LINEしてもいい?
終業式の帰り道。
校門を出て、いつもの道に入った。
俺の家と秋月の家は、分岐までは同じ方向だ。分岐の手前までの、200メートルくらいの、ごく短い区間が、4月からずっと、俺と秋月の「いつもの帰り道」だった。
いつものはずだった。
ただ、今日で、この、いつもの、は、一旦、終わる。
明日から、夏休みだった。
次に同じ道を二人で歩くのは、早くても、9月1日、ということになる。1ヶ月半。思ったより、長い。というか、言葉にして測ると、急に、長く感じた。
「......暑い」
「暑いな」
「......蝉が、うるさい」
「うるさいな」
「......返事、全部、後追い」
「他に返すとこがなかった」
歩きながら、そんな会話を、いくつか、した。
内容は、あまり、なかった。
内容のないことを、ゆっくり、二人で歩きながら、話す時間が、たぶん、4月から3ヶ月半かけて、俺と秋月の間に、溜まってきた、ものだった。
分岐までの、200メートル。
いつもの半分くらいの速度で、二人は、歩いた。
歩幅を落とす理由を、お互い、特に、口には出さなかった。
* * *
分岐の手前、20メートルくらいの地点で、秋月が、立ち止まった。
急に、だった。
俺は2歩、遅れて気づいて、振り返った。
「どうした」
「......」
「秋月」
「......藤宮」
名字を呼ばれた。
秋月が俺の名前を呼ぶこと自体は、珍しくない。珍しくないが、「......藤宮」の語尾が、いつもより、少しだけ、長く、伸びていた。
何かを、言う前の、呼びかけだった。
「なに」
「......」
「なんだよ」
「......あの」
「あの、なに」
「......」
秋月の視線は、道路のアスファルトの、3メートル先くらいの、何もない場所に、固定されていた。セミの音が、大きかった。秋月は、セミの音に、一度、かき消されそうになった言葉を、拾い直して、もう一度、口を開いた。
「......夏休み」
「夏休み」
「......LINEしても、いい?」
俺の頭の中で、いくつかの処理が、一斉に、走った。
1つ目。秋月からの、今年最大級の、勇気込みの質問。
2つ目。LINEの連絡先は、4月の時点で、既に、俺たちは、お互いの画面の中に、入っている。秋月が「......体育館」「......理科室」「......どっち」と送ってくる、あの、一言LINE。もう、散々、続いているやつだ。
3つ目。だから、今の質問は、連絡先の話じゃない。
連絡先の話じゃない、ということを、理解する処理に、0.5秒、かかった。
この質問は、「夏休み中に、あなたに、連絡を、しても、いいか」という、許可取りだった。
許可を取る必要が、ある、と秋月が感じた、ということ自体が、この質問の、本体だった。
「いや、お前」
「......」
「LINE、もう交換してるだろ」
「......知ってる」
「『......体育館』とか、お前、送ってくるだろ」
「......送った」
「じゃあ、いつでも送ってくればいいだろ」
「......違う」
「違うのか」
「......夏休みは、授業がない」
「ないな」
「......連絡する、用事も、ない」
「体育館で迷う機会はないわな」
「......だから」
「だから?」
「......聞いておきたかった」
秋月は、俺の顔を、見なかった。
道路のアスファルトの、まだ同じ場所を、見ていた。
秋月の、「聞いておきたかった」という一言に、たぶん、全部、入っていた。
連絡する理由は、ない。夏休みに、体育館で迷うこともない。だから、用のない時に送っていい相手なのか、前もって、聞いておきたかった。
「用のない時に、送っていい」というのは、たぶん、秋月の世界の中では、けっこう、特別な、区分だった。
俺はできるだけ、普通の、いつもの声で、答えた。
「いつでもいいぞ」
「......いつでも?」
「いつでもだ」
「......本当に?」
「本当に」
「......毎日はしない」
「好きにしろ」
「......」
「毎日でも、いい」
「......毎日は、しない」
「何回言うんだ」
「......言わないと、不安」
秋月の「不安」が、俺の予想の、半歩、先を行った。
秋月は、一度、深く、息を吐いた。
そして、小さく、言った。
「......じゃあ、たまに」
「たまに」
「......たまに、送る」
「承った」
たまに、と秋月が言った時の、語尾の「に」の音が、俺の予想していた「たまに」の音より、0.5オクターブくらい、柔らかい音だった。
気のせい、かもしれない。
気のせいの確率は、相変わらず、やけに高い日だった。
* * *
分岐点に、着いた。
俺は右、秋月は左。
秋月は、一度、俺の方を、向いた。
目は、合わなかった。
目を合わせない、まま、口だけが、動いた。
「......じゃあ、また」
いつもの「......じゃあ、また」だった。
勉強会の夜の玄関の「......おやすみなさい」ほどの、柔らかさは、なかった。
でも、声の中に、たぶん、今、「また」が、ちゃんと、約束の意味で、乗っていた。
秋月は、左の道に、歩き出した。
数歩で、止まらなかった。
振り返り、も、しなかった。
そのまま、角を、曲がって、見えなくなった。
いつもの秋月の帰り方だった。
いつもの帰り方、のはずだった。
* * *
俺は、自分の道を、歩き始めた。
歩きながら、スマホを、ポケットから、出した。
LINEのトークリストを、開いた。
秋月のトークは、上から、3番目だった。
最後のメッセージは、避難訓練の日の「......どっち」だった。
その下に、俺の「お前今どこ」だった。
今日からは、ここに、「......暑い」とか、「......猫がいた」とか、そういう類のものが、たまに、来る、ことになる。
たまに、の回数を、俺は、まだ知らなかった。
知らないが、「たまに」が、たぶん、秋月の中で、どう定義されているのかも、俺にはまだ、読み取れる自信が、なかった。
頭の上で、蝉が、まだ、うるさかった。
夏休みは、1ヶ月半ある。
前まで、1ヶ月半は、わりと、短いイメージの言葉だった。
急に、長く、感じた。
長く感じる理由を、蝉のうるささのせい、ということにして、俺は、スマホをポケットに戻した。




