咲が頭を下げる。


「美咲さんが謝ることじゃないら」


 さっきまでの態度からすると、妙にそこだけ筋が通っている。


「で、他に聞くことある?」


 榊原が質問票へ目を落とした。


「仕事で気をつけていることは?」


「怪我せんこと」


「新人に言いたいことは?」


「勝手なことすんな」


「会社に直してほしいところは?」


「人事評価」


 榊原が顔を上げた。


「評価?」


「うるせえんだよ、あれ」


 田所は苛立ったように足を組み直した。


「遅刻何回、注意何回、作業速度どうだ、協調性どうだ。学校かよ」


「普通の会社でもありますよね」


「ここ細けえんだよ」


「評価悪いんですか?」


「余計なお世話だら」


 そのとき、食堂の入口から若い事務員が顔を出した。


「田所さん、すみません」


「なに」


「人事からです」


 白い封筒を差し出す。


 田所は受け取って、表を見るなり顔を歪めた。


「またかよ」


 榊原の位置から、封筒の文字が見えた。


人事評価通知


 田所はそのまま作業着のポケットへ押し込んだ。


「撮んなよ、これ」


「撮ってません」


 片桐が答える。


「ほんとか?」


「ほんとだよ」


「カメラ回ってるじゃん」


「回ってても全部使うわけじゃないら」


「テレビって信用ならんね」


「お互いさまだら」


 片桐が淡々と返す。


 田所は一瞬きょとんとして、それから少し笑った。


「おっさん、言うね」


「お前より年上だでな」


「見りゃ分かる」


 空気が少しだけ緩んだ。


 結局、田所のインタビューは十五分ほどで終わった。


 使えるかどうか微妙だった。


 でも榊原は嫌いではなかった。


 三浦とは違う。


 もっと分かりやすく人間臭い。


 苛立つ。

 舌打ちする。

 余計なことを言う。

 でも美咲が謝ると止める。


 善人でも悪人でもない。


 ただ、付き合うのが面倒な男だった。


「終わり?」


「ありがとうございました」


「じゃ、戻るで」


 田所は立ち上がる。


 藤原とすれ違うとき、肩が軽く当たった。


「邪魔」


「そっちが当たったんでしょ」


「通路塞いどるのそっちだら」


「はいはい」


 田所が振り返る。


「その言い方なんとかならんか」


「そっちもっすよ」


「藤原」


 榊原が言う。


「はいはい」


「一回」


「はい」


 田所は鼻で笑って食堂を出ていった。


 その後、榊原たちは総務、人事、品質管理と一通り撮影した。


 共和食産は、どこを見ても普通だった。


 普通というより、むしろきちんとしている。


 備品は整理されている。

 廊下にゴミはない。

 外国人向けの掲示には日本語、英語、ベトナム語、ネパール語が並んでいる。


 社員食堂の入口には健康相談の日程表。


 その横には、


『今期評価面談実施中』


 という掲示。


 藤原が立ち止まる。


「これ、さっき田所さん言ってたやつっすね」


「だろうな」


「評価悪いとクビですかね」


「どこの会社でもそういうことはあるだろ」


「共和さん、前科者に優しいのにそこは厳しいんだ」


「雇った後まで甘やかすのと支援は別だろ」


「榊原さん、共和の人みたいなこと言うじゃないですか」


「普通のこと言ってるだけ」


 片桐が先へ歩きながら言う。


「お前ら、廊下ででかい声で話すな」


「はい」


「ういっす」


「藤原」


「はい」


 午後五時前、初日の撮影は終わった。


 久世が玄関まで見送りに出た。


「本日はありがとうございました」


「こちらこそ。明日もよろしくお願いします」


「はい。明日は社員寮からでしたね」


「午前中に少し追加インタビューも」


「承知しました」


 久世は四人に一礼した。


 榊原たちも頭を下げる。


 車へ向かう途中、藤原が振り返った。


「いい人っすね、社長」


「そうだな」


「なんか悔しいっすね」


「何が」


「榊原さん、絶対裏あると思ってるでしょ」


「別に」


「顔に出てますよ」


「俺の顔そんな分かりやすい?」


「ほくろの位置で分かる」


「関係ないだろ」


 美咲が笑った。


「でも本当にいい会社じゃないですか」


「まだ一日目」


「またそれ」


「取材ってそういうもんだろ」


「性格悪いなあ」


「仕事熱心と言え」


「嫌です」


 そのままホテルへ戻る予定だったが、片桐が、


「飯どうする?」


 と聞いた。


 藤原が即答する。


「飲みたいっす」


「お前運転せんもんな」


「片桐さん明日も運転っすよね?」


「だから俺は飲まん」


「じゃあ決まり」


「お前が決めるな」


 結局、地元の居酒屋へ入った。


 駅から少し離れた、古い店だった。


 カウンターと小上がり。

 壁には地元サッカーチームのポスター。

 メニューは刺身、焼き鳥、黒はんぺん、もつ煮。


 美咲は鰹の刺身。

 片桐はウーロン茶。

 藤原は生ビール。


 榊原は冷酒を一合頼んだ。


「明日も仕事ですよ」


 美咲が言う。


「一合だけ」


「そう言って増えるやつ」


「増やさない」


 カウンターの向こうで、店主が皿を拭いていた。


 六十代くらい。


 藤原が何気なく聞いた。


「共和食産って、この辺じゃ有名なんすか?」


 店主が顔を上げる。


「共和さん?」


「今日取材行ってたんです」


「ああ、テレビ屋さんか」


「ケーブルですけど」


「昔っからあるよ」


「評判いいですよね」


「悪い話は聞かんねえ」


 隣の常連らしい男が割って入る。


「良すぎるって話はあるけんね」


 五十代くらい。赤ら顔。


 榊原が視線を向ける。


「良すぎる?」


「前科持ちでも雇う。外国人にも金出す。給料も悪くない。辞める奴も少ない」


「それの何が?」


「そんなうまい話あるかね」


 男は笑った。


「反社と付き合いあるって話もあるだに」


 藤原がすぐ食いつく。


「マジっすか」


「おい」


 店主が男を睨む。


「適当なこと言うな」


「噂だら」


「噂なら何言ってもいいわけじゃない」


「でも聞いたことあるら?」


 店主は皿を置いた。


「昔からある会社には昔から噂もつく」


「どんな噂です?」


 榊原が聞く。


 店主は少し困った顔をした。


「夜中に変なトラックが入っとるとか」


「変な?」


「ナンバー見たことないとか。運転手が日本人じゃなかったとか」


 藤原が笑う。


「外国人雇ってるなら普通じゃないですか」


「あと、辞めた奴をまた見たとか」


「それ何です?」


「知らんよ。俺が見たわけじゃない」


 常連の男が嬉しそうに続ける。


「死んだはずの人間が働いとるって話もある」


 美咲が吹き出した。


「それもう幽霊じゃないですか」


「だから噂だって」


「反社から幽霊まで行くんですね」


「評判いい会社ほど、みんな悪い話作りたがるもんだら」


 片桐が言った。


「まあ、そういうもんだ」


 榊原は黙って酒を飲んだ。


 反社。


 夜中のトラック。


 辞めた人間。


 死んだはずの社員。


 どれも地方の会社にはありがちな噂話だった。


 大した話ではない。


 ただ一つだけ、頭に引っかかった。


 辞める奴が少ない。


 従業員百八名。


 祖父の頃から。


 榊原はポケットからメモ帳を出した。


「仕事?」


 美咲が呆れる。


「一応」


『108名。離職率?』


 そう書いた。


 藤原が横から覗く。


「ほんと性格悪いっすね」


「調べるだけだよ」


「いい会社を悪く撮ろうとしてる」


「事実確認」


「そういうとこ嫌われるんすよ」


「お前に?」


「まあ、はい」


 あっさり言った。


 榊原は藤原を見た。


「知ってる」


「知ってたんすか」


「態度で分かる」


「じゃあ直してくださいよ」


「仕事できるようになったら考える」


「ほら、そういうとこ」


 藤原はビールを飲んだ。


 片桐が笑う。


「仲ええな、お前ら」


「よくないです」


 二人の声が重なった。


 翌朝。


 共和食産へ入ると、昨日と同じ受付。

 同じ消毒液の匂い。

 同じ灰色の床。


 違っていたのは、田所だった。


 廊下の向こうから歩いてくる。


 榊原は一瞬、別の社員だと思った。


 歩き方が違ったからだ。


 背筋が伸びている。


 昨日のように肩で風を切る歩き方ではない。


 田所は四人に気づくと足を止めた。


 そして、軽く頭を下げた。


「おはようございます」


 藤原が口を開けたまま止まった。


 田所は榊原を見た。


「昨日は大変失礼いたしました」


「……え?」


「撮影中にもかかわらず、あのような態度を取ってしまいまして。申し訳ありません」


 丁寧だった。


 あまりに丁寧だった。


 方言もない。


 榊原は思わず笑った。


「田所さん、ですよね?」


「はい」


 田所も笑う。


「もちろんです」


「昨日とずいぶん雰囲気が」


「反省しました」


「一晩で?」


「人間、反省することもあるでしょう」


 田所は胸ポケットから社員証を取り出し、廊下の扉にかざした。


 電子音。


 扉が開く。


「それでは、今日もよろしくお願いいたします」


 頭を下げて去っていく。


 藤原が小声で言った。


「なにあれ」


「知らん」


「怖くないっすか?」


「反省したんだろ」


「榊原さん今絶対そう思ってないでしょ」


 榊原は答えなかった。


 横を見る。


 片桐が、去っていく田所を見ていた。


「どうしました?」


 美咲が聞く。


 片桐は少し黙った。


「昨日、あいつ右で煙草吸っとったよな」


「え?」


「社員証」


 田所が消えた廊下を見る。


「今、左で出したら」


 榊原は眼鏡を押し上げた。


「それだけ?」


「それだけ」


「利き手なんて両方使う人いるでしょ」


 美咲が言う。


「そうだな」


 片桐は頷いた。


 それ以上、誰も何も言わなかった。


 廊下の先。


 田所の姿はもう見えない。


 壁には昨日と同じ標語が貼られていた。


『人は、もっと良くなれる。』


 榊原はなぜか、昨日よりその字が大きく見えた。

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