表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
隣の秋月さんは絶対デレない  作者: Studio SASAME
雨のにおい

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

39/42

エプロン姿の藤宮くん

 勉強会は、数学・英語・古文と進み、18時を回ったあたりで、全員の集中力が目に見えて落ちた。

 古文の助動詞活用表のあたりで桐生(きりゅう)が完全に戦力外になり、ひなたが「そうくーん、お腹すいたー」と座卓にぐにゃりと倒れ込んだのが、18時12分の出来事だった。

 つぐみが俺を見た。


「藤宮くん」

「ああ」

「作って」

「作る」


 話が1秒で決まった。我が家で勉強会が開かれると決まった時点で、夕食担当が俺になるのは確定路線だった。材料は母さんが「みんなでパスタでもしなさい」と買い置きしておいてくれている。段取りは既に頭の中にあった。

 俺は立ち上がって、キッチンに向かった。

 エプロンを頭からかぶって、後ろ紐を腰で結んだ。母さんの紺色のエプロンだ。男物は持っていない。サイズは合っているし、紺なので、そこまで不自然でもない。

 鍋に水を張って、火にかけた。パスタを茹でる湯を沸かす、そのあいだに具材の下ごしらえをする。手順は、いつもの平日の夜と、ほぼ同じだった。


 * * *


 キッチンの入口に、人の気配がした。

 振り返ると、秋月(あきづき)が、ドア枠のあたりに、半身で立っていた。

 台所には入っていない。手前で、微妙な位置に、留まっていた。


「どうした」

「......手伝う」


 短かった。

 秋月(あきづき)は、台所の床に、最後の一歩を、踏み込まなかった。


「いいよ、座ってて」

「......」

「ほぼ段取り決まってるから」

「......手伝いたい」


 訂正された。

 「手伝う」と「手伝いたい」は、日本語として一文字違い程度の差だが、発言者の位置取りとしては、けっこうな距離があった。後者は、俺にも、同じくらいはっきり、伝わった。

 俺はまな板の前で、数秒、手を止めた。


「......サラダ、盛り付け頼んでいいか?」

「......いい」

「洗ったトマト、そこ。レタスは冷蔵庫の下段」

「......はい」


 秋月(あきづき)は、キッチンに、一歩、踏み込んだ。

 踏み込む時、シンクの方をちらりと見た。シンクは狭い。俺が野菜を切っている場所と、秋月(あきづき)が立とうとしている場所の距離は、50センチあるか、ないか、くらいだった。

 秋月(あきづき)はその距離を、とても真剣に測っていた。

 50センチを測るのに、あんなに真剣になる人間は、世の中にあまりいない。


 * * *


 秋月(あきづき)はサラダの皿に、レタスを敷いた。

 敷き方が、丁寧だった。過剰に、丁寧だった。

 葉っぱ一枚ずつ、角度を変えて、重ね方を整えて、空洞を作らないように、でも潰さないように、気を配っていた。料理学校の実習時間か。

 そこにトマトを並べ始めた。

 問題は、並べ始めてからだった。

 秋月(あきづき)の手が、トマトを一切れ、皿の右上に置いて、少し離して眺めた。眺めて、もう1ミリ左に寄せた。また眺めた。今度は上に1ミリ寄せた。

 3回目で、秋月(あきづき)は、トマトの角度まで、微調整し始めた。

 俺は玉ねぎのみじん切りをしながら、視界の端でその光景を見ていた。


「秋月」

「......」

「それ、盛り付けじゃなくて製図だな」

「......」

「食うんだぞ、すぐ」

「......食べやすいように、配置してる」

「食べやすさの文脈で、その対称性は要求されない」

「......美しさも、食欲に、影響する」

「言い訳の方向性が、急に学術的になったな」

「......事実」


 秋月(あきづき)はもう一枚のトマトを、皿に置いた。今度は、左上、4時間くらい向きを考えて悩むほど丁寧だった。

 不器用なのか、丁寧なのか、見分けがつかなくなる人間が、世の中にはいる。秋月(あきづき)は、その人種の一人だった。


 * * *


 フライパンでベーコンと玉ねぎを炒める。茹で上がったパスタを入れて、ソースを絡める。皿に盛る。粉チーズと黒胡椒。

 5人分を、3分で仕上げた。

 リビングに運ぶと、ひなたが「世界一!」と叫んだ。


「今日もか」

「そうくんのごはんいつも世界一!」

「ひなたの『世界一』、インフレしてるぞ」

「インフレしない! 世界一にインフレはない!」


 横から桐生(きりゅう)が深く頷いた。


「料理男子、最強」

「お前も便乗するな」

「最強だろ、料理できる男って。モテるし、死なない」

「後半重い」

「人生設計の話」


 座卓の端に、秋月(あきづき)のサラダが置かれた。

 トマトは、きれいに、左右対称に、配置されていた。

 皿の上で、トマトが光ってすらいた。

 これだけ撮ればインスタに上げられそうなクオリティだった。誰もやらないが。

 秋月(あきづき)は、自分の席に戻って、座った。戻る時、エプロンを外してキッチンに戻している俺の方を、一度だけ、ちらっと、見た。見た視線の角度が、「意外と、綺麗」と言った時の、部屋の見回し方と、ほぼ同じだった気がした。


 * * *


 食事が始まった。

 ひなたが口いっぱいにパスタを頬張って、幸せそうに目を閉じた。桐生(きりゅう)が「うまい」と低く唸った。つぐみが「さすが料理男子」と笑った。

 秋月(あきづき)は、フォークにパスタを、3本だけ、巻いた。

 少ない。相変わらずの、発表会的な量だった。

 口に入れて、ゆっくり、噛んだ。


「......美味しい」


 声に出していた。

 自分で、ちゃんと、俺にも、ひなたにも、つぐみにも、桐生(きりゅう)にも、聞こえる音量で、声に出していた。

 秋月(あきづき)はその事実に気づいたのか、言った直後、フォークの先のパスタを、もう3本だけ巻き直していた。

 つぐみが、すかさず、反応した。


「凛、今日はっきり言ったね」

「......」

「いつもは小声なのに」

「......事実を述べただけ」

「事実を述べる音量を2段階上げたよね今」

「......」

「あたしの気のせいかな?」

「......気のせい」

「気のせいだとしたらあたしの耳、完治したわ」


 秋月(あきづき)は「......完治」と小さく呟いて、つぐみから視線を逃がした。

 ひなたがフォークを持ち上げて、話題を変えに来てくれた。


「そうくんの卵焼き、今日は入ってなかったの、残念ー」

「お前の要望が卵焼きなのかよ」

「だって、そうくんの卵焼き、甘くておいしい」

「まあな」

「前よりも甘い気がする」


 俺はフライパンを洗いに立とうとして、その手が、一瞬、止まった。

 前よりも甘い。

 気のせいではなかった。

 4月に秋月(あきづき)が隣の席に来てから、秋月(あきづき)が俺の弁当から卵焼きを、当初は一つ、途中から二つ取るようになって、俺は、砂糖を、少しずつ、足していた。足していた記憶はあるが、自覚として目的までは結びついていなかった。

 ひなたの指摘で、それが、初めて、一本の線で、つながった。

 甘くなったのは、秋月(あきづき)が取るようになってからだ。

 俺は、蛇口の下でフライパンを濡らしながら、自分の頭の中に、その一行を、静かに書き込んだ。

 書き込んでから、書き込んだ事実を、自分で見ないふりをした。

 見ないふりをしたが、視界の端で、秋月(あきづき)が、パスタをフォークで、また3本だけ巻いていた。静かで、丁寧な、3本だった。

 つぐみがその3本を見ていた。見ながら、もう何も言わなかった。

 つぐみの口角は、もう、勝ったあとの顔になっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ