どうせまた
文化祭2日目の午後、メイド&執事喫茶は昨日と変わらず賑わっていた。窓の外からは他クラスの呼び込みの声と吹奏楽部の演奏が混ざって聞こえてくる。凛は花束の出来事があってから少し落ち着いた顔で接客をこなしている。
「今日はまだ皿割ってないな」
トレイを片手に通りかかった俺が声をかけると凛が振り返る。
「......そう?」
「トレイ、ぶつけてないし」
「......今日は、まだ」
「まだって、余地残すなよ」
「......分からないから」
「昨日はどうしたんだよ、結局」
「......疲れてただけ」
「疲れてただけにしては、様子おかしかったけどな」
「......気のせい」
言いながらも凛の足取りは軽かった。昨日の疲れが噓みたいに見える。
「秋月さん、注文お願いします」
通りかかった客の声に凛が「かしこまりました」と一礼する。棒読みの声は今日も変わらず店の名物になっていた。
「昨日のグランプリの子だ!」
別のテーブルから声が上がる。凛が一瞬だけ足を止めた。
「......今日は、普通に接客してるだけ」
「普通の接客が話題になってるんだって」
「......知らない」
凛はそう言って逃げるように次のテーブルへ向かった。名指しされるたび、あいつの背中がわずかに硬くなる。気のせいだといいけどな。
「凛、5番テーブル頼める?」
厨房から出てきたつぐみが声をかける。
「......分かった」
トレイを持ち直した凛が歩いていく。その足取りは軽い。なのに、なんでだろうな。目で追うのをやめられないまま、俺は桐生の方へ視線を移した。
「桐生、そっちの方は落ち着いたか」
「全然。さっきから同じ客に絡まれてる」
振り返ると桐生が男子生徒のグループに囲まれていた。
「執事さん、蝶ネクタイ曲がってるって言われたことないの?」
「これはスタイルです」
「言い訳っぽいけど」
「これは信念です」
桐生が動じずに答える。
「独学でその歪み方はやばいでしょ」
「褒め言葉として受け取ります」
「褒めてないです」
グループの1人がさらに何か言おうとしたが、別のテーブルから呼ばれて桐生はそちらへ向かった。残された俺は苦笑するしかない。
「あの人、よく飽きないな」
凛が戻ってきて桐生の方をちらりと見る。
「......意外と、器用」
「褒めてるのか」
「......分からない」
そう言いながらも凛の口元がわずかに緩んでいた。
「秋月、休憩は取ったのか」
「......まだ」
「無理するなよ、昨日もあれだったんだから」
「......昨日は、昨日」
「今日は違うのか」
「......違う。たぶん」
凛がそう言ってまた接客に戻っていく。文化祭2日目、教室はいつも通りの賑わいの中にある。
* ◇ *
午後の客足が一段落した頃、教室の入り口に女子2人組が現れた。制服は別の中学のものらしい。1人は肩まで伸びた髪を無造作に結んでいて、もう1人は前髪をピンで留めている。肩をぶつけ合うようにして笑いながら、何の身構えもなく店に入ってきた。
「わー、ここメイド喫茶なんだ! 可愛い!」
1人が声を上げる。もう1人が教室の中を見回してあっと声を上げた。
「秋月さんだ! 久しぶり! 元気?」
凛が一瞬動きを止める。
「......久しぶり」
久しぶり、の一言に凛の声が普段より硬い。俺の位置からでも分かるくらいに。
「覚えてる? 中2の時、同じクラスだった」
「......覚えてる」
「秋月さん、全然変わらないね。相変わらずクールっていうか」
2人が近づいてくる。凛はトレイを持ったままその場に立ち尽くしていた。
「今、この高校にいるんだね。全然知らなかった」
「......たまたま」
「引っ越したの、それとも家の都合とか?」
「......高校から、この辺り」
「そうなんだ。今どこ住んでるの」
「......近く」
凛の答えはどれも短く濁っていた。2人はそれを気にする様子もなく思い出話を続ける。
「あの時のクラス、面白かったよね。修学旅行とか」
「......そう、だったかも」
「秋月さん、あんまり覚えてなさそう」
「......記憶力、悪いから」
「あの子、いつもすぐいなくなるから、また転校したのかと思ってた」
悪気なんてミリもないあっけらかんとした声だった。凛のローファーがふっと止まる。行き場を失った指先がスカートのプリーツをぎゅっと握りしめた。ただの事実確認。だからこそタチが悪い。
「......そう」
凛の返事はそれだけだった。声のトーンがさっきまでより一段低い。
「メイド服似合ってるよ。写真撮ってもいい?」
「......写真は、規則で禁止」
「そっか、残念。ここのメイド喫茶、SNSでも話題になってたよ」
「......そう」
「でもほんと変わらないね、秋月さん」
「......そう?」
「うん。中学の時から、なんか一人で完結してる感じっていうか」
その言葉に凛は何も返さなかった。1人がメニュー表を覗き込む。
「これ、注文どうすればいいの」
「......こちらのテーブルへ」
案内する凛の声から、いつもの棒読みの張りが抜け落ちていた。2人はメニューを覗き込んだまま、それに気づかない。
「秋月さん、大丈夫?」
近くにいたクラスメイトの声で我に返る。凛はまだその場に立っていた。手にしたトレイがわずかに揺れている。
「......平気」
凛が言う。声が一瞬だけ震えている。
「秋月さん、顔色悪いよ」
「......暑いだけ」
「エアコン効いてるけど」
「......そう、だっけ」
俺が近づこうとすると、凛は視線に気づいたのかテーブルの方へ歩き出した。暑いだけだ。そう思い込もうとしたのに、トレイを持つ手の白さが目に焼きついて離れない。
* ◇ *
「秋月?」
厨房から出てきたつぐみが凛の様子に気づいて声をかける。凛は返事をせずトレイを厨房のカウンターに置いた。
「......少し、外の空気を吸ってくる」
凛がそう言ってメイド服のまま教室を飛び出していく。誰も引き止める間もない。一拍の静寂が教室に残った。
「藤宮くん、今の」
つぐみが俺の方を見る。
「さっきの中学時代の知り合い、なんか言ったのか」
「聞こえてた」
短く答えた。「いつもすぐいなくなるから」。あの一言が耳の奥にこびりついて取れない。凛のことなんて、俺は半分も知らない。それでも、今の凛の顔だけははっきり分かった。あれは、まずい。
「秋月さんって、転校生なんだっけ」
「高1からこの学校だって聞いてる」
「それより前は?」
つぐみに聞かれて俺は答えに詰まった。
「詳しいことは知らない」
口ではそう言いながら、足はもう出口を向いていた。断片でいい。今はとにかく、あいつのところに行かないと。
「秋月さんって、意外と喋らないよね、自分のこと」
「そうだな」
「そっか。......なんか、今の顔、やばかったよね」
つぐみの言葉に俺は頷くしかなかった。
「あの2人、悪いこと言ったわけじゃないと思うけど」
「分かってる」
「分かってるけど、なんか刺さったんだよね、多分」
返す言葉が出てこなかった。あの二人は本当に、何も悪くない。それが一番、質が悪い。
「藤宮くん、早く行きなよ」
「ああ」
つぐみに背中を押されるように俺は教室の出口へ向かった。
「店番、任せた」
「うん、行ってきて。あたしはいいから」
つぐみが即座に頷く。桐生も少し離れた場所からこっちを見ていたが、何も言わずに接客に戻った。俺は接客用のトレイをカウンターに置いて教室の外へ走った。
廊下は文化祭の喧騒に満ちていた。他クラスの呼び込みの声、風船を持った小さい子供たち、行き交う人の波。その中に凛の後ろ姿を見つける。メイド服のまま鞄も持たずに人混みをかき分けている。
「秋月!」
声をかけても、凛は振り返らなかった。廊下の角を曲がって階段の方へ向かっていく。俺は人混みをかき分けて追いかけた。
「秋月さん、こんにちは!」
途中で他クラスの生徒に声をかけられたが、俺は会釈だけして通り過ぎる。今はそれどころじゃない。
「藤宮くん、どこ行くの」
文化祭実行委員の誰かが呼び止めようとしたが、それも振り切った。凛の後ろ姿が階段の踊り場で一瞬見えなくなる。
「秋月、待てって」
階段を駆け上がると、息が切れていた。凛は踊り場で立ち止まっていた。壁に手をついて俯いている。肩が小さく上下していた。
「秋月」
凛は答えなかった。俺は少し離れた場所で足を止めた。これ以上は詰められない。かといって、背を向けることもできなかった。
「悪い、追いかけてきた」
凛はまだ壁に手をついたままこっちを見ようとしなかった。息が少し乱れている。
「......ついてこなくて、いい」
声は震えていた。俺はそれでも、その場を動かなかった。
「1人にして」
「......分かった」
言葉ではそう答えながら、俺の足は動かなかった。凛が振り返って俺の顔を見る。
「......聞いてる? 1人にしてって言った」
「聞いてる」
「......じゃあ」
「でも、行かない」
凛が息を呑んだのが分かった。
「......なんで」
「理由なんてない」
「......理由もなく、ついてくるの」
「ついてきたらまずいのか」
凛は答えなかった。踊り場の窓から差し込む光が凛の横顔を照らしている。文化祭の喧騒が遠くから聞こえていた。
「......少しだけ、ここにいて」
「分かった」
凛の声は小さかった。それでも語尾は途切れなかった。俺はその場に立ったまま、それ以上は何も聞かない。
廊下の向こうで、まだ文化祭の音が続いている。呼び込みの声と、下手なギターと、それを笑う声。ここだけがその外側にあった。
凛は壁にもたれたまま、動かなかった。




