ミスコンの光
文化祭2日目の朝。昨日の凛の様子が少し引っかかったまま、教室に入ると廊下の掲示板の前に人だかりができていた。
「これ、見た?」
誰かの声に押されるように俺も掲示へ近づく。「ミスコンテスト エントリー一覧」という文字の下に名前が並んでいた。昨日の開店の熱がまだ残っているのか廊下は朝から騒がしい。
その3番目に秋月凛の名前がある。
周りの生徒たちが口々に「秋月さんじゃん」「意外」と囁いている。俺はその輪から少し離れた場所で名前を二度見直した。見間違いではない。
「......何、これ」
凛の声が後ろから聞こえた。俺より先に気づいたらしいクラスメイトたちがちらちらとこっちを見ている。
「つぐみ」
凛は教室に入るなり鞄も下ろさずつぐみの席へ向かう。
「聞いてない」
「エントリー、締め切ってから言おうと思って」
「聞いてない」
凛が同じ言葉を繰り返す。声のトーンは低いままだが目の下がわずかに強張っている。
「聞いたら断るでしょ」
「当然」
「だから聞かなかった」
つぐみは悪びれる様子もなく答える。凛は反論しようと口を開きかけ、結局何も言わずに口を閉じる。
「取り消せないのか、これ」
俺が横から尋ねるとつぐみは首を振る。
「もう本部に提出済み。あとは秋月さんが当日棄権するかどうかだけ」
「棄権する」
「するなら早めに言って。代わりの子探さなきゃいけないから」
凛の口が半分開いて、そのまま閉じた。もう一度「棄権する」と言い直すだけでいいはずなのに、その一言が出てこない。
「秋月、逃げても無駄だと思うぞ」
俺がそう言うと凛がこっちを睨んだ。
「......他人事だと思って」
「他人事だからな」
「......薄情」
「事実を言っただけだ」
凛の視線が一瞬だけ下に落ちる。それからまた掲示板の方を見た。自分の名前が他の候補と並んで貼られている。
「桐生くんも、ミスターの方にエントリーされてたでしょ」
つぐみが思い出したように言うと、桐生が「は?」と裏返った声を出す。
「聞いてない」
「エントリー、締め切ってから言おうと思って」
「さっきと同じ台詞、俺にも使うのかよ」
「便利だから」
「取り消せ、それ」
「もう本部に提出済み」
「誰だよ推薦したの」
「クラス全員の総意」
「総意って便利な言葉だな、お前もそれ好きだよな」
「便利だから使ってる」
桐生が頭を抱える。凛はその様子を横目で見て、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
「......道連れがいた」
「聞こえてるぞ」
桐生が呻いた。
「秋月さんは棄権しないって」
つぐみが確信ありげに言う。
「......なんでそう言い切れるの」
「みんな見たがってるから。それに」
「それに?」
「藤宮くんも見たいでしょ」
突然話を振られて俺は言葉に詰まる。凛が俺の方を見た。何か言おうとして結局視線を逸らす。
「......別に、どっちでもいい」
「棄権するの?」
「......しない、とは言ってない」
その微妙な言い回しにつぐみがにやりと笑う。
「決定。じゃあ、午後1時に控室集合ね」
「......いつ決定したの」
「今」
「......横暴すぎる」
「褒め言葉として受け取っとく」
「......褒めてない」
凛が反論する隙もなくつぐみが話をまとめてしまう。教室の空気はいつの間にか文化祭の喧騒に戻っていた。
* ◇ *
午後1時、体育館裏の控室。エントリー者たちが慣れない衣装に着替えて緊張した顔で並んでいる。廊下には香水と汗の匂いが混ざって漂っている。
俺は男子控室の外で待っていた。桐生も一緒に来たがミスターの準備に追われてまだ姿を見せない。控室の窓越しに係の生徒が慌ただしく走り回っているのが見える。
「藤宮くん」
女子控室の方からつぐみが顔を出す。
「秋月さん、まだ緊張してる。ちょっと励ましてきて」
「俺が行っていいのか」
「いいから早く」
押し出されるように控室の入り口まで歩かされる。中を覗くと着替えを終えた凛が鏡の前で立ち尽くしていた。
「......本当に、出るの」
凛が鏡越しに俺を見る。
「今更聞くのかよ」
「......聞いてる」
「似合うって。心配すんな」
口にしてから、まずいと思った。俺は鏡の中の凛から目を逸らす。凛は黙って鏡の方を向き直る。
「......そういうの、いらない」
「褒めただけだろ」
「......いらないって、言った」
言葉とは裏腹に凛の耳の先は赤くなっている。それに気づいていないふりをして俺は控室の入り口から離れる。
「本番、10分後だから」
係の生徒が声をかけると凛が小さく頷く。
「秋月」
「......まだいたの」
「桐生も緊張してたぞ、さっき舞台袖で台詞ずっと確認してた」
「......意外」
「意外だろ」
「......少し」
凛の肩から力が少しだけ抜けた気がした。俺は控室のドアへ向き直る。
「じゃあ、あとで」
「......うん」
* ◇ *
ステージの照明が体育館全体を明るく照らしている。客席は満員で俺は後方の壁際にどうにか場所を確保した。
「見えるか」
隣に来た桐生が背伸びをしながら聞いてくる。ミスターの出番は既に終わったらしく緊張から解放された顔をしていた。
「なんとか」
「俺の出番、見た?」
「見てない」
「見とけよ、結構受けてたのに」
「そういうのはいい」
「冷たいな、お前」
桐生がぼやきながらまた背伸びをする。
「秋月さん、次だろ」
「見えてる」
「緊張してんな、お前」
「してない」
「顔、強張ってるぞ」
「気のせいだ」
桐生が肩をすくめる。俺は返事をせずにステージへ視線を戻す。
司会のアナウンスがエントリーナンバー3番を告げる。幕の向こうから凛が姿を現した。
深い青のドレスが照明を受けて揺れる。編み込まれた髪からふだんは見せない首筋が覗いていた。教室で見る無表情とは違う少し硬い作り笑いを浮かべている。会場が一瞬だけざわめきに包まれた。
「本当に秋月さんかよ」
桐生が呟く。俺も同じことを思っていたが口には出さない。
凛の視線が客席をゆっくりと滑っていく。何かを探しているように見える。
ふいにその動きが止まる。
目が合った。照明の向こうで凛の唇が、ほんの数ミリだけ綻ぶ。俺はただ、瞬きすら忘れていた。
「あの子、すごい可愛くない?」
近くの席からそんな声が聞こえる。何人かの男子が凛の名前をスマホで検索し始めていた。他クラスの誰かが「話しかけてみようかな」と笑っている。
その声を聞いた瞬間、胸の奥がざらついた。俺は聞かなかったふりをして視線を前に戻す。ステージの凛は、まだこっちを見ていた。
「壇上、静かに願います。それでは結果発表です」
司会の声に会場が静まる。
「グランプリ、3番、秋月凛さん!」
拍手と歓声が同時に上がった。凛は驚いたように立ち尽くしている。隣で誰かが花束を差し出すまでしばらく動けずにいた。
「やるな、秋月さん」
桐生が笑いながら言う。俺は拍手をしながらステージの凛を見上げる。
「あの子、うちのクラスだよな。優勝すると思わなかった」
「まあ、ダントツだったし」
近くの女子2人が話しているのが聞こえる。凛はまだ花束を抱えたまま、司会に何か言われて小さく頭を下げていた。
「なあ、蒼太」
「なんだ」
「顔、ちょっと緩んでるぞ」
「うるさい」
桐生がわざとらしく顔を覗き込んでくる。俺は拍手の手を一瞬止めて、そのまま続けた。
* ◇ *
控室に戻ってきた凛はまだ興奮の残る顔をしていた。花束を抱えたまま俺のところへ近づいてくる。
「......見てた?」
「見てた」
「......そう」
凛が視線を落とす。花束の包装紙を指先でなぞる。
「あなたが見てたから頑張れた......なんて言わないから」
ほんの一拍。凛が両手をぎゅっと握りしめ、朱に染まった耳の先をごまかすように背を向けて歩き出す。
「秋月」
「......何」
「別に、そんなこと聞いてない」
「......聞かれる前に、言っただけ」
振り返らないまま凛が答える。俺は歩き出したその背中から目を離せなかった。今のは、否定じゃない。たぶん。
「花束、重くないのか」
「......平気」
「持つぞ」
「......いい」
「意地張るなよ」
「......張ってない」
「じゃあなんで、さっきから抱え直してるんだ」
「......花束が、大きいから」
「じゃあやっぱり重いんだろ」
「......そういう意味じゃない」
それでも歩幅は少しだけ、俺に合わせて緩やかになっている。
体育館の外に出ると文化祭2日目の喧騒が戻ってくる。他クラスの呼び込みの声、焼きそばの匂い、遠くから聞こえる吹奏楽部の演奏。凛の頬にはまだドレスのときの化粧が残っていて、それが夕方の光に少し浮いて見えた。
「凛、すごかったじゃん!」
途中で合流したつぐみが興奮した様子で話しかけてくる。凛は花束を持ち替えながら少しだけ困ったような顔をした。
「......大げさ」
「大げさじゃないって。優勝じゃん、優勝」
「......分かってる」
「分かってるって顔じゃないけど」
つぐみが凛の顔を覗き込む。凛はそっぽを向いてそれ以上は答えない。
「秋月さん、これから何するの」
桐生が尋ねると凛は少し考えるように空を見上げる。
「......着替える」
「それはそうだろうけど」
「......花束、持って帰る方法を考える」
その返答につぐみが吹き出す。俺も思わず笑ってしまった。凛が不服そうな顔でこっちを見たが、それ以上何も言わなかった。




