↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/12

第一章 いい会社/第二節 人間っていいな

いい会社2


第一章 いい会社


第二節 人間っていいな


 社員へのインタビューは、食堂の端を借りて行うことになった。


 昼食にはまだ早い時間で、長机の上には椅子が逆さに載せられている。壁際には給茶機と自動販売機。奥には厨房へ続くカウンターがあり、その上に、


『本日の定食 豚の生姜焼き』


 と手書きされたホワイトボードが置かれていた。


 藤原がそれを見て言った。


「食肉工場って、社員食堂もやっぱ肉なんすね」


 榊原は振り返った。


「何だと思ってたんだよ」


「いや、毎日肉見てたら食いたくなくならないのかなって」


 機材を組んでいた片桐が言った。


「魚屋が魚食わんとは限らんら」


「そういうもんですか」


「知らんけど」


「知らないんすか」


「お前、マイク立てろ」


「はいはい」


「はいは一回」


「片桐さんまで榊原さんみたいになってきたな」


 榊原は聞こえないふりをした。


 今日のインタビュー候補として、会社側が十人ほど名前を挙げていた。


 元受刑者。

 外国人社員。

 管理職。

 若手社員。

 長期勤続者。


 その中から、テレビ映えしそうな人物を榊原が選ぶ。


 最初に座ったのは、三浦亜紀だった。


 三十二歳。


 肩までの黒髪を後ろで一つに結び、化粧はほとんどしていない。共和食産の白い作業服を着ているせいもあって、年齢より少し若く見えた。


 だが表情には愛想がない。


 椅子に腰を下ろすなり、


「これ、顔出るんですよね」


 と聞いた。


「はい。ただ、嫌なら後ろ姿だけでも」


 美咲が答えた。


「別にいいです」


「お名前も?」


「いいですよ」


 榊原がカメラ横から聞く。


「前歴についても、お話しいただける範囲で」


「盗みです」


 早かった。


 美咲が一瞬だけ目を瞬いた。


「窃盗で?」


「はい」


「差し支えなければ、どのくらい――」


「何回かやって、捕まって、刑務所行きました」


 三浦は淡々としている。


 隠すつもりも、反省している姿を見せるつもりもないらしい。


 榊原は少し身を乗り出した。


「出所後、仕事探しは大変でしたか」


「まあ」


「何社くらい?」


「覚えてないです」


「十社以上?」


「それくらいじゃないですか」


「共和食産は?」


「一発」


「前科については?」


「聞かれましたよ」


「それでも採用された」


「みたいですね」


 美咲が笑顔を作る。


「それって、三浦さんにとって大きかったですか?」


 三浦はしばらく考えた。


「別に」


 榊原が心の中で少し笑った。


 美談には使いづらい。


「更生のきっかけになった、とか」


「更生って言葉、嫌いなんですよ」


 美咲の表情がわずかに変わった。


「どうしてですか?」


「なんか大げさじゃないですか」


 三浦は膝の上で手を組んだ。


「朝来て、仕事して、給料もらって、帰る。それだけです。別に生まれ変わったわけじゃないし」


 榊原が眼鏡を押し上げた。


 これは使える。


「じゃあ共和食産は、三浦さんにとってどういう会社です?」


「金くれる会社」


 片桐がカメラの後ろで少し肩を揺らした。


 三浦が気づく。


「なんですか」


「いや」


「笑ったでしょ」


「笑っとらんよ」


「絶対笑った」


 少しだけ、三浦の表情がほどけた。


 美咲も笑う。


「ご家族はいらっしゃるんですか?」


「いません」


「ご両親とか」


「疎遠です」


「結婚は?」


「してません」


「お子さんも?」


「いませんよ」


 今度は少し強く答えた。


 美咲はすぐ話題を変えた。


「休日は何をされてます?」


「寝てます」


「趣味は?」


「ないです」


「好きな食べ物は?」


 三浦はカウンター上のホワイトボードを見た。


「肉以外」


 一同が笑った。


 三浦も、今度は少しだけ笑った。


 撮影を終えると、彼女は椅子から立ち上がった。


「もういいですか」


「ありがとうございました」


「放送いつです?」


「来月予定です」


「覚えてたら見ます」


 三浦はそう言って食堂を出ていった。


 扉が閉まる。


 藤原が小声で言った。


「感じ悪いっすね」


 榊原は即座に返した。


「マイク生きてるぞ」


「え」


 藤原が慌ててレベルを見る。


 片桐がため息をついた。


「そういうとこだぞ」


「切ってました。大丈夫っす」


「大丈夫かどうかの話じゃない」


 藤原は口を尖らせた。


「でも、絶対いい人ではないですよね」


「テレビはいい人選手権じゃない」


 榊原はさっきのメモを見返した。


『別に生まれ変わったわけじゃない』


 その言葉に丸を付けた。


 次にやって来たのは、戸崎源治だった。


 四十六歳。


 太い首に短い髪。両腕が太く、作業服の袖口から古い傷がいくつも見える。


 見るからに怖い。


 ところが椅子へ座る前に、戸崎は藤原の足元を指さした。


「兄ちゃん、それ線そこ通したら危ないら」


「え?」


「誰か引っかけるに」


 戸崎はしゃがみ、藤原が適当に這わせていた音声ケーブルを壁際へ寄せ始めた。


「あ、すんません」


「こういうのは端通しときゃええよ」


「ありがとうございます」


「テレビ屋も大変だな」


 怖い顔で笑った。


 インタビューが始まる。


 戸崎の前科は傷害だった。


「昔はすぐ手が出たでな」


「今は?」


「出さんよ」


「どうして変わったんです?」


「歳だら」


 戸崎は笑う。


「若い頃はな、舐められたら負けだと思っとった。今は舐められたって腹は減るし、殴ったって給料増えんじゃん」


 美咲が笑った。


「後輩の面倒もよく見ているそうですね」


「そうか?」


「外国人社員の役所の手続きまで付き添ったとか」


「あいつら日本語読めても役所の日本語は読めんら」


「戸崎さんは読めるんですか?」


「俺も半分わからんよ」


 また笑いが起こる。


 榊原は、三浦より戸崎の方が番組向きだと思った。


 前科を隠さず、でも今は穏やか。

 方言もある。

 見た目との落差もある。


 いかにも地方局が好きそうな人物だった。


 撮影を終え、戸崎が立ち上がる。


「昼までまだ時間あるら。工場ん中、もうちょい見てくか?」


「いいんですか?」


「社長が好きに見ろって言ったんだろ」


 戸崎の案内で、再び建物の外へ出ることになった。


 加工棟の裏には、従業員用の駐車場と小さな喫煙所、その向こうに倉庫がある。


 海からの風がわずかに湿っていた。


 戸崎が歩きながら、すれ違う社員一人ひとりに声をかける。


「ミン、午後の検査頼むな」


「はい」


「ラジェシュ、腰どうだ」


「今日は大丈夫です」


「無理すんなよ」


 外国人社員にも、日本人社員にも態度は変わらない。


 榊原は少し感心した。


 そのとき、倉庫の脇から一匹の猫が出てきた。


 痩せた茶トラだった。


 人に慣れているらしく、戸崎の足元まで近寄ってくる。


「またお前か」


 戸崎が言った。


 猫が鳴く。


 次の瞬間、戸崎の安全靴が猫の脇腹を軽く蹴った。


 猫が短い声を上げ、二メートルほど逃げる。


 美咲の顔から笑顔が消えた。


「ちょっと」


「ん?」


「今、蹴りましたよね」


「邪魔だら」


「だからって蹴らなくても」


 戸崎は不思議そうに美咲を見た。


「野良猫だぞ?」


 悪びれていない。


 むしろ何を責められているのか、本当に分からない顔だった。


 猫がもう一度、離れた場所からこちらを見る。


「源さん」


 後ろから声がした。


 三枝静だった。


 四十代前半くらいに見える細身の男で、就労支援室の職員だと聞いている。


 作業服の上着を腕にかけ、片手には小さなじょうろを持っていた。


 三枝は猫の前にしゃがんだ。


 猫は逃げなかった。


「蹴らなくてもいいでしょう」


「またゴミ漁るんだよ、そいつ」


「だからといって蹴る必要はありません」


「猫だぞ」


「知っています」


 三枝は猫を抱き上げた。


 猫は抵抗もせず、その腕の中に収まった。


 戸崎は肩をすくめる。


「三枝さんは優しいねえ」


「源さんは人には優しいですよね」


「人はな」


 即答だった。


 三枝は少しだけ笑った。


「そこが不思議なんですよ」


「何が?」


「いえ」


 それ以上は言わなかった。


 戸崎はもう興味を失ったらしく、


「じゃ、俺戻るで」


 と加工棟へ向かった。


 途中で若い社員に呼び止められ、何か相談される。


 戸崎は足を止め、真剣に話を聞き始めた。


 さっき猫を蹴った男と同じ人物とは思えないほど、穏やかな顔をしていた。


 美咲が小声で言った。


「何なんですか、あの人」


 榊原は答えなかった。


 そういう人間なのだろうと思った。


 人には優しい。


 猫には優しくない。


 世の中には、そういう境界線をはっきり引ける人間もいる。


 三枝は猫を地面へ下ろした。


「この辺に居着いてしまいまして」


「三枝さんが餌あげてるんですか?」


 美咲が聞く。


「いいえ。餌をやると増えてしまいますから」


「そこは冷静なんですね」


「好きにすることと、世話をすることは違いますから」


 三枝はじょうろを持ち直した。


「花壇、見ますか?」


 加工棟の裏手、フェンス沿いに小さな花壇があった。


 会社の施設としては妙に丁寧に手入れされている。


 マリーゴールド。

 日日草。

 名前の分からない細い葉の植物。


「三枝さんが?」


「だいたい私が」


「趣味ですか?」


「そうですね」


 三枝は花壇へ水をやり始めた。


 陽射しは強かった。


 他の社員なら日陰へ入りたくなる時間だが、三枝はむしろ顔を太陽へ向けるように立っている。


 藤原が額の汗を拭った。


「暑くないんすか」


「気持ちいいですよ」


「マジすか」


「藤原さんは暑いですか?」


「めちゃくちゃ暑いです」


「人によりますね」


 三枝は楽しそうだった。


 榊原たちは少し離れ、片桐が花壇のインサート映像を撮り始めた。


 地域に根ざした企業。

 社員が手入れする花壇。


 使いやすい画だった。


 そのとき、小さな鼻歌が聞こえた。


 三枝だった。


「いいな、いいな、人間っていいな……」


 美咲が振り返る。


「懐かしい」


 三枝が歌うのをやめた。


「すみません」


「いえいえ。三枝さん、『日本昔ばなし』好きなんですか?」


「ええ。好きですよ」


「私も子供の頃、再放送見てました」


「そうですか」


「懐かしいですよね」


 三枝はじょうろを傾けたまま、少しだけ考えた。


「はい」


 水が土へ染み込んでいく。


「とても懐かしいです」


 片桐のカメラが回っていることに気づき、三枝は恥ずかしそうに笑った。


「今のは使わないでくださいね」


「いい画ですよ」


 榊原が言う。


「地域の会社で、昼休みに花壇の世話しながら昔話の歌を歌う就労支援担当。最高じゃないですか」


「そう言われると嫌ですね」


 三枝は笑った。


「人間っていいな、ですか」


 藤原が鼻歌の続きを真似する。


「確かに、いい歌っすよね」


「でしょう?」


 三枝が嬉しそうに言った。


 その表情に、変わったところは何もなかった。


 穏やかで、人当たりがよく、猫にまで優しい。


 就労支援室で働くには、いかにも向いている人物だった。


「三枝さんは、この会社長いんですか?」


 榊原が聞いた。


「長いですよ」


「何年くらい?」


 三枝はまた少し考えた。


「かなり」


「かなりって」


「正確には覚えていません」


「十年?」


 三枝は微笑んだ。


「もっとです」


「二十年?」


 答えなかった。


 代わりに花壇へ目を戻した。


 榊原も深くは追わなかった。


 午後の撮影予定も詰まっている。


 その日の取材だけでも、使えそうな人物は何人も見つかった。


 ぶっきらぼうな三浦。


 面倒見はいいのに猫を蹴る戸崎。


 妙に穏やかな三枝。


 番組としては悪くない。


 榊原は、来る前より少し共和食産に興味を持ち始めていた。


 ただしそれはまだ、怪しい会社だからではない。


 むしろ逆だった。


 こんなにいろんな人間を抱えているのに、どうしてこの会社はこれほど静かに回っているのか。


 そのことが、ほんの少しだけ気になった。


 加工棟へ戻る途中。


 花壇の方から、また小さな歌声が聞こえた。


「いいな、いいな……」


 榊原は振り返らなかった。


 続きを知っていたからだ。


 人間っていいな。


 ただそれだけの、昔からある歌だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。