缶ジュースとため息
正門の外に出ると、ひなたが両手を上げる。
「いやあ楽しかった〜! また行きたい〜!」
「だろ! ちゃんと練習したんだよ」
桐生が誇らしそうに言う。つぐみが「誰も聞いてない」と横で返した。
「科学室のとこ、びっくりしたよ〜! 本物っぽかった!」
「ひなたに驚いてほしかったんだよ!」
「こんなに褒めてもらえると思わなかった」
つぐみが「それはお世辞じゃないの」と補足する。桐生が「白河さんにもそう言ってほしかった」と返した。
凛は外灯の下に立っていた。
腕を組んでいる。
学校の外に出ても、緊張がまだ残っているような立ち方をしていた。足元に外灯の光が落ちている。ひなたたちのやり取りを、少し遠くで聞いている顔だった。
「少し待ってろ」
正門の脇に自販機があった。小銭を入れて、コーラとスポーツ飲料を1本ずつ取り出す。凛の分に何を買うか、一拍だけ考えた。スポーツ飲料の方を選んだ。
凛の横に戻って、1本を差し出す。
「......」
「暑いだろ」
凛が缶を見て、それから俺を見る。
「......悪い」
缶を受け取る。
表面が冷たかったのか、一瞬、指先が震えたのが見えた。
「怖かったな」
「......怖くなかった」
「あんなに掴んでたけどな」
凛が少し顔を向ける。
「......あれは、不可抗力だって言った」
「言ってたな」
凛が缶を額に当てる。
目を閉じた。
「......その話は、もういい」
「そうか」
虫の声が続いている。
少し風が出てきた。汗が乾く。
凛が目を開けて、夜空を見る。
「......星、出てる」
「そうだな」
「......さっきは見る余裕がなかった」
「肝試しだったからな」
「......怖くなかったけど」
俺は何も言わない。
周囲では、ひなたがまだ桐生に話しかけている。つぐみが相槌を打っている。その声が少し遠い。
凛が缶を額から外して、少し飲む。
また空を見る。
「......夜風、ある」
「外に出たからな」
「......中にいると分からなかった」
「外が広いからな」
凛がゆっくり息をつく。
缶を両手で持ち直して、また空を見ている。
「......暗い場所が、少し苦手なのかもしれない」
「怖いのか」
「......怖くはない。ただ、狭い気がする。どこにいるか、分からなくなる」
「そうか」
間があった。
凛が缶の表面を指先でなぞる。冷たさを確かめるような動きだった。
夜風が、汗の引いた腕に冷たかった。
凛の横顔が、外灯の光の縁に引っかかっている。
缶を額に当てたまま、少し口を閉じる。
「......涼しくなってきた」
「そうだな」
「......正直に言う」
「ん」
「......全部終わって、少し楽になった」
「そうか」
「......楽になった、と言ってる」
「分かった」
凛が缶を両手に持ち直す。
空を見ながら少しずつ飲んでいる。急がない。
蝉はもういない。低い虫の声が続いている。
「......さっき、科学室の前で」
「驚いてたな」
「......驚いていない。反射的に腕を掴んだだけ」
「それを驚いたって言うだろ」
「......仕掛けが予測の外だっただけ」
「そうか」
「......あなたは動じなかったのか」
「少しは」
「......少しは」
「うん」
凛がまた空を見る。缶を少し傾ける。
何か言いかけて、止まった。
外灯の光が地面に丸い輪を作っている。その輪の中に凛の靴先が入って、また出る。
「......次は、もう少し落ち着いてみる」
「今日は落ち着いてなかったのか」
「......怖くはなかった」
「そうか」
迷いなく言った。
凛が缶を片手に持ち替える。
「......缶、あと少し残ってる」
「ゆっくり飲んでいいぞ」
「......そうする」
外灯の光が揺れていた。
どこかの植え込みで、特定できない虫が鳴いている。
ひなたが「ねえ、ひなたまだいるよ〜」と言った。桐生が「ごめん完全に忘れてた」と返した。つぐみが「あたしも」と静かに言った。ひなたが「ひどい!」と笑った。
凛がひなたを見ている。
笑顔につられるように、口の端が少しだけ動いた。
* * *
少し離れた場所に、つぐみと桐生が移動していた。
「ねえ」
「なに」
「あの2人、付き合ってないのおかしくない?」
桐生が腕を組んだ。
「ほんとそれ」
「缶ジュース買って渡すだけでなんか様になるの、何なの」
「蒼太が全然気づいてないのが全部なんだよな」
「凛は気づいてきてるっぽいのに」
「だから進まない」
つぐみが正門の方向を見た。
蒼太と凛が並んで夜空を見ている。会話はないが、2人の向く方向が同じだった。
2人のため息が重なった。
「付き合ってくれよ」
「そこは本人たちに言え」
「言えないでしょ、あの2人に」
つぐみが少し笑った。
「見守るしかないか」
「そうだな」
ひなたが空を見上げながら言った。少し離れた場所で、ひとりで星を探している。
「2人って、仲いいよね〜」
桐生とつぐみが、同時にもう一度ため息をついた。
* * *
「行くか」
声をかけると、凛が空から目を外す。
「......うん」
ひなたが「またね〜!」と手を振って先に分かれる。つぐみと桐生は少し後で「また明日」「おやすみ」と別の道に入った。
俺と凛が2人になる。
夜道を歩く。
凛の家の方向と俺の帰り道が途中まで重なる。
肩が届きそうで、届かない距離に、凛がいる。
指摘はしないで、そのまま歩いた。
「......今日、来てよかった」
「肝試しか」
「......うん。校舎が、昼間と全然違った」
「怖かったんだろ」
「......雰囲気が違うって言ってる」
「そうか」
住宅街の夜は静かだ。
足音が2つ、アスファルトの上で続いている。
「......ひなたって、あの状況で怖くないんだな」
「楽しいタイプだから」
「......楽しい、か」
「怖いとか楽しくないとか、あまりそういう分類をしないやつだと思う」
「......そうか」
凛が少し前を向いたまま、考えるような間を置く。
「......なんか、うらやましいな」
「怖くないのが?」
「......いちいち分類しないのが」
「そうか」
凛の横顔が少し下がる。考えているのとも諦めているのとも違う顔だった。
足音が続く。
「......私は慣れてない。こういうのに」
「こういうの、というのは」
「......声をかければ来てくれる人が、ちゃんといること。みんなで何かをすること。そういうの全部」
「転校を繰り返してたんだろ」
「......うん。だから最初から、終わると思って付き合ってた。深くならないように。期待しすぎないように」
「そうか」
「......どこ行っても同じだった。最初は声をかけてくれる。少し経ったら慣れる。また引っ越す。その繰り返しで、どこにも戻る場所がなかった」
「そうか」
「......慣れる前に終わるから。それが分かってたから」
車の走る音が遠くから来て、消えた。
「......でも最近、それが崩れてきてる気がする」
「そうか」
「......あなたたちのせいで」
「責任転嫁だな」
「......そうかもしれない」
凛が少し前を向く。
「......崩れてきてる、っていうのが」
「ん」
「......悪いことじゃないと思い始めてる」
返す言葉がなかった。凛も続けなかった。
凛が前を向いたまま歩いている。さっきの言葉を手放した、というより、出し切った顔だった。
少しだけ前に出て、それから気づいたように、また俺に並んだ。
夜道の先に外灯が並んでいる。
歩くリズムが変わらない。速さが俺に合わせている。
住宅街の外灯の下を歩く。光の中に入る。また暗くなる。また入る。それが続く。
遠くで車の音が一度聞こえて、消えた。また静かになった。
街灯が途切れた区間があった。
民家の塀だけが続いている。
凛が半歩詰める。
「まだ怖いのか」
「......怖くない」
「そうか」
「......」
どちらも黙った。
塀の向こうで何かが鳴く。虫の声だ。
凛が腕を組んだままで、少し俺側に傾いた。傾いて止まった。
その距離のまま、また歩く。
「......近くにいた方が、道がわかるから」
「そうか」
返さなかった。
暗い区間を抜ける。また街灯が並び始める。
視界が少し広くなる。
凛は、まだ少し近い位置にいた。
「......方向音痴だから」
「分かってる」
「......本当に」
「分かってる」
小さく息をついた。
夜道の先に外灯が続いている。
2人分の足音が、変わらず続いている。
凛の言葉が少し遅れて頭に来た。
道がわかるから。
本当か?




