不器用な祝い方
9月15日。
窓から差す光は、夏の盛りと角度が変わっている。まだ暑いが、空気の色が少しだけ変わりかけていた。教室の扇風機は、まだ仕舞われていない。
朝のホームルームが終わって間もなく、廊下からひなたが顔を出す。隣のクラスなのに、こういう時は素早い。
「そうくん、誕生日おめでとう!」
白い小箱を両手で持っていた。リボンが掛かっている。
「ありがとな」
「開けて。クッキー、今年も焼いたから」
「今年も?」
「毎年焼いてるじゃん。去年より少し厚みを変えたから、感想聞かせてね」
桐生が横から割り込んでくる。
「柚木さん毎年手作りか。すごいな」
「そうくんが好きな味、分かってるから」
ひなたが笑う。俺は小箱を受け取った。かすかにバターと砂糖の匂いがする。蓋を開けると、形の不揃いなクッキーが並んでいる。端が少し焦げたのが何枚か混じっていた。毎年そうだ。
「ありがとな。後で食べる」
「感想聞かせてね」
ひなたが自分のクラスに戻っていく。桐生が「毎年か、いいな」と言った。
凛は自分の机でノートを開いている。手元の鉛筆が、一度だけ止まった。すぐに動き出す。
俺は小箱を鞄に入れる。誕生日は毎年、ひなたのクッキーと桐生の「おめでとう」で終わる日だ。クラスの何人かからも声がかかった。
昼休みに、桐生が弁当を出しながら言う。
「誕生日なのに特別なことしないの?」
「するか」
「ひなたちゃんのクッキー食べて終わり?」
「まあそうなるな」
桐生がからあげを口に入れる。
「秋月さんからは何かないの?」
「ないだろ」
「そうかな」
「なんでそう思うんだ」
「なんとなく」
「なんとなくって何だ」
「いや、桐生の勘なんだけど。蒼太の誕生日って秋月さん知ってるんじゃないのかな、ってさ」
「どうして」
「先週あの子、俺に蒼太の誕生日いつか聞いてきたんだよな。忘れてた。さっきひなたちゃんのクッキー見てたら思い出した」
俺は弁当の箸を止める。前に聞いた話だ。
「それ、なんで今日また言うんだ」
「今思い出したから」
「もっと早く言えよ」
「別に困ること何もないだろ」
桐生はそれ以上続けない。弁当の残りに集中している。
俺は小箱を取り出す。クッキーを1枚食べた。端の焦げた苦さが後から来る。今年は少し厚い。
桐生が話したことが、まだ頭の中にある。先週秋月さんに誕生日を聞かれた。俺がいない場所で、凛が桐生に聞いた。なぜそうしたのかは分からない。分からないまま昼休みが半分過ぎていく。
少し離れた席で、凛とつぐみが昼食を取りながら話していた。声は届かない。凛がちらりとこちらを見て、また前を向いた。つぐみが凛の腕をつつく。
チャイムが鳴った。
* * *
放課後。帰り支度の音があちこちでしている。
桐生が椅子を引いて立ち上がる。
「じゃあな」
「おう」
桐生が鞄を担いで出て行く。俺も鞄を持とうとした。
「藤宮くん」
振り返ると、凛が俺の机の前に来ていた。右手に白い紙袋を持っている。昼休みに見た光景が、後から追いついてきた。
「......これ」
机の端に置くように差し出してくる。
「何だ」
「......誕生日でしょ。別に、覚えてたわけじゃないけど」
受け取った。紙袋は少し重かった。
「開けていいか?」
「......どうぞ」
中を見る。小さな缶が入っていた。焼き菓子の詰め合わせだ。蓋を開けると、バターの香りがした。クッキー、スコーン、ショートブレッドが丁寧に並んでいる。
「うまそうだな」
「......開けてみて」
「今か?」
「......後でもいいけど」
「開ける」
1個取り出して口に入れる。舌の上でさっと崩れた。バターの後味。さくさくした歯ごたえ。
「うまい」
もう一度缶の中を見る。
「これ、俺の好きな感じだ」
「......前に、ファミレスで同じの頼んでた。たまたま覚えてた」
俺は凛の方を向く。凛は少し顔を横に向けていた。横顔しか見えない。鞄の持ち手を片手で握っている。
夏に何度行ったか、凛が何を食べていたかは、覚えていない。俺の頼んだものを、凛が覚えていた。
「覚えてたのか」
「......たまたま、って言った」
俺は押し返す言葉が出なかった。
その時、廊下からひなたとつぐみが入ってくる。
「そうくん、まだいた。よかった」
ひなたが机の上の缶を見る。
「焼き菓子? 誰からもらったの?」
「凛から」
「凛ちゃんが選んだの?」
ひなたが凛の方を向く。
「......目に入ったから」
「いいじゃん、センスいい。どこで買ったの、これ」
「......駅のデパートで」
「1人で行ったの?」
「......そう」
「すごいな。私こういうの選ぶのが苦手で、いつも何時間もかかっちゃう」
「......それはそれで問題じゃないか」
ひなたが「そうかな」と笑う。
つぐみが缶の中を覗く。ショートブレッドを1個取り出してかじった。
「おいしいじゃん、これ」
「俺の好きな味らしい」
「へえ」
つぐみが缶と凛を交互に見て、それから俺を見た。何も言わない。
「凛ちゃん、手作りは?」
ひなたが凛に聞く。
「......練習はした。形にならなかっただけ」
凛が短く言う。
机の上に、ひなたの白い小箱と凛の缶が並んでいた。形の整った缶と、形の不揃いな手作りクッキーの箱。凛がそれを一瞬見た。表情は動かない。
「来年は手作りチャレンジしよ、凛ちゃん。私が教えてあげるから」
ひなたが言う。
凛の手が止まった。静かになった。ひなたは笑顔のままだ。
つぐみだけが凛を見ていた。
「......考えておく」
ひなたが「約束ね」と笑う。
「じゃあ私は帰るね。そうくん、誕生日おめでとう」
ひなたが鞄を持って出て行く。教室が少し静かになった。
つぐみが「凛、帰ろ」と言う。
「......うん」
2人の足音が廊下に消えた。
机の上に缶だけが残っていた。蓋を閉める。紙袋に戻す。ひなたの小箱と2つ、鞄の中に。小さな音。
* * *
校門を出ると凛が隣に来た。いつもの路地。セミの声が前より細い。夏が減っている。
凛は特に何も言わなかった。俺も言わなかった。2人分の足音。
しばらく歩いてから、凛が口を開く。
「......来年、手作りって言ったけど」
「言ってたな」
「......うまくいくか分からないけど」
「そうか」
「......別に、ひなたさんに習う気はないけど」
「なんで?」
「......いい」
それ以上は続かない。しばらく歩いた。
「......1人でやれると思う」
凛がまた言った。俺に聞かせるつもりかどうかは、分からなかった。
「そうか」
「......来年は」
「来年か」
凛の足が一度だけ遅れて、すぐに追いついた。
「......うまくいかなかったのは、やり方が悪かっただけだから」
「あの缶は、うまかったけどな」
凛が少し間を置く。返事はしなかった。
住宅街の路地を曲がる。どこかの家から夕飯の匂いがする。自転車が1台追い越していった。凛が少し前を向く。
凛の家の前まで来た。凛がポーチから鍵を出すのに、今日は少し手間取った。扉を開けてから、思い出したように振り返る。
「......また明日」
「おう」
扉が閉まった。
鞄の中で、缶と小箱がかたんと鳴った。それを聞きながら歩いた。




