凛の誕生日を知りたい
翌日の昼休み。
弁当の蓋を開けたとき、俺はふと、妙なことに気がついた。
秋月の誕生日を、俺は知らなかった。
昨日、ひなたの誕生日にケーキを持ち込んで「世界一」を三回言われた。毎年のやつだ。それ自体は何の違和感もない年中行事だった。なのに、今日の弁当の卵焼きを箸で挟んだあたりで、急に頭の端が引っかかった。ひなたの誕生日は知っているのに、秋月の誕生日は知らない。隣の席で毎日弁当のおかずを取られている相手の誕生日を、俺は一度も聞いたことがなかった。
気になり出したら、止まらない性分だ。
「秋月」
「......なに」
「お前、誕生日いつ?」
秋月の箸が、止まった。
止まり方が、不自然だった。卵焼きを持ち上げる途中で、空中で、完全に静止した。
「......なんで」
「いや、なんでって」
「......急に」
「昨日ひなたの誕生日だったからな。そういえばお前の知らねえな、と思って」
秋月は、しばらく箸の先の卵焼きを見ていた。卵焼きは何も悪くないのに、完全に俺の質問の矢面に立たされていた。
そして、短く、言った。
「......教えない」
「教えないって」
「......教えない」
「二回言うなよ」
「......大事なことだから、二回」
「俺が聞いたのも大事なことだぞ」
「......あなたの大事と、私の大事は、違う」
正論っぽい謎文章だった。
秋月はその謎文章を吐き出してから、やっと止めていた卵焼きを口に入れた。
俺は矛先を引っ込めない。
「隠す理由あるのか」
「......ない」
「じゃあ教えろよ」
「......それとこれとは、別」
「別って、どこで区切るんだよ」
「......知られたくない」
「理由は」
「......知られたくない、が、理由」
論点の境界線がとことん曖昧な反論だった。
秋月はそれ以上何も言わないで、弁当の白米の端を、丁寧に箸で四角く均し始めた。白米を均すのは秋月が困った時の儀式だ。これも、何度か見てきた光景だった。
話は、ここで終わった。
終わったが、俺の頭の中の引っ掛かりは、終わらなかった。
* * *
放課後。
廊下で桐生の肩を叩いた。
「桐生」
「おう」
「秋月の誕生日、知ってるか」
「は?」
桐生はスマホから顔を上げて、俺の顔をまじまじと見た。
「お前、今なんて言った?」
「秋月の誕生日、知ってるかって」
「知らねえ。なんで俺が知ってる前提なんだよ」
「お前、情報屋だろ」
「その前提はまあ、否定しない」
桐生は腕を組んで、顎の先に指を当てた。情報屋モードに切り替わる時の、こいつの決まったポーズだ。
「調べてやる」
「頼んでねえ」
「頼んだようなもんだろ今の」
「いや、どうやって調べる気だよ」
「情報屋の矜持」
「内容がゼロだぞ、その返答」
桐生は俺の肩をぽんと叩いて、そのまま廊下を反対方向に歩いていった。職員室の方向だった。嫌な予感がした。
* * *
嫌な予感は、30分後に当たった。
桐生が教室に戻ってきた。
歩き方が、妙に勝ち誇っていた。
「12月24日」
「は?」
「秋月さんの誕生日。12月24日」
「どうやって調べた」
「ノーコメント」
「情報源を明かせ」
「情報屋は情報源を明かさない」
「今のどこかで聞いたことあるな」
「普遍の真理だからだ」
桐生は机の角に腰掛けて、にやにや笑った。
「......花園先生か」
「ノーコメント」
「花園先生だろ」
「ノーコメント」
「三回目で認めろよ」
「......まあ、廊下で、うっかり、すれ違ったら、『あら桐生くん、秋月さんのこと気になるの?』みたいな会話になって、気づいたら口から日付が流れ出てきた」
「それはお前が聞き出したんじゃなくて、向こうから出てきたパターンだな」
「情報屋は環境から情報を引き出す」
「引き出されたのはお前の情報だろ」
桐生は反論しなかった。花園先生から情報を引き出したつもりで、たぶん俺と秋月の情報を花園先生に一つ進呈してきた、と思われる。花園先生の「ふーん......」が、また一段、濃くなる光景が目に浮かんだ。
でも、日付は、手に入った。
12月24日。
クリスマスイブ、だった。
「クリスマスイブか......」
口の中で呟くと、桐生がすぐに反応した。
「出た、蒼太の『......』」
「俺、そんなに『......』するか?」
「秋月さんの影響を受け始めてる」
「それは認めない」
「お前、秋月さんの誕生日プレゼント考えてんの? まだ半年先だぞ」
「別にそういうんじゃ......」
「ほら『......』」
「うるさい」
「ただ知りたかっただけだ、の顔してる」
「......ただ、知りたかっただけだ」
「はいはい」
桐生は軽く手を振って、鞄を肩にかけて教室を出ていった。からかいの後の引き際が、今日に限って早かった。たぶん、いつもよりは少しだけ真面目に受け取ってくれたのだろう。
残された教室で、俺はもう一度、日付を口の中で転がした。
12月24日。
クリスマスイブ。
* * *
帰り道。
秋月の姿はなかった。今日は先に帰ったらしい。
一人で歩きながら、俺は、秋月が「知られたくない」と言った時の顔を、思い出していた。
隠す理由は、ない、と言った。
でも教えたくない、と言った。
その「ない」と「教えたくない」の間に、俺の知らない何かが、一個、挟まっている気がした。
秋月は、小学校を3回、中学校を2回、転校している。本人から以前、そう聞いた。
誕生日を友達に祝ってもらうには、祝ってくれる友達が必要だ。そして、その友達と、誕生日まで関係が続いている必要がある。秋月の人生には、たぶん、その両方が、あまり、なかった。
おまけに、日付が悪い。
クリスマスイブ。
街中が別の祝い事で埋まっている日に生まれた子供が、自分の誕生日をきちんと祝ってもらえる確率は、たぶん、そこまで高くない。
そう考えると、「教えない」の意味が、少し、見えてくる気がした。
教えない、というのは、たぶん、「期待したくない」の言い換えだ。
勝手に知ってしまったな、と俺は思った。
本人の許可を取らずに、日付を手に入れてしまった。それは、たぶん、秋月が一番嫌がるやり方だ。
でも、知ってしまったものは、もう戻せない。
頭の中の手帳の、12月24日のところに、小さな付箋を貼った。
半年先だぞ、と桐生の声が、耳の奥で反響した。
半年あれば、考える時間は、十分すぎるくらいある。
俺はそう思ってから、「考える」の中身を自分で明確にしないまま、角を曲がった。




