そっちは海だ
お待たせしました。今日から以前通りの投稿頻度に戻します
砂の上に、スイカがひとつ置かれた。
桐生が「ジャジャーン」と効果音を口で言う。
「お待ちかね、スイカ割りタイムだ」
「効果音、いる?」
つぐみが冷たく返す。
「いる」
「いらない」
ひなたが両手を叩く。
「凛ちゃん、最初に行こ!」
「......やらない」
「やろうよ!」
「......やらない」
「凛ちゃん」
「......」
ひなたが凛のタオルの端を掴んで、ぐっと引っ張る。凛の腰が一度浮きかけて、戻った。
「ひなた、引っ張るな」
俺が言う。
ひなたが両手を上げる。
「だってー、凛ちゃん、絶対楽しいから」
「......楽しいの定義が、違う」
「定義の話してないよ!」
桐生がリュックから棒を取り出す。物干し竿の短いやつ。
「お前、本当に持ってきてるよな、なんでも」
「準備の男だ」
「自慢じゃないだろ、それ」
「自慢だ」
俺は呆れる。
つぐみが横で頷いた。
「桐生のリュック、一度中身を全部出してほしいよね」
「のれない」
桐生が短く拒絶する。
「乗らないんだ、その話には」
「乗らない」
「秘密でも入ってるのか」
「夢が入ってる」
「うざ」
つぐみが切って捨てる。
桐生が棒を凛の前に差し出す。
「秋月さん、これ」
「......」
「ほら、これ持って」
凛がしぶしぶ棒を受け取る。両手で持って、先を地面に向けた。
「目隠し、つけるよ」
ひなたが手ぬぐいを取り出す。
「......持ってきたんだ、それ」
「ひなた、用意がいいから!」
桐生と同じ顔をするな。
凛の目に手ぬぐいが結ばれる。長い髪が結び目に挟まりそうになって、ひなたが慎重に外す。
目隠しを終えた凛が、立ったまま動かなくなる。
俺が前に出る。
「秋月、回るぞ」
「......回るって」
「3回」
「......いいの?」
「悪くはない」
俺が凛の肩の後ろに立つ。両肩には触れない。声だけで誘導する。
「右、回って」
「......どっち」
「俺の声がする方」
「......」
凛がゆっくり回り始める。1回。2回。3回。
止めた。
「スイカは、12時の方向だ」
「......12時」
「正面な」
「......わかった」
凛が棒を構え直す。
1歩踏み出す。
全然違う方向に。
「うん?」
「右!」
桐生が叫ぶ。
「右じゃない、右!」
「桐生、お前の右と秋月の右、違うんだよ!」
俺が頭を抱える。
凛は構わずもう1歩進む。
砂が、海の方へ向かっている。
「秋月、そっちは海だ!」
「......」
「海だってば!」
「......聞こえてる」
聞こえているなら止まれ。
凛がさらに1歩。波の届く線まで、あと5メートル。
「凛ちゃん、止まって!」
ひなたが両手で口を覆って叫ぶ。
「......」
凛が立ち止まる。少し考えてから、棒を構えたまま、ゆっくり振り返る。
今度は、潰れた方向に。
「いや、そっちは桐生のパラソル!」
「......パラソル?」
「俺の聖域に向かうな!」
「秋月さん、棒下げて!」
桐生が両手を振る。
「......」
凛が、棒を持ったままパラソルに歩み寄る。
ためらいなく。
「ストップ! ストップ秋月さん!」
「......」
「秋月さん、聞こえてる!?」
「......聞こえてる」
「じゃあ止まって!」
「......どこに、ある」
「ない! ない! もうそこにない!」
ないはないだろ。
凛が棒を振り下ろす。
パラソルが潰れた。
* * *
「ええええええ!」
桐生の声が砂浜を貫く。
ひなたが座り込んで腹を抱えている。つぐみがスマホを構えて笑いを噛み殺せていない。
「秋月さん、それスイカじゃない!」
「......じゃないの」
「形が違うだろ!」
「......形は、見えない」
「目隠しのせい?」
「......目隠しのせい」
桐生が膝をつく。
「俺の聖域が......」
「お前の聖域、パラソルだったのか」
俺がつっこむ。
桐生がうなだれたまま頷く。
「あれ、3000円なんだぞ......」
「報告するな、価格を」
ひなたが立ち上がって、目尻を拭く。
「桐生くん、ドンマイだよ。来年は割れないやつ買おう」
「ひなたちゃん、フォローの方向が違う!」
つぐみが俺を見る。
「これ、SNSにあげていい?」
「やめろ」
「いい絵」
「あげるな」
俺は凛の方を見る。
凛がまだ棒を持ったまま、目隠しを外しかけていた。
手ぬぐいの結び目を、慎重に解こうとしている。指先が、結び目を一度撫でた。
「秋月、ほどける?」
「......自分で、解く」
「手伝うぞ」
「......自分で」
凛は意固地にひとりで解いて、手ぬぐいを外した。
目が外気に当たって、凛がまぶしさに目を細める。
それから、潰れたパラソルに視線を一度落とす。
凛の唇の、右の端が動いた。
一拍だけ上がって、また戻った。
でも、その一拍を俺は見た。
風が止まったわけじゃない。波の音も続いている。
飲みかけの缶を片手に持ったまま、もう開いているプルタブを、もう一度押していた。
さっきの口の端の動きが、頭の中でもう一度上がる。缶を握る指に力が入った。
「......パラソル、ごめん」
凛が桐生に頭を下げる。
「いやー、いいよもういい。それより。それより今のは何だ、それより」
「桐生、落ち着け」
桐生は落ち着いていなかった。
ひなたが俺の方を見て、にっこり笑った。
「ね、そうくん」
「ん」
「凛ちゃん、笑ったね」
「......ああ」
「初めて見た」
「俺もだ」
ひなたの笑いが、ひと息で終わった。
* * *
スイカを食べた。
桐生が割らなかったスイカは、結局つぐみが持参の果物ナイフで切り分けている。「お前さあ、本気で持ってきてるよなあ......」と桐生が呟いて、つぐみが「準備の女だから」と返した。
凛は、切り分けたスイカを両手で受け取って、塩を1粒だけ落とした。
1粒。それ以上は振らない。
「秋月、塩、もうちょい足してもいいぞ」
「......1粒で、足りる」
「足りるか、それで」
「......」
「足りないだろ、絶対」
「......藤宮、塩の管理係なの」
「違うけどな」
凛が塩のスイカに小さく口をつける。
唇の右の端が、また動いて戻る。
俺は、スイカの白い断面をしばらく見ていた。
* * *
「ビーチバレーやろうぜ!」
午後2時。
桐生がリュックからボールを出す。
「お前、本当になんでも持ってくるな」
「俺はそういう男だ」
「もういい、知ってる」
ペットボトルを4本、砂に立てて簡易コートが完成する。
ネットはない。サイドラインも目分量。
「ペア決め!」
「決まってる」
つぐみが断言する。
「藤宮と凛ペア。あたしと桐生ペア。ひなた、審判」
「決め方が雑じゃないか」
「経験者と未経験者で分けた」
「俺、経験者でいいのか?」
「ましな方」
「褒められてる気がしない」
「褒めてない」
ひなたが両手を打ち合わせる。
「じゃあ、3点先取で!」
俺と凛が、コートの片側に立つ。
凛がボールを片手で受け取って、持ち直す。
「サーブ、お前から」
「......どうやって、打つの」
「これを下から、相手のコートに」
「......」
「軽くでいい」
「......軽く」
凛がボールを下から打った。
ボールが、真上に飛んだ。
空を一度通って、凛の足元に戻った。
「......重力」
「重力のせいにするな」
「......ボールが、悪い」
「ボールも悪くない」
桐生が向こうから笑っている。
「秋月さん、もう1回!」
凛が無言でボールを拾い直す。
今度は、横方向に飛んだ。
ペットボトルを1本、倒した。
「コート壊すなよ!」
「秋月、サーブの方向が、安定してないな」
「......知ってる」
「俺がやる」
俺が代わってサーブを打つ。
ボールが相手コートに飛んで、つぐみが軽く返した。
凛が反射的に手を出す。
ボールが凛の腕に当たって、上に跳ねた。
跳ねたボールに、俺が走り込む。
空中で打ち返す。
桐生が受けようとして、空振りする。
ボールが砂に落ちて、転がる。
「1点」
ひなたが審判らしく宣告する。
「秋月さん、いい受けだったぞ!」
「......当たっただけ」
「腕、痛くないか?」
「......痛くない」
凛が腕の内側を一度撫でる。
俺は鼻で笑った。
「絶対痛いだろ、それ」
「......」
次のサーブ。
桐生が打ったボールが、コートの中央あたりに落ちてくる。
凛が前に出る。両手を組んで、下から受ける。
ボールが俺の方向に上がる。
俺が踏み込んで、強く打ち返す。
ボールがネット代わりのペットボトルを軽くかすめて、つぐみの足元に落ちた。
「ペットボトル、判定どっち!?」
「あ、それ判定範囲外」
ひなたが笑いながら言う。
「もう1回」
「ひなたちゃん、優しい」
凛が、俺の方をちらっと見る。
俺が片手を上げる。
凛は動かなかった。
俺がもう一度目で促す。
凛がようやく片手を上げる。
ハイタッチ。
凛の手が、遅れて俺の手のひらに当たった。
軽い音。
砂に吸われて消えるかと思った音が、手のひらに残った。
凛が自分の手のひらを一度見る。
それから片手の中に伏せる。
「......今、何したの」
「ハイタッチだ」
「......そういうの、する人」
「するに決まってる」
「......知らなかった」
「知っとけ」
凛が、もう一度自分の手のひらを見る。
見ながら、次のサーブの位置に立ち直した。
手のひらは隠さなかった。
膝の高さで開いたまま、砂の方を向けて。何かを確かめるみたいに、指の関節を一度だけ閉じて開いた。
* * *
3点先取の対戦は、なんとか俺たちが勝った。
桐生のサーブが暴投を続け、つぐみが「もう諦めろ」と途中で抜けた結果だ。
ボールを片付けて、5人でパラソルの陰に戻る。
パラソルは1本壊れたので、残りの1本に4人が寄った。桐生は端で日に当たっている。罰だ。
「あー、暑い」
ひなたが汗を拭く。
「日焼け止め、塗り直さなきゃ」
「凛、背中は塗ったの?」
つぐみが聞く。
「......自分で、塗った」
「届かないでしょ、背中」
「......届く」
「届かないよ」
「......」
桐生が手のひらを示す。
「俺、塗ろうか?」
凛が、首を即座に横に振る。
動きが速かった。鋭かった。
「俺じゃダメか」
凛は答えなかった。
桐生が「秋月さんに無言で却下されるの、地味にくる......」と肩を落とす。
ひなたが「桐生くん、ドンマイ2回目」と頭の上で両手を打った。
「ねえ、藤宮くん」
つぐみがゆっくりこちらを向いた。声に、いつものシニカルさが乗っている。
「あたし、ちょうど、手がベタベタなんだよね」
「お前、まだ何も触ってないだろ」
「触ったの。砂を」
「砂、ベタベタするか」
「するの」
「しない」
「するの」
「もう1回」
「するの」
つぐみが断定して、海の方に目を向ける。
ひなたがその横顔を一度見て、何か言いかけて、タオルに目を落とした。
凛が、タオルの端を両手で握ったままだ。
タオルの繊維が、凛の指先で一度ねじれた。
ひなたが日傘のリングを片手で回している。回す指が速い。
砂の上で、空気の温度が一段だけ変わった。




