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隣の秋月さんは絶対デレない  作者: Studio SASAME
雨のにおい

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32/45

七夕の短冊

 7月7日、七夕。

 朝、教室に入ると、黒板の横に、妙にでかい笹が立っていた。

 根本はプラスチックのバケツで、バケツの中には砂と水、倒れないように床にガムテープで補強してある。花園(はなぞの)先生、本気だ。


「なにこれ」

「七夕。生徒会が各クラスに配布したんだってさ」


 隣の席に鞄を置きながら、桐生(きりゅう)が教えてくれた。机の上には、色とりどりの短冊が束で置かれている。桃、黄、水色、白。マジックペンも添えてある。


「高校で短冊書くのか」

「書くらしいぞ。朝のうちに書いて、放課後までに結べだとさ」

「昭和の小学校か」

「お前も一緒に昭和の小学校に行け」


 桐生(きりゅう)は水色の短冊を一枚つまみ上げて、マジックをくるくる回し始めた。


「で、お前何書くんだよ」

「......『毎日美味い飯が食えますように』」

「夢ちっさ!」


 桐生(きりゅう)が机を叩いた。


「おまえ、自分で弁当作ってんだろ! 母さんの分まで作ってんだろ! もう叶ってんだろその願い!」

「だから『毎日』って部分が続くように願うのが大事なんだよ。食卓が平和ってのは結構大事だぞ。世界平和のミニチュア版だ」

「急にスケール大きくすんな」


 桐生(きりゅう)は笑いながら、自分の短冊に何か書き始めた。盗み見したら「推しが卒業しませんように」と書かれていて、俺は黙ってもう一度自分の短冊に視線を戻した。

 俺の左隣、窓際の席。

 秋月(あきづき)がマジックを持ったまま、手を止めていた。短冊には、まだ何も書かれていない。黄色の短冊だ。


秋月(あきづき)は書かないのか」

「......まだ」

「まだ、か」

「......まだ」


 それ以上は突っ込まないことにした。考え中、の顔だ。これは長い。


 * * *


 昼休み。

 弁当を広げていると、隣のクラスからひなたが飛び込んできた。


「そうくーん! 短冊書いた?」

「書いたぞ」

「見せて!」


 俺は裏返しに置いてあった短冊を、とっさに手のひらで隠した。


「見せない」

「なんで!」

「夢ちっさって言われたからだ」

「見たい!」


 ひなたが身を乗り出して取ろうとした勢いで、俺の指の間から、短冊が一瞬だけ見えてしまった。


「......『毎日美味い飯が食えますように』」

「......」

「そうくん、夢ちっさ!」


 ひなたまで。


「お前もか」

「だって毎日おいしいごはん作ってるじゃん!」

「それが続くようにって意味な!」


 ひなたはぷっと吹き出してから、自分の桃色の短冊をぺたりと机に置いた。

 元気のいい、でかい字で、こう書かれていた。


 『そうくんとずっと一緒にいられますように』


「......」

「どう?」

「......ひなた、それ、小学校の時に書いた作文と一字も変わってねえな」

「だってほんとにそう思ってるもん!」


 ひなたは、にっこり笑った。

 小学1年の最初の授業参観の作文。ひなたが書いたタイトルが「そうくんとずーっといっしょ」だった。読み上げた時、俺の母さんとひなたの母さんが、教室の後ろで吹き出した。あの日と同じ字だった。大きさも、勢いも、迷いのなさも。

 幼馴染、というやつだ。

 友情だ。ひなたの中のひなたらしさだ。

 俺はそう受け取って、弁当の卵焼きを一つ、ひなたの口に放り込んでやった。ひなたが「あまい!」と嬉しそうに言う。

 視界の端で、窓際の席の方、秋月(あきづき)がこちらを見ていた、気がした。

 視線が合いそうになって、合わなかった。秋月(あきづき)は机の上の自分の短冊に視線を落としていた。マジックのキャップはまだ閉まったままで、手元の短冊は朝とまったく同じ、白紙の黄色のままだった。

 合わなかっただけなのか、合わせなかったのか。そこまでは、俺にはわからなかった。


 * * *


 5時間目が始まる直前。

 笹の前に、秋月(あきづき)が立っていた。

 手にはまだ、白紙の黄色い短冊と、マジックペン。

 廊下から水を買って戻ってきた俺は、棒立ちになっているその背中を見かけて、近づいた。


「まだ書いてないのか」

「......願い事が、ない」

「嘘つけ」

「......嘘じゃない」

「目、泳いでるぞ」

「......泳いでない」


 泳いでいた。だいぶ泳いでいた。水族館レベルで泳いでいた。


「無理に書かなくてもいいけどな」

「......別に、書かないわけじゃない」

「じゃあ書けよ」

「......考え中」

「朝からずっと考えてるだろお前」

「......考える時間は、人それぞれ」


 正論っぽいことを言って逃げる時の秋月(あきづき)の顔を、俺は覚え始めていた。

 秋月(あきづき)はもう一度笹を見上げて、マジックのキャップを、かちりと外した。

 何か書こうとして、止まって、また書こうとして、止まる。

 結局、何を書いたのかは、俺には見えなかった。秋月(あきづき)が短冊を自分の体で隠したからだ。

 書き終わると、秋月(あきづき)は笹の下の方の枝に、細い糸で結びつけた。結び目が少し歪んだ。それを見て「......結び方が、雑」と小さく呟いて、結び直しはせずに、そのまま立ち去った。


「おい、何書いたんだよ」

「......内緒」

「内緒か」

「......見たら、消す」


 消すって、どうやって。マジックで書いてあるのに。

 俺は何も言わずに、秋月(あきづき)の背中を見送った。


 * * *


 放課後。

 桐生(きりゅう)はゲー研、ひなたは料理部、つぐみはバドミントン部。みんな散らばった後の、静かな教室。

 俺は、鞄を持って、ドアに手をかけた。

 そのまま帰るつもりだった。

 なのに足が、ドアじゃなくて、笹の方に向いた。

 そういうことにしておきたい。

 秋月(あきづき)が結んだ短冊は、笹の下の方で、風もないのに、わずかに揺れていた。

 黄色い短冊。細い字で、小さく、一行だけ書かれていた。


 『迷わないように』


 俺は、吹き出した。

 声を出して、一人で笑った。

 教室にもう誰もいなくてよかったと、心の底から思った。

 迷わないように。

 七夕で、短冊で、笹にぶら下げる願い事で、真顔で、まじめに、迷わないように、って書くやつ。

 世界で一人しかいないだろ、そんなやつ。

 方向感覚の話なのか、人生の話なのか。たぶん、本人の中では区別がついていない。どっちの意味でもあって、どっちの意味でもないのだろう。避難訓練で遭難する女が書くにしては、あまりに切実で、あまりに秋月(あきづき)だった。

 小学校から中学校まで5回転校した、と秋月(あきづき)は以前言っていた。迷子になるのは校内の話だけじゃないのかもしれない、と少しだけ思った。思ってすぐ、深入りしそうになった自分を引き止めた。そこは、短冊一枚で踏み込んでいい場所じゃない。

 俺はしばらく、笹の前で一人で笑っていた。

 笑いながら、どこかで、ちょっとだけ、胸の奥のあたりが温かくなっていた。

 たぶんその温かさは、笑いの余波だ。

 そういうことにしておきたい。

 帰り道、俺はずっと、頭の中で「迷わないように」を反芻していた。

 隣を見ても、秋月(あきづき)はいなかった。先に帰ったのだろう。分岐点まで一人で歩きながら、俺はふと、自分の短冊の文字を思い出した。毎日美味い飯が食えますように。

 秋月(あきづき)の短冊と並べたら、どう見ても俺の方が夢ちっさだ。

 認めたくないが、事実だ。


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