第一章 いい会社/第二節 人間っていいな
いい会社2
第一章 いい会社
第二節 人間っていいな
社員へのインタビューは、食堂の端を借りて行うことになった。
昼食にはまだ早い時間で、長机の上には椅子が逆さに載せられている。壁際には給茶機と自動販売機。奥には厨房へ続くカウンターがあり、その上に、
『本日の定食 豚の生姜焼き』
と手書きされたホワイトボードが置かれていた。
藤原がそれを見て言った。
「食肉工場って、社員食堂もやっぱ肉なんすね」
榊原は振り返った。
「何だと思ってたんだよ」
「いや、毎日肉見てたら食いたくなくならないのかなって」
機材を組んでいた片桐が言った。
「魚屋が魚食わんとは限らんら」
「そういうもんですか」
「知らんけど」
「知らないんすか」
「お前、マイク立てろ」
「はいはい」
「はいは一回」
「片桐さんまで榊原さんみたいになってきたな」
榊原は聞こえないふりをした。
今日のインタビュー候補として、会社側が十人ほど名前を挙げていた。
元受刑者。
外国人社員。
管理職。
若手社員。
長期勤続者。
その中から、テレビ映えしそうな人物を榊原が選ぶ。
最初に座ったのは、三浦亜紀だった。
三十二歳。
肩までの黒髪を後ろで一つに結び、化粧はほとんどしていない。共和食産の白い作業服を着ているせいもあって、年齢より少し若く見えた。
だが表情には愛想がない。
椅子に腰を下ろすなり、
「これ、顔出るんですよね」
と聞いた。
「はい。ただ、嫌なら後ろ姿だけでも」
美咲が答えた。
「別にいいです」
「お名前も?」
「いいですよ」
榊原がカメラ横から聞く。
「前歴についても、お話しいただける範囲で」
「盗みです」
早かった。
美咲が一瞬だけ目を瞬いた。
「窃盗で?」
「はい」
「差し支えなければ、どのくらい――」
「何回かやって、捕まって、刑務所行きました」
三浦は淡々としている。
隠すつもりも、反省している姿を見せるつもりもないらしい。
榊原は少し身を乗り出した。
「出所後、仕事探しは大変でしたか」
「まあ」
「何社くらい?」
「覚えてないです」
「十社以上?」
「それくらいじゃないですか」
「共和食産は?」
「一発」
「前科については?」
「聞かれましたよ」
「それでも採用された」
「みたいですね」
美咲が笑顔を作る。
「それって、三浦さんにとって大きかったですか?」
三浦はしばらく考えた。
「別に」
榊原が心の中で少し笑った。
美談には使いづらい。
「更生のきっかけになった、とか」
「更生って言葉、嫌いなんですよ」
美咲の表情がわずかに変わった。
「どうしてですか?」
「なんか大げさじゃないですか」
三浦は膝の上で手を組んだ。
「朝来て、仕事して、給料もらって、帰る。それだけです。別に生まれ変わったわけじゃないし」
榊原が眼鏡を押し上げた。
これは使える。
「じゃあ共和食産は、三浦さんにとってどういう会社です?」
「金くれる会社」
片桐がカメラの後ろで少し肩を揺らした。
三浦が気づく。
「なんですか」
「いや」
「笑ったでしょ」
「笑っとらんよ」
「絶対笑った」
少しだけ、三浦の表情がほどけた。
美咲も笑う。
「ご家族はいらっしゃるんですか?」
「いません」
「ご両親とか」
「疎遠です」
「結婚は?」
「してません」
「お子さんも?」
「いませんよ」
今度は少し強く答えた。
美咲はすぐ話題を変えた。
「休日は何をされてます?」
「寝てます」
「趣味は?」
「ないです」
「好きな食べ物は?」
三浦はカウンター上のホワイトボードを見た。
「肉以外」
一同が笑った。
三浦も、今度は少しだけ笑った。
撮影を終えると、彼女は椅子から立ち上がった。
「もういいですか」
「ありがとうございました」
「放送いつです?」
「来月予定です」
「覚えてたら見ます」
三浦はそう言って食堂を出ていった。
扉が閉まる。
藤原が小声で言った。
「感じ悪いっすね」
榊原は即座に返した。
「マイク生きてるぞ」
「え」
藤原が慌ててレベルを見る。
片桐がため息をついた。
「そういうとこだぞ」
「切ってました。大丈夫っす」
「大丈夫かどうかの話じゃない」
藤原は口を尖らせた。
「でも、絶対いい人ではないですよね」
「テレビはいい人選手権じゃない」
榊原はさっきのメモを見返した。
『別に生まれ変わったわけじゃない』
その言葉に丸を付けた。
次にやって来たのは、戸崎源治だった。
四十六歳。
太い首に短い髪。両腕が太く、作業服の袖口から古い傷がいくつも見える。
見るからに怖い。
ところが椅子へ座る前に、戸崎は藤原の足元を指さした。
「兄ちゃん、それ線そこ通したら危ないら」
「え?」
「誰か引っかけるに」
戸崎はしゃがみ、藤原が適当に這わせていた音声ケーブルを壁際へ寄せ始めた。
「あ、すんません」
「こういうのは端通しときゃええよ」
「ありがとうございます」
「テレビ屋も大変だな」
怖い顔で笑った。
インタビューが始まる。
戸崎の前科は傷害だった。
「昔はすぐ手が出たでな」
「今は?」
「出さんよ」
「どうして変わったんです?」
「歳だら」
戸崎は笑う。
「若い頃はな、舐められたら負けだと思っとった。今は舐められたって腹は減るし、殴ったって給料増えんじゃん」
美咲が笑った。
「後輩の面倒もよく見ているそうですね」
「そうか?」
「外国人社員の役所の手続きまで付き添ったとか」
「あいつら日本語読めても役所の日本語は読めんら」
「戸崎さんは読めるんですか?」
「俺も半分わからんよ」
また笑いが起こる。
榊原は、三浦より戸崎の方が番組向きだと思った。
前科を隠さず、でも今は穏やか。
方言もある。
見た目との落差もある。
いかにも地方局が好きそうな人物だった。
撮影を終え、戸崎が立ち上がる。
「昼までまだ時間あるら。工場ん中、もうちょい見てくか?」
「いいんですか?」
「社長が好きに見ろって言ったんだろ」
戸崎の案内で、再び建物の外へ出ることになった。
加工棟の裏には、従業員用の駐車場と小さな喫煙所、その向こうに倉庫がある。
海からの風がわずかに湿っていた。
戸崎が歩きながら、すれ違う社員一人ひとりに声をかける。
「ミン、午後の検査頼むな」
「はい」
「ラジェシュ、腰どうだ」
「今日は大丈夫です」
「無理すんなよ」
外国人社員にも、日本人社員にも態度は変わらない。
榊原は少し感心した。
そのとき、倉庫の脇から一匹の猫が出てきた。
痩せた茶トラだった。
人に慣れているらしく、戸崎の足元まで近寄ってくる。
「またお前か」
戸崎が言った。
猫が鳴く。
次の瞬間、戸崎の安全靴が猫の脇腹を軽く蹴った。
猫が短い声を上げ、二メートルほど逃げる。
美咲の顔から笑顔が消えた。
「ちょっと」
「ん?」
「今、蹴りましたよね」
「邪魔だら」
「だからって蹴らなくても」
戸崎は不思議そうに美咲を見た。
「野良猫だぞ?」
悪びれていない。
むしろ何を責められているのか、本当に分からない顔だった。
猫がもう一度、離れた場所からこちらを見る。
「源さん」
後ろから声がした。
三枝静だった。
四十代前半くらいに見える細身の男で、就労支援室の職員だと聞いている。
作業服の上着を腕にかけ、片手には小さなじょうろを持っていた。
三枝は猫の前にしゃがんだ。
猫は逃げなかった。
「蹴らなくてもいいでしょう」
「またゴミ漁るんだよ、そいつ」
「だからといって蹴る必要はありません」
「猫だぞ」
「知っています」
三枝は猫を抱き上げた。
猫は抵抗もせず、その腕の中に収まった。
戸崎は肩をすくめる。
「三枝さんは優しいねえ」
「源さんは人には優しいですよね」
「人はな」
即答だった。
三枝は少しだけ笑った。
「そこが不思議なんですよ」
「何が?」
「いえ」
それ以上は言わなかった。
戸崎はもう興味を失ったらしく、
「じゃ、俺戻るで」
と加工棟へ向かった。
途中で若い社員に呼び止められ、何か相談される。
戸崎は足を止め、真剣に話を聞き始めた。
さっき猫を蹴った男と同じ人物とは思えないほど、穏やかな顔をしていた。
美咲が小声で言った。
「何なんですか、あの人」
榊原は答えなかった。
そういう人間なのだろうと思った。
人には優しい。
猫には優しくない。
世の中には、そういう境界線をはっきり引ける人間もいる。
三枝は猫を地面へ下ろした。
「この辺に居着いてしまいまして」
「三枝さんが餌あげてるんですか?」
美咲が聞く。
「いいえ。餌をやると増えてしまいますから」
「そこは冷静なんですね」
「好きにすることと、世話をすることは違いますから」
三枝はじょうろを持ち直した。
「花壇、見ますか?」
加工棟の裏手、フェンス沿いに小さな花壇があった。
会社の施設としては妙に丁寧に手入れされている。
マリーゴールド。
日日草。
名前の分からない細い葉の植物。
「三枝さんが?」
「だいたい私が」
「趣味ですか?」
「そうですね」
三枝は花壇へ水をやり始めた。
陽射しは強かった。
他の社員なら日陰へ入りたくなる時間だが、三枝はむしろ顔を太陽へ向けるように立っている。
藤原が額の汗を拭った。
「暑くないんすか」
「気持ちいいですよ」
「マジすか」
「藤原さんは暑いですか?」
「めちゃくちゃ暑いです」
「人によりますね」
三枝は楽しそうだった。
榊原たちは少し離れ、片桐が花壇のインサート映像を撮り始めた。
地域に根ざした企業。
社員が手入れする花壇。
使いやすい画だった。
そのとき、小さな鼻歌が聞こえた。
三枝だった。
「いいな、いいな、人間っていいな……」
美咲が振り返る。
「懐かしい」
三枝が歌うのをやめた。
「すみません」
「いえいえ。三枝さん、『日本昔ばなし』好きなんですか?」
「ええ。好きですよ」
「私も子供の頃、再放送見てました」
「そうですか」
「懐かしいですよね」
三枝はじょうろを傾けたまま、少しだけ考えた。
「はい」
水が土へ染み込んでいく。
「とても懐かしいです」
片桐のカメラが回っていることに気づき、三枝は恥ずかしそうに笑った。
「今のは使わないでくださいね」
「いい画ですよ」
榊原が言う。
「地域の会社で、昼休みに花壇の世話しながら昔話の歌を歌う就労支援担当。最高じゃないですか」
「そう言われると嫌ですね」
三枝は笑った。
「人間っていいな、ですか」
藤原が鼻歌の続きを真似する。
「確かに、いい歌っすよね」
「でしょう?」
三枝が嬉しそうに言った。
その表情に、変わったところは何もなかった。
穏やかで、人当たりがよく、猫にまで優しい。
就労支援室で働くには、いかにも向いている人物だった。
「三枝さんは、この会社長いんですか?」
榊原が聞いた。
「長いですよ」
「何年くらい?」
三枝はまた少し考えた。
「かなり」
「かなりって」
「正確には覚えていません」
「十年?」
三枝は微笑んだ。
「もっとです」
「二十年?」
答えなかった。
代わりに花壇へ目を戻した。
榊原も深くは追わなかった。
午後の撮影予定も詰まっている。
その日の取材だけでも、使えそうな人物は何人も見つかった。
ぶっきらぼうな三浦。
面倒見はいいのに猫を蹴る戸崎。
妙に穏やかな三枝。
番組としては悪くない。
榊原は、来る前より少し共和食産に興味を持ち始めていた。
ただしそれはまだ、怪しい会社だからではない。
むしろ逆だった。
こんなにいろんな人間を抱えているのに、どうしてこの会社はこれほど静かに回っているのか。
そのことが、ほんの少しだけ気になった。
加工棟へ戻る途中。
花壇の方から、また小さな歌声が聞こえた。
「いいな、いいな……」
榊原は振り返らなかった。
続きを知っていたからだ。
人間っていいな。
ただそれだけの、昔からある歌だった。




