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隣の秋月さんは絶対デレない  作者: Studio SASAME
雨のにおい

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33/45

世界一のケーキ

 七夕の笹は、まだ教室の黒板の横に立っていた。

 短冊を結び終えた生徒のほとんどが帰って、教室には数人しか残っていない。桐生(きりゅう)はゲー研に、つぐみはバドミントン部に、それぞれ流れていった。

 残ったのは、俺と、窓際の席でまだ鞄を開いたまま文庫本を読んでいる秋月(あきづき)と、あと一人――廊下の遠くから、勢いよく近づいてくる足音の主だった。


「そうくーん!」


 ドアが勢いよく開いた。

 柚木ひなたが、肩で息をしながら、俺の机の前に滑り込んできた。


「お待たせ! 料理部、終わった!」

「催促すんなよ」

「催促してないもん! 時間通りだもん!」

「走り込んできた時点で催促だろ」


 ひなたは反論を諦めて、机の横に立てかけてあった俺の保冷バッグに、目を輝かせた。


「それ!」

「これな」

「開けて!」


 秋月(あきづき)の視線が、文庫本から、わずかに上がった。一瞬だけこちらを見て、すぐまた文字の上に戻る。ページをめくらない。同じ行を、さっきから何度か読み直している気がした。

 俺は保冷バッグのジッパーを開けて、中の白い箱を机の上に出した。


「開けていい?」

「お前の誕生日だろ、お前が開けろよ」

「うん!」


 ひなたが両手で箱のふたを開ける。

 中には、小ぶりなショートケーキが2切れ、保冷剤と一緒に並んでいた。赤いイチゴが三粒ずつ、白いクリームの上に綺麗に並んでいる。


「いちご!」

「去年ブルーベリーだったからな」

「覚えてたの!?」

「覚えてたから作り替えた」

「世界一!」


 ひなたが両手を頬に当てた。

 毎年、この一言を言う。小学校の時からずっと言う。元気のよさもテンションも、全部、あの頃と同じだ。幼馴染というやつだ。

 照れくさいので俺は視線を逸らした。逸らした先に、秋月(あきづき)の席があった。

 秋月(あきづき)は、本を閉じていた。

 指で栞を挟む動作が、やけに丁寧だった。


「秋月」

「......」

「ケーキ、2切れあるんだけど」

「......2切れ」

「1つはひなた。もう1つは、持ち帰るつもりだったけど、ここで食うか?」


 秋月(あきづき)は、視線を本の表紙に落としたまま、数秒黙った。


「......別に、頼んでない」

「頼まれてもないけど、用意した」

「......私の分じゃない」

「誰の分でもないのがここにある。食う、食わないだけだ」


 秋月(あきづき)は、もう一度数秒黙って、それから鞄の取手から手を離した。


「......いただく」


 * * *


 ひなたがプラスチックのフォークを3本、俺の机の上に並べた。料理部で余ったのをもらってきた、らしい。

 秋月(あきづき)が静かに近づいてきて、俺の隣の席――つぐみの席に、そっと座った。

 ひなたが、反対側から、身を乗り出すようにして座る。俺を挟んで、右にひなた、左に秋月(あきづき)。構図としては賑やかな方と静かな方に挟まれて、俺だけがその両方を受け止める中央みたいな位置になった。


「いただきます!」

「......いただきます」


 ひなたの声は明るく、秋月(あきづき)の声は小さかった。

 ひなたがフォークで大きくケーキを削って、一口で頬張った。目を閉じて、頬を両手で押さえた。


「世界一!」

「2回目だぞ」

「何回でも言う!」


 秋月(あきづき)は、フォークでスポンジの端を小さく削っていた。あまりに小さく削るので、フォークに乗っているクリームの方が多い。一口、と呼ぶには繊細すぎる量だった。

 それを、口に運んだ。

 噛むというより、確かめる動作だった。

 目を、ほんの少しだけ閉じた。


「......美味しい」


 静かな声だった。

 ひなたの「世界一」とは別方向の、ひそやかな肯定。俺はなぜかそっちの方が、より深く、耳の奥に落ちてきた気がした。気がしただけだ。気がしただけにしておきたい。


「......これ、藤宮が、作ったの?」

「俺が作った」

「......どのくらい、時間がかかる」

「スポンジから焼くから、まあ3時間くらいか」

「......3時間」

「ケーキは待ち時間が長いんだ。焼いてる間と冷ましてる間」

「......」


 秋月(あきづき)は、ひなたの頬を見た。

 口いっぱいにクリームを詰め込んで、幸せそうに目を閉じているひなたを。

 そして、言った。


「......毎年、作ってるの?」


 小さな、静かな問いだった。

 俺は少し考えてから、頷いた。


「ああ。ひなたの誕生日は毎年作ってる」

「......毎年」

「家が隣だからな。うちのおかんとひなたのおかんがママ友で、幼稚園の頃からの付き合いだ。一回作り始めたら、流れでずっとやってるだけだ」

「......そう」


 秋月(あきづき)の「......そう」は、ほとんど相槌だった。

 でも、語尾のどこかが、普段の「......そう」よりわずかに平たかった。何かを聞いてから、自分の中で一度畳んで、それから吐き出したような、そういう「......そう」だった。

 気のせいかもしれない。今日も気のせいの確率は、やけに高い。


「来年もよろしくね、そうくん!」

「来年まで俺に作り続けさせる前提かよ」

「当たり前じゃん! 世界一なんだから!」

「ハードル上げすぎだろ」

「上げる!」


 ひなたが笑う。

 秋月(あきづき)はフォークを止めて、もう一度、静かにスポンジを削っていた。


「......凛ちゃんも食べよう! ケーキ!」

「......食べてる」

「もっと! 大きく!」

「......これで、いい」

「遠慮しないで!」

「......遠慮じゃない」

「じゃあなんで!」

「......お行儀」


 ひなたは完全に納得できない顔で秋月(あきづき)を見た。

 秋月(あきづき)はそれ以上何も言わずに、もう一口、相変わらず小さなスポンジの欠片を口に運んだ。

 確かに、秋月(あきづき)の食べ方には、どこかピアノの発表会みたいな丁寧さがあった。ひなたの食べ方を発表会と呼ぶ人間はいない。


 * * *


「あ! そうだ!」


 ひなたが急に思い出したみたいに、秋月(あきづき)の方に身を乗り出した。


「凛ちゃんの誕生日っていつ?! ひなたも何かあげる!」

「......教えない」

「なんで!」

「......教えたくない」

「ひなたにも?!」

「......特に、藤宮に」

「俺名指しかよ」

「......あなたには、知られたら、困る」

「何が困るんだよ」

「......」


 秋月(あきづき)は答えなかった。

 代わりに、文庫本の栞の位置を指で確認するふりをして、視線を逸らした。


「ねえねえ、ひなたには教えていい?」

「......柚木さんになら、いい」

「やった! いつ?」

「......聞いても、言わない」

「ずるーい!」


 ひなたがテーブルに突っ伏した。

 秋月(あきづき)は、その突っ伏したひなたの後頭部を、少しだけ長めに見つめていた。

 気のせいかもしれないが、表情がほんのわずかだけ、緩んだ気がした。

 俺はどちらの味方もしないことにした。どちらの味方についても、何かを失う気がしたからだ。


 * * *


 ケーキを食べ終わって、箱とフォークを片付ける。

 箱は俺が保冷バッグに戻し、フォークはひなたが料理部の袋にまとめてくれた。秋月(あきづき)は教室のゴミ箱の位置を確認してから、紙ナプキンを一枚ずつ、丁寧にたたんでまとめていた。

 帰り支度をして、三人で下駄箱へ向かう。

 ひなたが「ありがとそうくん、世界一!」と通算3回目の世界一を叫んで、俺を叩いた。ひなたの「叩く」は、ほぼパントマイムだ。

 下駄箱を出て、校門を抜けた。ひなたの家は俺の家の隣、秋月(あきづき)の家は分岐を反対方向。

 分岐点で、秋月(あきづき)は立ち止まった。


「......じゃあ」

「おう」

「......ケーキ、ありがとう」


 秋月(あきづき)はひなたの方をちらりと見て、それからもう一度、こちらには視線を合わせず、短く付け足した。


「......柚木さん、誕生日おめでとう」

「うん! ありがとう凛ちゃん!」

「......」


 秋月(あきづき)は頷いて、反対側の道へ歩き出した。

 数歩進んだところで、一度、立ち止まった。

 振り返りはしなかった。

 そのまま、また歩き出した。

 夕方の光が、秋月(あきづき)の背中に薄く伸びて、そのまま角を曲がって見えなくなった。

 俺は少しの間、その方向を見ていた。

 なぜ見ていたのかは、自分でもよくわからない。


「そうくん」

「ん」

「凛ちゃん、今日ちょっと静かだったね」

「......そうか?」

「静かだったよ」

「秋月はいつも静かだろ」

「いつもと違う静かだった」


 ひなたは、そう言って、くるっと俺の方を向いた。

 目が、真っ直ぐだった。


「ひなた、わかるよ。そういうの」


 ひなたはそう言って、すぐにいつもの笑顔に戻った。


「でもまあ、いっか! ケーキ美味しかったし!」

「話戻ったな」

「戻った! 世界一!」


 ひなたが先に歩き始める。

 俺は、角の向こうに消えた秋月(あきづき)の残像を、もう一度だけ視界の端で探した。見つからなくて、そのまま歩き出した。

 「毎年」の二文字が、なぜか頭の中で小さく反響している。ひなたの誕生日のケーキを、俺は毎年作ってきた。それだけの話のはずだ。

 なのに、秋月(あきづき)がその一語を拾い上げた時の声の平たさが、夕方の空気と一緒に、耳の奥にまだ残っている。

 気のせい、だと思う。

 思うことに、した。

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