掴んでない
桐生の言い出しっぺ精神を誰かが止めたためしがない。
3日前のことだった。学校の夜間開放日というものがあるらしい。部活の夜間練習がある日に合わせて開放する関係で、一定の時間帯だけ警備が薄くなる。それを桐生が調べてきた。
「肝試しだ」
一言だけで、なぜかひなたとつぐみが乗った。俺は断る理由がなかった。凛が「......暇だから」と来た。
夏の夜の学校正門前。
蝉の声は消えていた。代わりに低い虫の声が続いている。Tシャツの背中が汗で貼り付いている。
「全員集まったな」
桐生が5人の顔を順番に確認する。
「ペアを発表する。くじで決めた」
小さな紙を広げる。
「俺とつぐみ。ひなたは単独。藤宮と秋月さんだ」
「......なんで単独がいるの」
凛が桐生を見る。
「ひなたが希望した」
凛がひなたを見る。
「怖くないの?」
「怖いもの見たいんだよね〜! 全然大丈夫〜!」
ひなたが両手を合わせる。本気で楽しみにしている顔だった。
「......正気?」
凛が俺を見た。
「ひなたはこういうやつだ」
「......なの」
つぐみが「ひなたは怖いのが嫌いなんじゃなくて、何でも楽しいタイプなんだよね」と補足する。ひなたが「そうそう〜!」と頷き、凛が「......理解できない」と小声で言った。
「ルールを説明する」
桐生が仕切り直す。
「全員で校舎に入って、3階から降りてくる。科学室、音楽室、図書室の3箇所にチェックポイントを置いてある。メモ用紙を全部回収したら、正門に戻って終わり」
「......仕掛けがあるって言ってたけど」
凛が言う。
「多少は」
桐生が目を逸らす。
「多少って?」
「......まあ、楽しんでくれ」
「信用できない顔してる」
「藤宮さん、フォローを」
「できない」
つぐみが「あたしも信用してないから最初から覚悟してる」と言う。桐生が「白河さんまで!」と声を上げ、ひなたが「大丈夫だよ〜! 行こう行こう!」と先に歩き出した。
正門を通る。
校舎の玄関を桐生が開ける。
ぎ、という音がする。
廊下に非常灯の緑が並んでいる。
窓の外は暗い。
昼間と別の場所だ。
「......」
凛が小さな声を出す。声というより、息だった。
俺は何も言わない。
* * *
3階の廊下に出る。
非常灯の数が1階より少ない。窓の外はグラウンドで、グラウンドライトも落ちている。廊下の先が見えない。
凛の手が俺の袖を掴んだ。
気づかないふりをして、そのまま歩いた。
「......掴んでない」
「掴んでるだろ」
「......これは、暗くて方向が分からないから」
「だろうな」
「......あなたの歩き方が速いから」
「普通に歩いてるけどな」
「......黙って」
掴んだまま歩いている。袖ではなく、もう少し上の部分を握っている。
少し振り返る。
凛の手の甲が見えた。
「秋月」
「......なに」
「怖かったら言えよ」
「......怖くない。暗いだけ」
「暗くて怖いんだろ」
「......」
凛は何も返さない。
廊下の突き当たりに科学室のドアが見えてきた。ドアの前にメモ用紙が貼ってある。チェックポイントだ。
俺がしゃがんで剥がそうとした瞬間。
ドアが内側から開いた。
「うわっ!」
白い布を頭からかぶった何かが飛び出てきた。
凛が俺の腕を掴んだ。袖ではなく腕だった。両手で。強く。
白い布が取れた。桐生だった。
「どうだ!」
満足そうな顔をしている。
「お前がやるのか」
「仕掛けだよ。科学室に先回りしてた」
「つぐみはどこだ」
「ちょっと置いてきた。すぐ来るよ」
「置いてくるな」
凛が俺の腕からゆっくり手を離す。
後ろを向く。
「......今のは不可抗力」
「分かってる」
「......驚いたわけじゃない」
「驚いてたけどな」
「......」
凛が振り返らないままでいる。
廊下の暗がりの中で、耳だけが赤かった。
つぐみが廊下の向こうから歩いてきた。桐生の後を追ってきたらしい。
「凛、大丈夫?」
「......大丈夫」
「耳が赤いよ」
「......暗いから見えないはず」
「見える」
凛が袖を耳に当てる。
つぐみが桐生を一度見て、「先に行きましょ」と俺に言った。桐生が「え、俺の仕掛けの感想を」と言いかけたが、つぐみにひっぱられて音楽室の方に向かう。
ひなたは廊下の先でひとりで何かを眺めている。本当に怖くないらしい。
「行くか」
「......うん」
今度は、俺のシャツの裾を持って歩いてきた。
* * *
音楽室は静かだった。
窓の外にグラウンドが見える。月が出ていて、砂の上が薄く光っていた。
チェックポイントを回収する。
凛が窓の外を見ていた。
「......月、出てる」
「そうだな」
「......少し、落ち着いた」
「校舎の中より外が見えるから」
「......光があるから」
俺は凛の横顔を見る。月の光が少し当たっている。
「さっき手が震えてたな」
「......震えてない」
「震えてた」
「......確認したの」
「した」
凛が「......」と口を閉じる。
「怖い時は正直に言えばいいのに」
「......言った」
「いつ」
「......さっき」
「言ってないけどな」
「......暗いだけって言った」
「それは怖いとは言ってない」
「......うるさい」
凛が窓から離れて、図書室の方に向かう。
図書室は音楽室より暗かった。
本棚の間が細く、奥まで光が届かない。
ひなたは一番奥まで進んで「ここ、本の匂いがする〜」と言っている。
「本棚の間に仕掛けはないだろうな」
桐生に聞くと、「科学室だけ」と返ってくる。
「だったら最初から科学室だけって言えばよかったな」
「雰囲気も大事だろ」
つぐみが「桐生くんのプロデューサー気質は治らないね」と言う。桐生が「褒めてる?」と聞くと、「褒めてない」と返された。
チェックポイントを回収する。
正面玄関から外に出る。
夏の夜の空気が一気に来た。
虫の声。汗が風で冷えた。
ひなたが正門の前で「楽しかった〜!」と両手を上げる。
「楽しかったのはひなたとキャラの迷走してる桐生だけだから」
つぐみが言うと、桐生が「キャラは迷走してない!」と返した。
「全部回収したか」
3枚のメモ用紙を確認する。全部ある。
凛が俺の隣に立つ。
「......全部終わった」
「そうだな」
「......怖くなかった」
「そうか」
「......一切」
「うん」
「......掴んでも、ない」
「掴んでないな」
間があった。
「......怖かった」
「そうか」
それだけだった。
帰り道。
ひなたとつぐみが先に分かれる。桐生が「また明日な」と別の道に入った。
俺と凛が2人になった。
夜道を並んで歩く。凛の家の方向と俺の帰り道が途中まで重なる。
「......手、震えてたの分かった?」
「振り返った時に」
「......そう」
凛が少し黙る。
「......怖い場所って、苦手なの。昔から」
俺は特に答えない。
「......何でもない話だけど」
「ん」
「......」
「今後は肝試しに誘わないようにする」
「......別に、来る」
「怖いんだろ」
「......来るって言ってる」
俺は何も言わなかった。
凛の家の近くまで来る。
凛が足を止める。
「......じゃあ」
「ああ」
凛が背を向けて、3歩進む。
振り返らずに言った。
「......今日は」
言葉が止まった。
「ああ」
凛が歩いていった。
ひとりで夜道に立っていた。
震えていた手。
守ってやりたい、って思ったのは。
誰だってそう思うだろ。
ないない、よな?




