ひなたの涙
公園を出て、住宅街の分かれ道まで来たところで、ひなたがふと足を止めた。
「そうくん、先に帰っていいよ」
「......え?」
「ひなた、ちょっと寄り道するから」
ひなたはそう言って、いつもの人懐っこい笑顔を見せる。俺は何か言いたい気持ちがあったが、うまく言葉にならなかった。
俺は少し戸惑いながら、ひなたの顔を見つめた。夕方の光の中でその表情はいつも通り明るく見える。
「一人で大丈夫か」
「大丈夫だって。そんな顔しないでよ」
ひなたは笑いながら、俺の背中を軽く押す。その仕草はいつも通りで、それがかえって俺を落ち着かなくさせた。
「寄り道って、どこ行くんだよ」
「秘密。そうくんには関係ないの」
ひなたはそう言って、いたずらっぽく笑ってみせる。目尻の下がり方も、口の開き方も、寸分の狂いもない。俺はそれ以上何も聞けなかった。
「じゃあ、また明日」
「うん、また明日ね」
ひなたはそう言って、来た道を戻るように歩き出す。俺はしばらくその後ろ姿を見送っていたが、ひなたは一度も振り返らなかった。
俺は結局、それ以上何も言えないまま、自分の家の方へ足を向けた。夕方の空はもう茜色から紫色に変わりつつある。
住宅街を歩きながら、さっきのひなたの笑顔を何度も思い返していた。あの笑顔の裏に何があったのか、俺には確かめる術がなかった。何か大事なことを見落としている気がしたが、それが何なのか、その時の俺には分からなかった。
家の前まで来て、隣の家の窓を見上げる。凛の部屋にはまだ明かりがついていなかった。俺はそのまま、自分の家の玄関を開けた。
* * *
そうくんの姿が住宅街の角を曲がって見えなくなってから、私は来た道を戻った。
夕方の公園には、もう誰もいない。滑り台の下の砂場も、さっきまで遊んでいた子供たちの姿がなくなっている。ブランコの隣のベンチに腰を下ろした。
座った途端、顔の筋肉が全部ほどけた。
声を出さないように、両手で口元を押さえる。それでも喉の奥から、くぐもった音が漏れてしまう。目からあふれたものが次から次へと頬を伝って落ちていった。
鞄を抱えたまま、肩が震える。周りに誰もいなくてよかった。見られたら、止められる自信がない。
分かっていたことだ。そうくんが誰を見ているかなんて、とっくに気づいていた。
文化祭の時、そうくんが凛ちゃんのことを話す顔。あの時からずっと、いつか今日みたいな日が来ると分かっていた。分かっていたはずなのに、涙が止まらない。
制服のポケットからハンカチを取り出そうとして、手が震えているのに気づく。取り出すのをやめた。
膝の上に、ぽたぽたと落ちる。スカートに染みが広がっていくのを、私はただ見ていた。
「......来ると思った」
誰にともなく呟いた声に、返事が返ってきた。
「そりゃ、来るでしょ」
顔を上げると、つぐみが公園の入り口に立っている。制服のまま、鞄を肩にかけたままだ。私が涙を拭う間もなく、つぐみはゆっくり近づいてきて、隣に腰を下ろした。
つぐみは何も言わなかった。ただ、私の肩に手を回して、抱き寄せる。その温もりで、こらえていたものが一気に決壊した。
「......なんで、ここにいるって分かったの」
「勘。あんたとそうくんが公園に行くって聞いた時から、なんとなく」
つぐみはそう言って、私の背中を軽くさすった。さする手のひらが、一定の速さで上下している。
「泣きたいだけ泣いたっていいんだよ、こういう時は」
「......つぐみに言われなくても、もう泣いてる」
涙声のまま、笑おうとした。うまく笑えず、また嗚咽が漏れる。つぐみはそれを咎めず、ただ黙って肩を抱き続けていた。
公園の街灯が一つ、点滅してから灯った。
「ねえ、つぐみ」
「ん」
「ひなた、ちゃんと笑えてたと思う?」
つぐみの手が、背中の途中で止まった。
「......そうくんの前で。ちゃんと、笑えてたかな」
「笑えてたよ」
「そっか」
「上手すぎて、あたしはちょっと腹が立った」
つぐみは前を向いたまま言った。私は袖で目を押さえる。押さえたところで、次から次に出てくる。
「だってさ。泣いたら、そうくんが困るでしょ」
「困らせればいいじゃん」
「困らせたくないから、好きなんだよ」
言ってから、自分の言葉に自分で刺された。好きなんだよ、と現在形で言ってしまった。
「大丈夫。泣いたら終わりにするから」
言ってから、また声を殺して泣いた。つぐみは何も言わない。
ブランコの鎖が、風に吹かれてかすかな音を立てる。子供の頃、そうくんと何度も取り合ったブランコだ。今日、そうくんはあの場所で、別の女の子への気持ちを教えてくれた。
つぐみの肩に頭を預けたまま、しばらくそうしていた。空はもう暗くて、遠くの道路を行き交う車のライトだけが時折見える。
どれくらい経ったのか分からない。気づけば、嗚咽の間隔が長くなっていた。つぐみは急かさない。時々、背中をゆっくりさすってくれる。
滑り台の影が、街灯の光を受けて長く伸びていた。虫の声が、どこからともなく聞こえ始める。
「......ありがとう、つぐみ」
小さく呟くと、つぐみは何も言わずに、もう一度肩を抱く手に力を込めた。
「明日、学校来れそう?」
つぐみがようやく静かに口を開いた。私は涙で腫れた目を擦りながら、小さく頷く。
「......行くよ。休んだら、余計に変な感じになりそうだから」
「そうだね。でも無理はしなくていいけど」
つぐみがハンカチを差し出してきた。受け取って、目元を丁寧に拭う。
「顔、腫れてるかな」
「うん、めっちゃ腫れてる。でも家着く頃には少しマシになってるって」
つぐみはそう言って、ようやく少し笑った。私もつられて、小さく笑い返す。頬がまだ濡れているのが自分で分かった。
「送っていくよ、家までちゃんと」
「......いいよ、平気だから。一人で帰れる」
「いいから。あんたを一人で帰す方が心配だし」
つぐみはそう言って、ベンチから立ち上がる。私も目元を拭って、それに続いた。
公園の出口で、一度だけ振り返る。ブランコは止まっていた。
「つぐみ」
「ん?」
「明日、いつも通りにするから。だからいつも通りにしてね」
つぐみは何か言いかけて、やめた。それから「わかった」とだけ言って、私の腕を引く。夜の道を、二人で歩き出した。




