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第四章 人は変われる/第二節 良いドキュメンタリー

人は変われる2


第四章 人は変われる


第二節 良いドキュメンタリー


 編集は、三日かかった。


 正確には、三日経っても終わらなかった。


「ここ切ります?」


 美咲が聞いた。


 モニターには、久世宗一郎が映っている。


『本人が働きたい。こちらも働いてほしい。それなら雇う。単純な話ですよ』


 取材初日。


 まだ人魚も。


 鬼も。


 入れ替わりも知らなかった頃の映像。


「残す」


 榊原が答える。


「じゃあ、その次に三浦さん?」


「うん」


 タイムラインへ映像を置く。


 三浦亜紀。


『朝来て、仕事して、給料もらって、帰る。それだけです。別に生まれ変わったわけじゃないし』


 美咲がマウスから手を離した。


「今聞くとすごいですね」


「何が」


「生まれ変わったわけじゃない、って」


「偶然だろ」


「分かってますよ」


 藤原は後ろのソファで横になっていた。


「その人、もういないんすよね」


 榊原が振り返る。


「寝るなら帰れ」


「寝てないっす」


「目閉じてたぞ」


「考えてたんです」


「目を閉じて?」


「俺、集中すると閉じるタイプなんで」


「初めて聞いた」


 藤原は起き上がった。


「で、三浦さんどうするんです?」


「何が」


「退職したってテロップ入れる?」


 美咲が振り返る。


「入れなくていいでしょ。取材時点では在籍してたんだから」


「でも今はいない」


「普通の会社紹介でも、放送までに辞める人いるよ」


「普通の退職ならね」


 藤原が言った。


 部屋が少し静かになる。


 榊原は編集画面を見る。


 普通。


 ここ数日、その言葉ばかり考えている。


 普通の会社。


 普通の社員。


 普通の退職。


 普通の肉。


 どこから何が普通でなくなるのか。


 誰が決めるのか。


「退職には触れない」


 榊原が言った。


「いいんすか」


「本人の同意は取材時にもらってる」


「そういう問題じゃなくて」


「じゃあどうする」


 藤原は答えない。


「“取材後、三浦さんは会社の制度により別の何かと入れ替わった可能性があります”って入れる?」


「そこまでは」


「証拠は?」


「ない」


「なら出せない」


「またそれ」


「報道だから」


 藤原が笑った。


「榊原さん、本当にそれ好きっすね」


「何が」


「仕事だから。報道だから。証拠がないから」


「必要だろ」


「必要っすよ」


「じゃあ何だよ」


「別に」


 最近の藤原は、この「別に」が増えた。


 以前ならもっと直接言った。


 うざい。


 細かい。


 帰りたい。


 今は、途中でやめる。


 それが榊原には少し気になった。


 編集室の隅に置かれた別のハードディスク。


 そこには、放送しない素材が入っている。


 銀色の尾。


 特殊営業課。


 久世との一時間以上の会話。


 人事制度。


 三枝の告白。


 全部。


 局の報道部長には、一応説明した。


 かなり削って。


「面白い話だな」


 最初の反応は、それだった。


 そして銀色の尾の映像を見せた。


「これ何?」


「分かりません」


「魚?」


「そう見えます?」


「見えなくもない」


 久世の音声を一部聞かせた。


『人も虫も、一つの命です』


「思想強めの社長だな」


 人事制度について説明した。


「要するに配置転換?」


「違います」


「でも顔同じなんだろ?」


「はい」


「じゃあ同じ人じゃん」


 そこで説明することを、榊原は諦めた。


 嘘をついたわけではない。


 全部話さなかっただけだ。


 共和食産と同じだった。


「榊原さん」


 美咲が呼ぶ。


「ここ」


 画面。


 戸崎が外国人社員と役所の書類について話している。


『これ俺でも分からんよ』


 笑い声。


「使います?」


「使おう」


「猫蹴った方は?」


「使わない」


「都合良すぎません?」


 藤原が言った。


「番組十五分だぞ」


「だからって」


「戸崎さんが猫蹴ったことと、外国人の生活支援してること、どっちが企画に必要だよ」


「どっちも本当」


「だから全部は入らないって」


「じゃあテレビって、ずるいっすね」


「今さら?」


 榊原は笑った。


 藤原は笑わなかった。


「俺らが切った方が、世の中の“その人”になるんすね」


 美咲の手が止まった。


 榊原も藤原を見る。


「何だ急に」


「いや」


 藤原はモニターを見ている。


「田所さんと一緒だなって」


「何が」


「いいとこだけ残す」


「編集と入れ替わりを一緒にするな」


「違います?」


「違う」


「どこが」


「人は消してない」


「画面からは消してる」


 榊原は何も言わなかった。


 片桐は少し離れた机で、素材の整理をしている。


 聞こえているはずだった。


「片桐さんはどう思う?」


 榊原が聞いた。


「俺?」


「テレビって、人を入れ替えてる?」


「大げさだら」


「ですよね」


「でも」


 片桐は手を止めなかった。


「似たことはしとる」


 藤原が少し笑う。


「ほら」


「調子乗るな」


 片桐が言う。


「映ってる全部がその人じゃないし、映さなかった全部が嘘でもない」


「じゃあ、どう撮ればいいんです?」


 美咲が聞く。


「知らん」


「そこまで言って」


「だから俺はカメラなんだよ」


「また逃げた」


 片桐は笑った。


 最終的に、番組は当初の企画にかなり近い形になった。


『わが町のいい会社――再出発を支える共和食産』


 十五分。


 冒頭。


 朝の加工場。


 社員たちが白衣へ着替える。


 手洗い。


 消毒。


 トラックが入る。


 ナレーション。


『鷺森市で九十年以上、地域の食卓を支えてきた共和食産株式会社。現在働く社員は百八名。ここには、さまざまな背景を持つ人たちがいます』


 百八。


 その数字は残した。


 外国人社員。


 社員寮。


 戸崎。


 三枝。


 三浦。


 久世。


 使える映像を丁寧に並べる。


 三枝が花壇へ水をやっている。


 鼻歌は、使わなかった。


 使おうとした。


 でも榊原がやめた。


 理由は説明しなかった。


 田所も少しだけ映る。


 今の田所だった。


 若い社員の重い荷物を持ってやっている場面。


 名前のテロップは出さない。


『社員同士が支え合う姿も、この会社では日常です』


 嘘ではない。


 前の田所なら、しなかったかもしれない。


 でも今の田所はする。


 それも事実だった。


 番組の中心には、三浦を置いた。


『朝来て、仕事して、給料もらって、帰る。それだけです』


 少し間。


『別に生まれ変わったわけじゃないし』


 編集室でその言葉が流れた時、誰も話さなかった。


 続けて、最終日の映像。


『これからどうなりたいですか?』


『普通でいいです』


『普通?』


『働いて、金もらって、帰る。それだけ』


 最初と最後。


 同じ言葉。


 それだけで一本の物語になった。


「いいっすね」


 藤原が言った。


 榊原が見る。


「何が」


「普通に」


 藤原は少し笑う。


「良いドキュメンタリーだと思います」


「褒めてんの?」


「珍しく」


「お前に褒められてもな」


「ほら」


「何だよ」


「そういうとこ」


 榊原は言い返そうとして、やめた。


「……ありがと」


 藤原が目を丸くした。


「気持ち悪っ」


「お前な」


「いや、だって急に」


「褒めたからだろ!」


「やっぱ元に戻った」


 美咲が笑った。


 片桐も。


 編集室に、久しぶりに普通の笑い声が出た。


 番組の最後。


 久世宗一郎。


『本人が働きたい。こちらも働いてほしい。それなら雇う。単純な話ですよ』


 工場の夕景。


 従業員たちが帰っていく。


 ナレーション。


『誰にでも、働く場所が必要です。過去ではなく、今を見て働く場所。共和食産は、今日も百八人の仕事と、地域の食卓を支えています』


 最後の一文を見て、美咲が言った。


「百八人の“仕事”にしたんですね」


「うん」


「“社員”じゃなく」


「なんとなく」


 藤原が横から言う。


「怖」


「何が」


「榊原さん、無意識でそうしたなら怖いっす」


「うるさい」


 完成。


 十五分十二秒。


 十二秒削って納品した。


 放送は翌週だった。


 視聴率を競うような番組ではない。


 地方ケーブルテレビの、小さな特集。


 それでも反応は良かった。


『共和さん、昔から知ってるけど立派ですね』


『出所者の再就職支援について考えさせられました』


『三浦さんの言葉が良かった』


『外国の人への支援ももっと広がってほしい』


 局にメールが来た。


 市役所からも。


 地元紙が短い記事にした。


 共和食産からも、


『丁寧に取り上げていただきありがとうございました』


 というメールが届いた。


 久世の名前だった。


「大成功じゃないですか」


 美咲が言った。


「そうだな」


 榊原は画面を見た。


 反応は全部好意的。


 嘘は一つもついていない。


 人魚を出さなかった。


 入れ替わりを出さなかった。


 人肉を出さなかった。


 それだけだ。


「後悔してます?」


 美咲が聞く。


「分からない」


「私はこれでよかったと思います」


「うん」


「榊原さんは?」


「分からないって」


「まだ調べます?」


 榊原は机の下にあるハードディスクを見る。


 未使用素材。


 全部残っている。


「どうだろうな」


 捨てることはできなかった。


 かといって、もう一度共和食産へ行く気にもなれない。


 久世の笑顔。


 冷蔵庫。


 人事課。


 あれ以上知ったところで。


 何をする。


「榊原さん」


 藤原がデスクの向こうから呼ぶ。


「何」


「次の取材、駅前商店街ですって」


「知ってる」


「平和っすね」


「商店街に人魚いたらどうする」


「もうやめてくださいよ」


 藤原が本気で嫌そうな顔をする。


 榊原は笑った。


 数週間が過ぎた。


 仕事は普通に戻った。


 祭り。


 新しいラーメン店。


 高校野球。


 市長会見。


 駅前再開発。


 共和食産のことを話す回数も減っていった。


 ある日の午後。


 片桐が映像データを整理していると、榊原の机が空いていることに気づいた。


「榊原は?」


 美咲が顔を上げる。


「外じゃないですか?」


「取材?」


「さあ」


 藤原はパソコンを見たままだった。


「藤原、知らん?」


「知らないっす」


「珍しいな」


「何がです?」


「今日あいつ、朝から見とらんぞ」


 藤原の手が一瞬止まった。


「休みじゃないですか」


「予定表に入っとらん」


「じゃあ遅刻とか」


「榊原が?」


 それはない。


 三人ともそう思った。


 榊原は人に五分前を要求する男だった。


 自分は十五分前に来る。


 美咲が社内チャットを確認する。


「昨日の夜、連絡来てますよ」


「何て?」


「……明日からしばらく外部案件、って」


「外部?」


「詳しく書いてない」


 片桐が首を傾げる。


「聞いとらんな」


 藤原が言った。


「榊原さん、そういうの勝手に決めるじゃないですか」


「まあな」


「そのうち戻ってくるでしょ」


 美咲が藤原を見る。


「連絡してみる?」


「俺が?」


「仲悪いから」


「意味分かんないっす」


「逆に送りやすいじゃん」


「嫌ですよ」


 藤原は笑った。


 結局、誰もその場では連絡しなかった。


 仕事があった。


 締め切りも。


 次の取材も。


 人が一人いなくても、テレビ局は普通に動く。


 数日後。


 榊原の机から、私物がなくなっていた。


 黒縁眼鏡の予備も。


 古い取材ノートも。


 机の引き出しに入れていた整髪料も。


「異動?」


 美咲が聞く。


「らしい」


 藤原が答えた。


「どこに?」


「制作の外部プロジェクトとか」


「本人から?」


「いや」


「誰から?」


「上」


 片桐が眉を寄せる。


「急だな」


「榊原さんだから」


 藤原はそう言った。


 それ以上、誰も追わなかった。


 大人が仕事を変える。


 部署を変わる。


 急にいなくなる。


 それくらい、どこの会社でもある。


 一か月後。


『わが町のいい会社――再出発を支える共和食産』は、系列局の地域ドキュメンタリーコンクールへ出品されることになった。


 推薦したのは報道部長だった。


「評判いいんだよ、あれ」


 美咲が藤原へ言った。


「榊原さん、喜びそう」


「そうっすね」


「連絡した?」


「してない」


「してあげなよ」


「なんで俺が」


 藤原は笑った。


 その笑顔は、以前より少しだけ大人しく見えた。


「そのうち会うでしょ」


 美咲も、


「まあ、そうか」


 と答えた。


 窓の外では、夕方のローカルニュースが始まる時間だった。


 どこかの家庭で。


 どこかの食卓で。


 共和食産の肉が焼かれている。


 牛か。


 豚か。


 何か別のものか。


 誰も確かめない。


 確かめる必要もない。


 パックには、


『食肉』


 と書いてある。


 それで十分だった。

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