卵の殻が入る理由
お盆の昼間。
外でセミが鳴いている。桐生は実家に帰ったと昨日LINEが来た。ひなたも帰省中だ。つぐみも同じだと言っていた。母は今朝帰ってきて、また今夜出る。
スマホをテーブルに置く。特にすることもない。
インターホンが鳴った。
出ると凛が立っていた。
浴衣ではなく、白い半袖と短めのパンツ。サンダルを履いている。髪を後ろでひとつにまとめていた。
「......家にいると暇で」
「そうか」
「......」
「上がるか」
「......別にいい」
「暑いだろ」
「......」
少し間があった。
「......上がる」
俺は玄関を開けて横にずれる。
凛が靴を脱いで、中に入る。
エアコンの効いた部屋に、凛が立つ。
室内を一度見回した。
「......1LDKくらい?」
「そう」
「......お母さんは」
「夜勤。夕方に出る」
「......そう」
俺はキッチンに行って麦茶を出す。コップに氷を入れて注ぐ。
テーブルに置くと、凛は椅子に座っている。ソファではなく、テーブル横の椅子の方だ。背筋が伸びている。
コップを両手で持ってひと口飲む。
「......藤宮くんって、料理できるの」
「できるけど」
「......何が」
「基本的なものは大体。オムライスとか肉じゃがとか」
「......」
凛がコップを持ったまま、テーブルの方を見る。
「......オムライス、教えてほしい」
「秋月が作るのか」
「......作れると思う」
「料理、やったことあるか」
「......卵を割ったことがある」
「それだけか」
「......それだけ」
俺は少し考える。
「分かった。材料はある」
「......」
「エプロン、持ってきたか」
「......持ってきてない」
「そうか。貸す」
引き出しから母のエプロンを出して、凛に渡す。白いやつだ。
凛がそれを受け取る。
ひもを後ろで結ぼうとして、少し手間取っている。俺が手を出そうとしたら、
「......自分でできる」
「そうか」
しばらくかかって、結べた。
「......よし」
小さく言う。
「よし、って声に出るのか」
「......出てない」
「出てた」
「......」
凛がキッチンの方を向く。
「......準備、できた」
「じゃあキッチン狭いから、順番に入って。まず俺が説明するな」
「......分かった」
凛がキッチンの入り口に立つ。
俺はその横に並んで、冷蔵庫を開ける。
「材料は揃ってる。卵に鶏肉、ご飯にケチャップとバター」
「......多い」
「オムライスだから」
「......何から」
「何から始めるか、秋月が決めていいぞ」
凛がキッチンを一度見る。
「......卵から」
「なら卵から。卵の割り方、知ってるか」
「......1回やったことがある」
「どうなった」
「......殻が入った」
「最初はそういうもんだ」
「......今回も入るかもしれない」
「入らないようにするのが今日の目的だろ」
「......そう」
俺は冷蔵庫から卵を1個取り出す。
* * *
「まず卵の持ち方から見てろ」
俺は卵を右手で持つ。人差し指と中指を上に、親指を下に添える。
「こうやって持って鍋の縁に当てる。1点に集中させて割る」
「......縁に当てればいいの」
「そう。フラットな台に当てる人もいるけど、俺は縁の方が安定する」
「......なるほど」
「やってみるか」
「......やる」
「力を急に入れすぎると割れすぎる。ゆっくり当ててから少しずつ」
凛が卵を持つ。右手で俺と同じように。
ゆっくり鍋の縁に向かって、当てる。
パキッという音がした。
割れなかった。
「......割れない」
「もう少し力を足して」
もう1回当てる。
今度は割れた。中身がボウルに落ちていく。
白い破片も一緒に落ちた。
「......入った」
「入ったな」
「......」
「スプーンで出せる」
凛がスプーンを取る。ボウルの中を慎重に探っている。
取り出せた。
「......取れた」
「1個じゃ足りないから、あと3個割る」
「......また入るかもしれない」
「入ったら出せばいい」
凛が次の卵を持つ。
今度はきれいに割れた。殻が入った。
「......」
3個目。殻が入った。
4個目。
凛が割る前に止まる。卵を手に持ったまま動かない。
「どうした」
「......入らないか確かめてる」
「確かめながら割れるもんじゃないけどな」
「......」
凛が4個目を割る。
今度は入らなかった。
「......入らなかった」
「そうだな」
「......なんで今回は入らなかったの」
「分からないな。感覚だと思う」
「......」
凛がスプーンを置く。
「......なるほど」
納得したのかどうか分からない顔だった。
俺はフライパンにバターを落とす。火をつけて溶かしていく。
「次は炒めだ。鶏肉から入る」
「......自分でやりたい」
「見てからでいいか」
「......見る」
バターが溶ける。鶏肉を入れると音が立つ。油が少し跳ねた。
「離れた方がいいぞ」
「......見たい」
「近いな、秋月」
「......大丈夫」
近いのに動かなかった。
鶏肉に火が通ったところで、ご飯を入れる。ケチャップを回しかけて、混ぜていく。
「次でやってみるか」
「......やる」
ケチャップライスができた。火からずらして凛に渡す。
「次は卵を包む工程だ。バターをもう少し足して、卵を流し込む」
「......分かった」
凛がフライパンを受け取る。取っ手を握る指が、白くなっていた。
俺がバターを足して火をつけると、凛が溶けるのを見ていた。
「流していいか」
「ゆっくり。すぐ混ぜて火を通しすぎないようにする」
凛がボウルの卵をフライパンに流す。広がっていく。
混ぜ始めた。
「......焦げてきた?」
「半熟のうちにライスを乗せる。あと10秒くらい待って」
「......分かった」
10秒。
「今だ。ライスを中心に」
凛がスプーンでケチャップライスを移し始める。
手元が少し不安定だ。
「もう少し中央に」
「......こう?」
「そう。次に、」
フライパンから焦げの匂いが来た。
「火を弱める。コンロのダイヤルを左に」
「......どのくらい」
「もっと下げる」
凛がダイヤルに手を伸ばす。位置が分からないのか、少し迷っている。
「まだ強い。もう少し下だ」
俺もコンロに手を伸ばす。
凛の右手のすぐ後ろから、ダイヤルを一緒に回す。
凛の手の甲に、俺の指先が触れた。
「ここで止める」
「......分かった」
凛の声が低くなった。
俺はダイヤルから手を引く。火加減は落ち着いている。
「卵を折り畳んでいく。フライ返しでゆっくり持ち上げて」
「......こう?」
「もう少し奥から。そう。上手い」
「......本当に?」
「形は出てる。傾けて皿に盛るぞ」
皿を凛の前に置く。
凛がフライパンを少し傾けると、オムライスが皿の上に滑り出た。
少し崩れているが、立っている。
「......できた」
「できたな」
「......これ、できてる」
「初回にしては上等だ」
「......」
凛がオムライスをしばらく見ていた。
俺はケチャップを取って上から線を引く。
「......」
「こっちの方が映える」
「......ありが」
凛が止まった。
「......悪い」
「礼ならいらないけどな」
「......言ってない」
俺はそれ以上聞かなかった。
フライパンを片付けて、自分の分のオムライスを作った。
凛は洗い物を始めていた。
「それは後でいい」
「......もう始めた」
「そうか」
* * *
テーブルに向かい合って座った。
凛の前に凛が作ったオムライス。俺の前に俺が作ったオムライス。
俺のは楕円できれいにまとまっている。凛のは少し横に広がっている。
「......形が違う」
「初回だし」
「......藤宮くんのは綺麗」
「慣れただけだから」
「......」
凛がスプーンを持つ。
ひと口切り取って食べた。
「どうだ」
「......」
凛は答えない。スプーンを持ったままもうひと口食べた。
「まずいか」
「......そんなこと言ってない」
「言ってないだけで」
「......」
「待て。俺のも食べてみろ」
「......なんで」
「比べてみればいいだろ」
「......」
凛が俺のオムライスをひと口もらう。
食べて、しばらく黙っていた。
「どうだ」
「......同じ材料でしょ」
「同じ」
「......なのに」
凛がスプーンをテーブルに置く。
「......差がある」
「火加減と手順だな」
「......今日1回やれば、次は上手くなるの」
「やってみないと分からないけど」
「......」
凛が自分のオムライスに戻る。
セミが鳴いている。
冷気が膝のあたりを流れた。
「......美味しくない、わけじゃない」
凛が小声で言った。
「そうか」
「......自分で作ったから」
「分かるか。どこが違うか」
「......卵のとこ、形が崩れてる」
「包む前に火を通しすぎた。途中でダイヤルを止めたからまだよかった」
「......」
凛がもうひと口食べる。
全部食べ終えてから、スプーンを置いた。
「......洗い物、続きをやる」
「いい。俺がやる」
「......やる」
「そうか」
凛が食べ終えた皿を持ってキッチンに向かう。
水の音がし始める。
俺は残りを食べながら窓の外を見る。
セミの声。昼の光。空が高い。
食べ終えた。
皿を持ってキッチンに向かうと、凛がスポンジで洗っていた。
「全部やるのか」
「......もうほぼ終わった」
「そうか」
俺は凛の隣に立って、すすいで水気を切る。
洗い物が終わった。
凛がエプロンを外す。後ろのひもを解いて、たたむ。
俺に向かって差し出した。
受け取ると、凛が玄関の方に向かう。
「帰るか」
「......うん」
「また暇になったら来ていいぞ」
凛が靴を履きかけて止まる。
少し間があった。
「......また来ていいか」
「いいと言ったばかりだが」
「......確認したかっただけ」
「そうか」
凛が靴を履き終える。
玄関に立って、俺の方を一度見た。
「......じゃあ」
「ああ」
凛が出ていった。
ドアが閉まった。
廊下に1人で立っていた。
エアコンの音と、遠くのセミの声。
台所が少し静かになっていた。
次来た時には、上手く割れるだろうか。




