お守りと縁結び
嵐山での班別行動を終えて旅館に戻る前、夕方の自由時間が1時間ほど設けられていた。桐生とつぐみは土産物屋を回ると言って別行動を取り、俺は凛と二人で近くの神社に立ち寄ることになった。
「お前ら、二人で回ってこいよ。俺たちはお土産で忙しいから」
桐生がそう言って、意味ありげに笑う。竹林の一件を知っているだけに、その笑みには含みがあった。夕方の日差しが参道の入り口を橙色に染めている。
「別に、そんな深い意味ないだろ」
「はいはい、そういうことにしといてやるよ」
つぐみも同調するように頷いて、桐生と一緒に土産物屋の並ぶ通りへ歩いていく。残された俺と凛は、顔を見合わせてから、なんとなく神社の方へ足を向けた。
「せっかくだから、お参りしとくか」
「......そうだね」
参道を歩きながら、凛が周りの土産物屋を興味深そうに眺めている。夕方の光が石畳の上に長い影を落としていた。
「この神社、何のご利益があるんだろうな」
「......分からない。看板見てみる?」
凛はそう言って、参道の入り口にある案内板の方へ足を向ける。俺もその後を追った。案内板には、地域の歴史や祭事についての説明が書かれているだけで、ご利益についての詳しい記載はなかった。
「よく分かんねえな、これ」
「......行けば分かる、多分」
凛はそう言って、また歩き出す。鳥居をくぐると、石段が続いていた。息を切らしながら上りきると、本殿が見えてくる。
本殿の前で俺たちはそれぞれ賽銭を投げて手を合わせた。凛は目を閉じて、しばらく真剣な顔で祈っている。何を願っているのか気になったが、聞くのは野暮な気がして黙っていた。
俺も目を閉じて、何を願おうか少し迷った。結局、修学旅行が無事に終わることと、数学のテストが少しでもましになることを願うことにする。ありきたりな願い事だったが、それ以上気の利いたことは思いつかなかった。
お参りを済ませると、凛はふと足を止めて、境内の隅にあるお守り売り場に目を向けた。木製の台に色とりどりのお守りが並んでいる。
「見ていくか」
「......うん」
凛はそう答えて、お守りの前に立つ。真剣な顔で一つ一つを見比べていた。健康祈願、旅行安全、家内安全と、種類の多さに俺は少し圧倒される。
「こんなに種類あるんだな」
「......迷う」
凛はそう呟きながら、一つずつ手に取っては元に戻すのを繰り返していた。しばらくして赤い房のついたお守りに手を伸ばす。
「学業成就、か」
俺がその文字を読み上げると、凛は小さく頷いた。
「お前は必要ないだろ、成績いいし」
「......これは、あなたの分」
思いがけない言葉に、俺は聞き返す。
「は? 俺の?」
「数学、まだ心配だから」
凛は淡々とそう言って、お守りを手に取ったまま、社務所の方へ歩いていく。俺は少し呆気に取られながら、その後を追った。
「別に、俺が心配される筋合いは」
「この前の中間、平均点以下だった」
その一言に、俺は何も言い返せなかった。確かに数学のテストは散々な結果だったが、まさかそこまで把握されているとは思っていなかった。答案用紙を隠していたつもりだったのに、いつの間に見られていたんだろう。
「......よく覚えてるな、そんなの」
「......普通、覚える」
凛はそっけなくそう言って、社務所の窓口の前に立った。巫女さんらしき女性が、お守りを丁寧に包んでくれている。俺はその隣で、財布を取り出しかけたが、凛はそれより早く小銭を出していた。
「俺の分だろ、払うよ」
「いい。私が買いたかったから」
凛はきっぱりとそう言い切って、財布をしまう。それ以上言い争っても無駄だと分かっていたので、俺はおとなしく引き下がった。
お守りを受け取ると、凛はそれを俺の方に差し出してきた。
「はい」
「......ありがとう」
俺はそのお守りを受け取って、しばらく手のひらの上で眺めた。赤い房が、夕方の光を受けて小さく揺れている。
「大事にしろよ、ちゃんと」
「......分かってる。落としたりしない」
凛は少し真剣な顔でそう答えた。その様子がおかしくて、俺は思わず笑ってしまう。
鞄のポケットにそっとしまいながら、俺はもう一度お守り売り場に視線を向けた。せっかく来たのだから、自分でも何か買っておこうかと思う。木製の台の上には、学業成就の他にも、健康祈願、旅行安全、様々な種類のお守りが並んでいた。
凛は少し離れた場所で絵馬に願い事を書いている参拝客たちを眺めていた。その隙に、俺はゆっくりとお守りの品定めを始める。
視線をさまよわせているうちに、ふと目に留まったものがあった。「縁結び」と書かれた、淡い桃色のお守りだ。
気がつくと、俺は無意識にその方へ手を伸ばしていた。指先がお守りに触れる寸前、慌てて手を引っ込める。
俺は視線を逸らして、他のお守りの列に目を移した。
「......何、見てるの」
凛の声が、後ろから聞こえてきた。俺は反射的に振り返る。
「いや、何でもない」
早口でそう答えて、俺は健康祈願のお守りに手を伸ばした。凛は見ていなかっただろうか。確認したい気持ちを抑えて、俺はできるだけ平静を装った。
境内に他の参拝客たちの話し声が遠く響いている。俺はそれを聞き流しながら、選んだお守りを手のひらで握り締めた。
「これでいいや」
「......健康祈願?」
「まあ、何となく」
社務所でお守りを買い求めながら、俺は横目で凛の様子をうかがう。凛はいつもの無表情に見えたが、その頬にはほんの少しだけ赤みが差しているように見えた。
買ったお守りを鞄にしまいながら、俺はもう一度、木製の台に並んだお守りの列を見た。「縁結び」のお守りは、さっきと変わらずそこに並んでいる。それを見ないようにしながら、俺はお守り売り場を後にした。
「戻るか、そろそろ」
「......うん」
参道を戻りながら、俺たちは並んで歩いた。石畳を踏む足音だけが、夕暮れの静けさの中に響いている。境内の隅で、烏が一羽、鳴きながら飛び立っていった。
「明日で修学旅行も終わりか」
「......早い」
凛はそう言って、小さく息を吐いた。あっという間だったのは、俺も同じ気持ちだった。
「今日、色々あったな」
「......うん」
凛は短く答えて、少し先を見つめる。竹林での会話を思い返しているのか、その表情はどこか穏やかだった。
「土産、桐生たちと合流してから買うか」
「......そうする」
鳥居をくぐって、俺たちは神社を後にする。夕方の空は、赤とオレンジのグラデーションに染まりつつあった。石段を降りる途中、後ろを振り返ると、本殿の屋根が夕日に赤く染まっているのが見えた。参道の店先には、もう明かりが灯り始めている店もあった。
「あそこ、団子屋か」
「......美味しそう」
凛が店先の看板をちらりと見る。だが立ち止まる様子もなく、そのまま歩き続けた。
「藤宮くん」
「何だよ」
凛はしばらく黙ってから、こっちを見ずに言った。
「......今日、付き合ってくれて、良かった」
神社に寄ろうと言い出したのは俺だ。付き合わせた側なのに、礼を言われている。
「別に、たいしたことしてねえよ」
「......そう?」
「そうだよ。歩いただけだろ」
「......歩いただけじゃない」
凛はそこで言葉を切って、鞄の中のお守りを確かめるように手を入れた。すぐ出す。中身は見なかった。
「......何でもない」
凛はそう言って、小さく笑った。石段を降りる足が、一段ごとに俺の隣に並んでくる。
旅館へ向かう道の途中、公園で地元の子供たちが数人、鬼ごっこをして走り回っているのが見えた。その様子を眺めながら、凛がふと口を開いた。
「昔、そうくんと柚木さんも、あんな感じだったのかな」
思いがけない一言に、俺は少し驚く。
「知ってたのか、その呼び方」
「......つぐみから聞いた」
凛はそう言って、少し気まずそうに視線を逸らす。俺はそれ以上追及せず、また歩き出した。
旅館の方角へ向かって歩きながら、俺は鞄のポケットに入れたお守りのことを思い出す。凛が買ってくれた、あの赤い房のついたお守り。それが数学のテストにどれだけご利益をもたらすかは分からないが、大事にしようと思った。
少し先を歩く凛の背中を見ながら、俺はさっきの「縁結び」のお守りのことを、もう一度思い返していた。
旅館の明かりが見えてくると、玄関先で桐生とつぐみが手を振っているのが見えた。
「おーい、遅かったな。何買った?」
桐生が土産物の袋を掲げながら聞いてくる。
「お守り。学業成就と健康祈願」
「地味だな、蒼太らしいけど」
「うるせえ、余計なお世話だ」
桐生がそう言ってからかってくると、つぐみが横から口を挟んだ。
「二人で仲良くお参りしてきたんだ。良かったじゃん」
「別に、そういうんじゃねえよ」
俺がそっけなく答えると、つぐみは意味ありげに笑って、それ以上は何も言わなかった。凛はその横で、少し困ったような、それでいて嫌ではなさそうな顔をしている。
「凛も、何買ったの?」
「......学業成就」
「あんたも数学苦手だっけ?」
「......違う。自分の分じゃない」
凛はそう答えて、俺の方をちらりと見た。つぐみはその視線の意味を察したのか、にんまりと笑ったが、それ以上は何も言わずに旅館の中へ入っていく。
二人になった。凛は玄関の前で立ち止まったまま、中に入ろうとしない。
「入らねえのか」
「......藤宮くん」
「ん」
「さっきのお守り、どこにしまった」
「鞄のポケット。潰れねえように」
凛は少しの間、それを聞いていた。それから小さく頷いて、玄関の引き戸に手をかける。
「......落とさないで」
言い終わる前に、凛は中へ入っていった。俺は鞄のポケットに手を当てる。硬い房の感触が、布越しに指先へ返ってきた。




