竹林の告白未遂
朝食を終えて旅館を出発すると、バスは嵐山方面へ向かった。車内では桐生が「今日は嵐山らしいぞ、竹林とか渡月橋とか」と観光ガイド気取りで喋り続けている。
「お前、昨日から知ったかぶりばっかりだな」
「うるせえ、事前に調べただけだって」
桐生とそんなやり取りをしながら、俺は窓の外を眺めた。紅葉した山々がバスの進行と共にゆっくり流れていく。少し離れた座席で凛はつぐみと何か話しているようだった。時折、つぐみが凛の肩を軽く叩いて、何かを励ますような仕草をしているのが見えた。
昨夜の旅館での桐生の一言以来、俺の中では何かがはっきりした気がしていた。だがそれをどう凛に伝えればいいのか、答えはまだ見つかっていない。
2日目の自由行動は、班ごとに嵐山を回るスケジュールだった。竹林の入り口に着いたところで、つぐみが急に「あ、お土産忘れてた」と言い出す。
「今から? ここまで来て?」
「大事なこと思い出したの。桐生くんも付き合って」
「は? 俺?」
桐生は不満げな顔をしていたが、つぐみに腕を引っ張られて渋々ついていく。
「悪い、蒼太、先に行っといて。秋月さんと一緒にな」
桐生がそう言い残して、二人は来た道を戻っていった。あまりにも露骨な口実に、俺は思わず苦笑する。凛も同じことを思ったのか、少し呆れた顔をしていた。
「お土産、本当に忘れたのかな」
「......絶対嘘」
凛が短く断言する。その断定的な言い方に、少しだけ笑いそうになった。つぐみと桐生の後ろ姿は、もう竹林の入り口の向こうに消えていた。
「......分かりやすい」
「まあな」
結局、竹林の中には俺と凛の二人だけが残された。左右にそびえる竹が頭上で重なり合って緑の天井を作っている。風が吹くたびに、竹同士がぶつかって乾いた音を立てた。
「行くか」
「......うん」
凛が小さく頷いて、俺の隣に並ぶ。竹林の小道は思ったより人が少なく、時折すれ違う観光客の話し声だけが響いていた。外国人観光客のグループが、竹を見上げながら写真を撮っている脇を通り過ぎる。
しばらく無言のまま歩いた。竹の葉がこすれ合う音、遠くから聞こえる鳥の鳴き声。沈黙は気まずいものではなかったが、それでも何か言わなければという焦りが胸の奥にあった。
旅館での桐生の言葉、つぐみが凛に言ったという「もう隠せてないよ」という一言。断片的に聞いた話が、頭の中でぐるぐる回っている。だが実際にどう切り出せばいいのか、答えは見つからないままだった。
竹林の小道は緩やかに曲がりくねっていて、先の様子は見えない。木漏れ日が、地面に細かい模様を落としていた。
「藤宮くん」
凛が先に口を開いた。俺は歩調を緩めて、その言葉を待つ。
「......ごめんなさい。最近、冷たくして」
その一言は、思っていたよりずっと小さな声だった。竹林の静けさの中で、それでもはっきりと届いた。
「いいよ。理由は聞かない」
俺はとっさにそう答えた。無理に聞き出すつもりはなかった。だが凛は、首を横に振る。
「聞いて」
凛の声には、いつになく強い意志があった。俺はそれ以上何も言わず、続きを待つことにする。
竹林の小道を歩きながら、凛はぽつりぽつりと言葉を続けた。
「柚木さんが、藤宮くんに告白したこと。知ってた」
その一言に、俺は思わず足を止めそうになる。だが凛は歩みを止めず、まっすぐ前を見たまま続けた。竹林の小道を通り抜ける風が、二人の足元の落ち葉を巻き上げた。
「邪魔したくなかった。柚木さんは、藤宮くんとずっと一緒にいた人だから。私なんかより、ずっとふさわしいと思った」
風がまた竹の葉を揺らす。凛の声は、その音に紛れて消えそうなくらい小さかった。俺は何も言わずに、その横顔を見つめていた。
「だから、距離を取ろうとした。関わらない方がいいと思って」
「......それで、避けてたのか」
「うん」
凛は短く頷く。俺はその横顔を見ながら、ここ数日の凛の様子を思い返していた。屋上での涙、後夜祭での手、「元に戻っただけ」という言葉。全部、この一言に繋がっていたのかもしれない。
新幹線で離れた席、清水寺での迷子、旅館での気まずい沈黙。修学旅行に入ってからの一つ一つの出来事が、頭の中で線になって繋がっていく。
「ずっと、そんなこと考えてたのか」
「......うん。ずっと」
凛の声は小さかったが、はっきりと届いた。竹林を通り抜ける風が、二人の間を吹き抜けていく。
「でも」
凛の声が、そこで一度止まる。竹林の小道が緩やかにカーブして、頭上の竹がさらに密になった。
「距離を取ったら、余計に苦しくなった」
その一言に、俺は何と返せばいいか分からなかった。竹林の緑が、二人の周りをぐるりと囲んでいる。
「苦しいって」
「......分からない。ただ、藤宮くんと話せないことが、辛かった」
凛はそう言って、初めて俺の方を見た。目の縁が、ほんの少し赤くなっている。
「教室で目が合っても逸らして、弁当も別々に食べて。そういうの、全部、自分で決めたことなのに」
凛はそこで言葉を切って、竹林の先を見つめる。俺はここ数日の、ぎこちなかった弁当の時間を思い出していた。
「自分で決めたのに、苦しいのはおかしいと思った。だから余計に分からなくなった」
竹の葉がこすれ合う音が、二人の間の沈黙を埋めていく。俺は何も言わずに、その続きを待った。
俺は凛の言葉の全てを理解できているわけではなかった。それでも、伝えなければならないことがある気がした。
「俺は」
言葉を選びながら、ゆっくりと続ける。竹林の緑越しに、細く差し込む日差しが凛の頬を照らしていた。
「秋月と、普通に話したい」
シンプルすぎる言葉だったかもしれない。だがそれ以上気の利いた言い方は思いつかなかった。凛はしばらく黙って、俺の顔を見つめていた。
「......それだけ?」
「それだけだよ。難しいこと考えなくていい」
凛は少し困ったような顔をしたが、やがて小さく頷いた。竹林の小道を、二人でまた歩き出す。頭上で笹の葉が擦れて、光の粒が足元を移っていった。
「藤宮くん」
「何だよ」
凛は少し間を置いてから、こっちを見ずに言った。
「唐揚げ」
「は?」
あまりにも唐突な単語に、俺は思わず聞き返す。
「明日の弁当。唐揚げがいい」
その一言で、張り詰めていた何かが一気に緩んだ。俺は口元を手で覆って、噴き出すのをこらえた。
「今の流れで唐揚げの話するか、普通」
「......普通、しない?」
「しないだろ、絶対」
俺がそう言うと、凛は少しだけ拗ねたような顔をした。
「......だめ?」
「いや、いいけど。作るよ、唐揚げ」
凛は小さく頷いて、それきり黙り込んだ。口の端が、隠しきれずに緩んでいる。
「何ニヤけてんだよ」
「......ニヤけてない」
「今、思いっきり」
「......竹が、面白い形してただけ」
どの竹だよ、と聞こうとしてやめた。頭上の竹が、日差しを受けてきらきらと光っている。
竹林を抜けると、視界が急に開けて、嵐山の紅葉が一望できる場所に出た。赤や黄色に染まった山が、川の向こうに広がっている。渡月橋を渡る観光客の姿が、遠くに小さく見えた。
「綺麗だな」
「......うん」
凛はそれだけ答えて、景色に見入った。しばらく二人でその場に立ち尽くしていた。竹林の中を歩いていた時とは違う、開放的な空気が二人の間に流れている。
川面に反射する光が、きらきらと揺れていた。観光客の何人かが、同じ景色を写真に収めようとスマホを構えている。
「写真、撮らないのか」
「......撮らない」
「なんでだよ、せっかくの景色なのに」
「......覚えておきたいから。写真じゃなくて」
凛はそう言って、また景色に視線を戻す。その横顔を見ながら、俺も同じように景色を目に焼き付けることにした。
「そろそろ、桐生たちと合流するか」
「......そうだね」
凛はそう言って、来た道の方を振り返る。竹林の入り口の方から、つぐみと桐生の声が微かに聞こえてきた気がした。
「お、いたいた! 二人とも、ちゃんと竹林満喫したか?」
桐生が土産物の袋を提げながら駆け寄ってくる。つぐみもその後ろから、意味ありげな笑みを浮かべてついてきた。
「二人とも、なんかいい雰囲気じゃん」
「別に、そんなことねえよ」
俺がそっけなく答えると、つぐみは疑わしそうに目を細める。
「ふーん。まあいいや」
つぐみはそれ以上追及せず、桐生と一緒に次の目的地へ向けて歩き出す。俺と凛もその後を追った。
紅葉した山々を背景に歩きながら、俺は横目で凛の様子をうかがう。凛はいつもの無表情に戻っていた。それでいて、俺が半歩遅れると、必ず同じだけ歩幅を落としている。
「凛、お土産何買うか決めた?」
つぐみが振り返って聞いてくる。凛は少し考えるように首を傾げた。
「......まだ」
「一緒に見て回ろうよ。あたしも迷ってるんだ」
つぐみが凛の腕を軽く引く。凛は戸惑いながらも、その誘いに応じて歩調を合わせた。桐生が俺の隣に並んで、肘で小突いてくる。
「なんかいい感じになったんじゃね? 竹林で」
「別に、何も」
「その顔で言われても説得力ねえけどな」
桐生はにやにやしながら、それ以上は追及してこなかった。
前を歩く凛が、つぐみに何か言われて振り返る。目が合って、すぐに前へ戻された。戻る途中で、唇が動いたように見えた。何と言ったのかは分からない。




