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隣の秋月さんは絶対デレない  作者: Studio SASAME
雨のにおい

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38/45

お邪魔します

 期末テスト勉強会、初日。

 場所は我が家。強制的に。

 朝、母さんは「夜勤明けで今から寝るから、騒ぎすぎないでね」と寝室のドアを閉めていった。正確には朝9時に寝るタイプの夜勤明けの人間なので、騒音レベルを適度に保てば、母さんは寝息の底で何も気にしない。それが我が家のリズムだ。

 リビングのテーブルを端に寄せて、四人掛けの座卓を出した。座布団を数えて、4枚しかないことに気づいて、クッションを一つ追加した。麦茶のポットを冷蔵庫から取り出して、氷を作り直して、コップを5つ並べた。

 これで、準備は終わりだった。

 終わったのに、俺は、妙に何回も部屋の中を見回していた。見回しながら、自分の部屋のドアの位置を、何度も視界に入れていた。

 秋月(あきづき)が、この家に来る。

 その事実を、頭の中で、3回、繰り返した。

 3回繰り返しても、特に、何も変わらなかったことにした。


 * * *


 最初に来たのは桐生(きりゅう)だった。

 インターホンを連打した。


「やっほー、蒼太の家ー!」

「押しすぎだ」

「テンションに比例してボタン押す回数増えるだろ」

「増えない」

「増える」


 次にひなた。ひなたは隣の家なので、サンダルでやってきた。


「そうくーん、お邪魔しまーす!」


 「お邪魔します」を叫ぶ子は、たぶん、お邪魔している自覚はない。ひなたは勝手知ったる顔で、リビングに入って、クッションを抱えて座った。こいつが家に来るときの導線は、小学校の頃から変わらない。

 次につぐみ。つぐみはインターホンを一回だけ鳴らして、ドアを開けた俺に、にっと笑った。


「こんにちは、藤宮くん。お邪魔します」

「ああ」

「凛、さっき下で会ったよ。マンションの一階で止まってた」

「......止まってた?」

「地図アプリ見ながら、『ここ、五丁目じゃなくて四丁目だと思う』って呟いてた」

「四丁目だ」

「教えてあげたら『......そう』って言って、歩き出した」

「誘導ありがとう」

「いいえ」


 つぐみはにやにやしながら、リビングに進んだ。

 玄関を閉めようとして、やめた。

 あと一人、来る。

 その一人は、玄関の前で、たぶん、息を整えている時間が、必要な、一人だった。


 * * *


 一分ほど経って、インターホンが、静かに、一回だけ鳴った。

 押し方に、自信がなかった。

 押した指が、長押ししてしまう前に、指がすぐ離された、という押し方だった。

 俺はドアを開けた。

 秋月(あきづき)が、立っていた。

 白いシャツに、膝下の紺のスカート。普段より、少しだけ、丁寧にまとめた髪。手に持っているのは、いつもの学校鞄に、もう一つ、小さな紙袋。


「......お邪魔、します」


 小声だった。

 俺がこれまで聞いたうちで、一番、小声だった。

 声を出す、というより、空気を押し出した、という感じの音だった。

 俺は「どうぞ」と短く答えた。

 秋月(あきづき)は靴を脱いだ。

 脱ぐ手が、ほんの少し、震えていた。微細な震えだった。揃える時に、右足の靴を置き直した。さらにもう一度、1センチだけ、右に寄せた。ぴったり揃えないと気が済まない性格なのかもしれないし、手が震えていたから一度で揃えられなかったのかもしれない。

 秋月(あきづき)は自分の鞄を片手に、紙袋のほうを、俺に、小さく差し出した。


「......これ」

「なんだ」

「......さっきの、タオル」

「ああ」

「......洗って、アイロンかけた」

「アイロンまでかけたのか」

「......うん」

「そりゃありがとう」

「......別に、普通」

「普通ではない」

「......普通」


 タオル1枚にアイロンをかける普通は、たぶん、世の中の普通のレンジを踏み外している。俺はそれ以上何も言わずに紙袋を受け取った。

 秋月(あきづき)はそれで一つ儀式を終えたみたいに、短く息を吐いて、リビングの方に目を向けた。


 * * *


 リビングでは既に桐生(きりゅう)がひなたのクッションを奪い合って、つぐみに「低レベルな争いすぎ」と呆れられていた。

 俺は秋月(あきづき)に「こっち」と短く声をかけて、自分の部屋の方を指した。座卓はリビングだが、鞄を置く場所として俺の部屋のドアを開けた。

 ドアの向こうは、ごく普通の、高2男子の部屋だった。

 本棚が一つ。

 壁に、中学サッカー部の時の小さなトロフィーが一個。

 机の上に、料理本が2冊。『家庭の基本和食』と、『パパッと作れる朝の一品』。後者はタイトルが恥ずかしいので、普段は背を表に出さないようにしているのだが、今日に限って背が立っていた。片付けの時に俺が裏返すのを忘れた。

 秋月(あきづき)は、部屋の入り口で、立ち止まった。

 目線が、本棚、トロフィー、料理本、の順に、ゆっくり動いた。


「......意外と」

「なんだよ」

「......綺麗」

「意外って何だ」

「......もっと、散らかってると、思ってた」

「何の前提だよ」

「......男子の、部屋」

「偏見がすぎる」

「......偏見じゃない、傾向」

「お前が見た男子の部屋、何人分だよ」

「......」

「サンプル数ゼロだろ」

「......推測」


 秋月(あきづき)は「推測」と言ったあと、もう一度、部屋の中を、ゆっくり見渡した。

 視線が、一瞬だけ、ベッドの方に、向いた。

 本当に、一瞬だった。

 視線は、ベッドの枕元のあたりで、ピントが合う前に、引き返してきた。

 秋月(あきづき)は机の上の料理本の方に視線を据え直した。据え直し方が、自然に見せようとして、かえって不自然だった。

 俺はそっち方向を見ないふりをした。見ないふりをしたが、ドアの隙間から、つぐみの頭だけが覗いていて、つぐみの口角は、プールサイドで見たのと同じ角度に、きっちり、上がっていた。


 * * *


 勉強会は、一応、始まった。

 座卓に5人、肘がぶつかる密度で並んで、数学の問題集を開いた。15分くらいまでは、みんな真面目だった。

 桐生(きりゅう)が、16分目に脱線した。


「お前ら、期末終わったら何する? 夏休みの計画」

「話戻せ」

「戻らない」

「戻せ」

「海」


 桐生(きりゅう)は「海」と言いながら、俺と秋月(あきづき)の方を、交互に見た。意図がもう隠れる気もないレベルで露骨だった。

 つぐみが即座に引き取った。


「それ、終業式の話で決めるから今は黙って」

「はい」


 桐生(きりゅう)が一瞬で黙った。つぐみの圧に勝てる男は、この家にはいない。

 ひなたが、秋月(あきづき)の方に、身を寄せた。


「凛ちゃん」

「......」

「ここ、教えて!」


 ひなたは自分のノートを、秋月(あきづき)の前に広げた。

 三平方の定理の応用問題だった。

 秋月(あきづき)は、ほんのわずかに、戸惑った顔をした。戸惑ったが、ペンを手に取った。ひなたの問題の、最初の補助線の引き方を、指でゆっくりなぞった。


「......ここから、垂線」

「うん!」

「......直角三角形が、二つ、できる」

「ほんとだ!」

「......あとは、それぞれ、三平方」

「わかった! なるほど!」


 ひなたは両手で頭を叩いて「わかったー!」と叫んだ。

 秋月(あきづき)は叫ばれた音量にわずかに仰け反った。

 ひなたは仰け反られたことに気づかないで、秋月(あきづき)に、ぱっと笑った。


「凛ちゃん、教え方上手!」

「......そう?」

「うん! 凛ちゃん、塾の先生より、わかりやすい!」

「......そう」


 秋月(あきづき)の「......そう?」の語尾は、微かに、上がっていた。

 それから、「......そう」の語尾は、微かに、下がっていた。

 下がっていた方の「......そう」には、たぶん、普段出さないトーンの、何か、が、一滴だけ、混ざっていた。

 気のせい、かもしれない。

 でも、つぐみの口角が、もう一段、深く、上がった。

 気のせいの精度を補正するには、つぐみの口角は、信頼できすぎる指標だった。

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