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隣の秋月さんは絶対デレない  作者: Studio SASAME
雨のにおい

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31/45

梅雨空の放課後

 雨が続いている。

 梅雨入りからもう2週間を超えた。降ったり止んだりを繰り返しているが、傘なしで過ごせる日はほとんどない。教室の窓の外は、灰色のグラデーションが朝から夕方まで途切れずに続いていた。

 今日は、その梅雨の中でも特に強い日だった。

 6時間目が始まる頃から雨脚が強くなって、終わる頃にはバケツを引っ繰り返したような勢いになった。


 * * *


 放課後。

 ホームルームが終わって、生徒たちが教室を出始めた頃には、雨はピーク手前くらいの強さに到達していた。傘を持ってきている生徒も、廊下の窓から空を見上げて躊躇していた。

 俺は今日、紺の折り畳みを鞄に入れていた。秋月(あきづき)からもらった新品を、本格的に投入する日が来たということだ。家を出る時に「今日はさすがに降る」と母さんに念を押されたから、忘れずに持ってきた。

 しかし、傘を開いて外に出る勇気は、今の雨脚の前では砕けた。視界が霞むレベルだ。傘ごとびしょ濡れになる未来しか見えない。

 止むのを待つことにした。

 教室の窓際の席に、秋月(あきづき)がいた。鞄を肩にかけた状態で、もう一度椅子に座り直していた。秋月(あきづき)も同じ判断をしたらしい。


秋月(あきづき)、これ無理だろ」

「......無理」

「止むまで待つか」

「......そうする」


 他のクラスメイトはほぼ全員教室を出ていた。残ったのは、俺と秋月(あきづき)の二人だけ。

 俺は秋月(あきづき)の前の席――つぐみの席に、逆向きに座った。机を挟んで、二人の視線が外の雨を共有する角度になる。

 窓の外の雨音だけが、教室を満たしていた。


 * * *


 しばらく沈黙が続いた。気まずい沈黙ではなかった。雨音があれば、人は意外と黙っていられる。

 俺は鞄から財布を取り出して、立ち上がった。


「自販機行ってくる。何か飲む?」

「......いい」

「待ってる時間、長くなるかもしれないぞ」

「......じゃあ、何でも」


 何でも、と言われたら俺の判断だ。秋月(あきづき)の好みはまだ完全にはわかっていない。雨で少し肌寒いことを考えると、温かい方が無難だろう。

 廊下の自販機で、ホットの缶ミルクティーを2本買った。


 教室に戻って、1本を秋月(あきづき)に差し出した。

 秋月(あきづき)は受け取りながら、缶のラベルを見て、少しだけ眉を寄せた。


「......ミルクティー?」

「ああ。それでよかったか?」

「......別に、ブラック派だけど」


 ブラック派。

 唐突な自己申告だった。

 高校2年生がブラック派を主張するのは少し背伸びな気もしたが、秋月(あきづき)ならまあ、ありそうな気もする。クールキャラで通っているし。


「......ミルクは飲む?」

「......飲まないわけじゃない」

「飲むんだな」

「......」


 秋月(あきづき)はそれ以上反論せずに、缶のプルタブを開けた。一口飲んで、何か言いたそうな顔をして、結局何も言わなかった。俺も自分の缶を開けて、一口飲んだ。

 窓の外の雨音と、缶を開ける音と、二人分の小さな飲み込む音だけが、教室にあった。


 * * *


 二人きりの教室は、不思議と気まずくなかった。

 いつもなら俺の周りには桐生(きりゅう)やつぐみがいて、誰かが何かを話している。今日はその誰もいなくて、雨音だけが背景音だった。

 秋月(あきづき)が、ふと口を開いた。


「......最近、何か本読んだ?」

「読んでない。料理本は時々読むけど」

「......料理本」

「母さんの本棚の。煮物の下味とかの」

「......それ、本?」

「本だろ。紙で綴じてあれば本だ」

「......定義が、雑」

「お前の薄切りの定義よりはマシだろ」

「......話、逸らした?」

「お前が逸らした」


 秋月(あきづき)は反論しようとして、少し考えて、反論を諦めた。


「お前は、何か読んだのか」

「......最近は、短編集を一冊」

「タイトルは」

「......言わない」

「なんで」

「......恥ずかしい」

「恥ずかしいって、どんなジャンルだよ」

「......恋愛じゃない」

「恋愛じゃないなら何で恥ずかしいんだ」

「......言わないって言ったから、もう言わない」


 秋月(あきづき)は短編集のタイトルを最後まで言わなかった。

 でも、本の話をしている秋月(あきづき)は、いつもより少しだけ饒舌だった。短文の応酬だが、応酬がちゃんと続いている。

 秋月(あきづき)とこんなに長く会話したのは、たぶん、初めてに近い気がした。


秋月(あきづき)って、結構話すんだな。二人の時」


 俺はそう言った。

 軽く言ったつもりだった。

 秋月(あきづき)の缶を握る手が、ぴたりと止まった。

 窓の外を見ていた視線が、缶の側面に落ちた。

 返事がなかった。

 沈黙が、雨音より重くなった。

 俺は焦った。たぶん言い方を間違えた。


「......悪い意味じゃない」

「......」

「嬉しいって意味だ。話してくれて」


 秋月(あきづき)は、まだ缶を握ったまま、視線を窓の外に戻した。

 耳のあたりが、いつもより少しだけ赤い気がした。気のせいかもしれない。今日も気のせいの確率は、やけに高い。


「......そう」


 短い返事だった。

 でも、否定はしなかった。


 * * *


 その時、教室のドアが勢いよく開いた。


蒼太(そうた)! 助けてくれ! 傘忘れた!」


 桐生(きりゅう)だった。

 既にずぶ濡れで、シャツの肩から水が滴っていた。靴下も水を含んでいて、歩くたびにきゅっと音を立てている。


「お前、どこまで行って戻ってきたんだよ」

「校門まで行って引き返した! 半分以上濡れた!」

「半分以上って、もう全身じゃねえかその姿」

「全身の手前だ! 入れてくれ!」


 秋月(あきづき)が、ゆっくり立ち上がった。

 飲みかけの缶を机に置いて、鞄の取手を握る。


「......私、行く」

「え、まだ降ってるぞ」

「......バスに乗る」

「......そうか」


 秋月(あきづき)は鞄を肩にかけて、教室を出ていった。出ていく直前、俺の方を振り返らずに、ほんの少しだけ頭を下げた、気がした。気がしただけかもしれない。

 残された俺と桐生(きりゅう)は、しばらく沈黙した。

 桐生(きりゅう)が、滴る前髪を絞りながら呟いた。


「......俺、今、めちゃくちゃ空気壊した?」

「うん」

「......悪い」

「いや、いい」


 いいわけなかった。

 でも、いや、ということもないのかもしれない。

 窓の外の雨は、まだ続いていた。秋月(あきづき)の飲みかけの缶ミルクティーが、机の上に半分残っていた。

 ブラック派の癖に、半分はちゃんと飲まれていた。

 その事実が、なぜか、少しだけ、可笑しかった。

 桐生(きりゅう)の前では笑わないでおいた。また何か余計なことを言われる気がしたからだ。


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