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隣の秋月さんは絶対デレない  作者: Studio Yodaca
会いたい夏

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55/68

神社の裏で

 5分待った。

 (りん)は戻ってこない。

 10分待った。

 まだ戻ってこない。

 ブルーシートの上で、桐生(きりゅう)がたこ焼きのパックを膝の上で揺らしている。

 ひなたが綿菓子の最後のひとかけらを口に入れる。

 つぐみが扇子で首筋を仰いでいる。

 俺だけが、参道の入口の方を見ていた。

 提灯の橙色が、参道の奥まで連なっている。

 その連なりの中に紺地の浴衣の姿は、いない。

 灯りの量だけが、ずっと変わらず続いていた。


 俺はスマホを取り出して、LINEを開く。

 通知音がオフなのは知っているから、画面の文字を、ただ眺める。

 既読がつかない。

 もう一度送る。

 既読がつかない。


桐生(きりゅう)


「ん?」


秋月(あきづき)が戻ってこない」


「LINE送ったか」


「送った」


「既読は」


「つかない」


「やべえな」


 桐生(きりゅう)がたこ焼きのパックを膝に置く。


「あいつ、方向音痴の上に祭り初心者だぞ」


「俺もそれが心配なんだ」


「迷う前提で動くのが正解だな」


「同意」


 桐生(きりゅう)がたこ焼きの最後のひとつを口に放り込んで、立ち上がる。


「俺も探すぞ」


「ここ、誰か残れ」


「あたしとひなたで残る」


 つぐみが扇子を畳んで、ブルーシートの上で胡坐をかく。


桐生(きりゅう)は屋台側、俺は神社の方を探す」


「分かった」


「20時前には花火だぞ」


「分かってる」


 俺はリュックを置いて、参道の方へ歩き出す。

 桐生(きりゅう)が反対方向に走り出すのが、視界の端に見えた。


 人混みの密度が、進むほどに上がる。

 俺は人の流れに逆らって、紺の浴衣を一人ずつ目で潰していく。

 提灯の橙の下では、紺は黒に沈んで見分けがつかない。

 誰かの肩が腕にぶつかった。振り返る余裕はない。


 女子トイレの方角に行ってみる。

 女子トイレの前の列に、(りん)はいない。

 長い列を一度、奥から手前へ目で追う。

 (りん)の浴衣の紺は、列のどこにもなかった。


 もう一度LINEを送る。

 短く一言。


「どこにいる」


 既読はついた。

 返信は来ない。

 (りん)が言葉を選ぶ時、返信は遅い。

 今のは、選ぶ時間より長い。


 俺は、参道の脇の細い道に入った。

 屋台の裏が並ぶ通路。発電機の音だけが鳴っている。

 (りん)は人混みの中で動けない。

 (りん)が選びそうなのは、人がいない場所だ。

 一度奥まで歩いてみたが、誰もいなかった。


 通路の終わりで、もう一度LINEを開く。

 返信は、まだない。


 参道に戻る。

 神社の境内の右手の方に、本殿の影が伸びていた。

 本殿の裏は、灯りが届かない。(りん)が好んで行く場所だ。


 俺は境内の右手の方へ歩く。

 石畳の継ぎ目を、靴底で一つずつ踏みながら。

 石畳が、途中で砂利に変わる。

 砂利を踏む音が、自分の靴底の下で大きく鳴る。

 祭りの音がここに来て一段、薄くなる。

 自分の足音だけが、耳に届いた。


 本殿の角を曲がる。

 本殿の裏の、誰も来ない場所に、紺地の浴衣が立っていた。

 暗がりの中で、銀のかんざしだけが、光の輪郭を持っていた。

 (りん)が、こちらに背を向けている。

 ぬいぐるみを抱えた両腕の輪郭が、夜空の手前に浮いていた。

 帯の水色は、見えない。


 * * *


秋月(あきづき)


 俺の声が本殿の壁の前で、自分の足元に落ちる。


 (りん)が、肩を一拍止める。

 それから、ゆっくりこちらを向く。

 ぬいぐるみを胸の前に抱えたままだった。


「ここにいたのか」


「......」


「LINE、見たか」


「......見た」


「返信ないと心配するんだ」


「......」


 (りん)が、ぬいぐるみの背中を、片手で一度ぎゅっと握る。

 握ったまま、視線は俺の足元の方に落ちている。


「迷ったのか」


「......迷ってない」


「嘘つけ」


「......」


「ここで見ようと思っただけ、とか言うなよ」


「......ここで、見ようと思っただけ」


「言ったな」


「......」


 本殿の壁の向こうから、太鼓の音が薄く届く。

 届かない高さで、虫が一度だけ鳴いた。


「目が泳いでるぞ」


「......うるさい」


 (りん)が顔を逸らす。

 ぬいぐるみの頭が、(りん)の鎖骨のすぐ下まで下がる。

 顔の輪郭が、本殿の影と重なる。

 月の方は、見えない。


 本殿の壁が、横でじっと立っていた。

 提灯の灯りが、ここまでは届かない。

 届くのは、参道の方の太鼓の音だけだ。


 俺は(りん)との距離を、半歩だけ縮める。

 半歩から先には、進まなかった。

 虫がもう一度、本殿の屋根のあたりで鳴く。


桐生(きりゅう)たち、向こうで待ってる」


「......」


「戻るか」


「......」


 (りん)が下駄の先で、砂利を一度だけ小さく鳴らした。


秋月(あきづき)


「......」


「答えてくれ、何か」


「......戻りたくない」


「は?」


「......人混み、しんどい」


「......そうか」


「......」


 (りん)が、両手のぬいぐるみを少し下に下ろす。


「初めての場所、人多すぎ、と」


「......」


「分かった」


 俺は本殿の壁を一度見上げて、また(りん)の方に目を戻す。


「......」


「......」


「じゃあ、ここで見るか」


「......」


 (りん)の返事が来ない。

 太鼓の音が、一段遠のいた。


「花火、もうすぐだろ」


「......いいの?」


「ああ。場所取りは桐生(きりゅう)が見てる」


「......」


桐生(きりゅう)にLINEする」


 俺はスマホを片手で開いて、桐生(きりゅう)にLINEを送る。


秋月(あきづき)、ここで見るって」


蒼太(そうた)、頼む」


 桐生(きりゅう)からはそれだけ返ってきた。

 俺はスマホをポケットに戻す。


 * * *


 神社の裏に、本殿の階段が一段だけある。

 その階段に、俺が先に腰を下ろす。

 (りん)は少し迷ってから、俺の隣に腰を下ろす。

 腕ひとつぶんの距離だった。

 ぬいぐるみは、(りん)の膝の上に置かれていた。


 太鼓の音が、参道の遠くで一段大きく鳴る。

 太鼓のあとに、しばらくの間が空いた。

 息を一度吸う長さだ。


 それから、空に音が一つ上がった。


 ヒュー。

 パン。


 花火が一発、本殿の屋根の上の空に開く。

 赤、青、白。

 開いた光が、ふっと消える。


 遅れてもう一発。


 俺は何も言わずに、空の方を見ていた。

 (りん)の呼吸の音だけが、隣で聞こえる。


 花火の音だけが、本殿の屋根の上で続く。


 (りん)がぬいぐるみの背中を、片手で一度なぞる。

 その手が、ぬいぐるみの耳のあたりで止まる。

 指の関節が、ぬいぐるみの耳に薄く食い込んでいた。


藤宮(ふじみや)


「ん」


「......」


「......聞いてくれる」


「ああ」


「......転校、何回したと思う」


「......さあ」


「......5回」


 花火が一発、空に上がる。


「......そうなのか」


「......毎年、違う場所にいた」


「......」


「......友達と、夏祭りに来るのは、初めて」


 (りん)の声が花火の音の合間で、薄く流れていく。

 何も返さなかった。


「......」


「......毎年、夏祭りはあった」


「......」


「......窓の外に、太鼓の音が毎年あった」


「......」


「......聞いてた、それだけ」


「......」


 空に花火が一発、また上がる。

 光が消えた後の暗さが、深い。


秋月(あきづき)


「......」


「俺も、聞いてるから」


「......」


「ここで」


「......」


 (りん)が、ぬいぐるみの背中を、片手でもう一度なぞった。

 なぞり方が、ゆるい。


 花火がもう一発、空に上がる。

 光が(りん)の頬を、一拍だけ照らした。

 照らされた(りん)の頬は、笑っていない。

 ただ、空を見上げているだけだ。


 (りん)が自分の片手を、膝の上で広げる。

 手のひらが、花火の光の向きにある。

 その手のひらに、光がもう一度、薄く落ちた。

 俺は、その手のひらを横目で一度だけ見る。


藤宮(ふじみや)


「ん」


「......変な話して、ごめん」


「変じゃないだろ」


「......変」


「変じゃない」


 (りん)が、膝の上で指先を組み直す。


「......」


「気が向いたら、続きも聞くから」


「......」


 (りん)が、ぬいぐるみを胸に引き寄せる。


 俺は何も言わない。

 返せる言葉が、まだ揃わなかった。

 俺は片手の指を、膝の上で一度握る。


 空に、花火が連続して上がり始めた。

 ヒュー、パン、ヒュー、パン。

 間隔が、だんだん短くなる。

 本殿の屋根の上の空が、橙、緑、銀、と色を変えていく。


 (りん)が空を見上げた。ぬいぐるみを抱えたまま。

 俺は、同じ方向を見た。


 花火が空のもう一段奥で、もっと大きく開いた。

 大きく開いた音が、地面まで届いてくる。

 俺の靴底の下で、砂利が一度だけ震える。

 (りん)も空を見ている。

 膝の上のぬいぐるみが、花火の光を片側で浴びていた。


 空の方で、もう一発、上がる音がした。


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