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隣の秋月さんは絶対デレない  作者: Studio SASAME
隣の席

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19/45

二回目の迷子

月曜日の朝。弁当に卵焼きと唐揚げを詰めて、学校に向かう。

 5月も終わりに近づいて、朝の空気がぬるくなってきた。半袖のシャツで歩いても汗をかかない、ちょうどいい気温だ。

 教室に入って、鞄を机に置く。まだ人はまばらで、窓際の席には誰もいない。いつも通りの朝だ。

 秋月(あきづき)はいつも俺より少し遅く来る。始業10分前に静かに席に着いて、窓の外を見る。それがあいつの朝のルーティンだ。

 ......と思っていたのだが。


「......おはよう」


 声がした。

 俺が鞄から教科書を出そうとした時、隣の席にいつの間にか座っていた秋月(あきづき)が、こちらを見ずに言った。

 窓の外を向いたまま。声は小さい。でも確かに、「おはよう」と言った。

 秋月(あきづき)から。自分から。

 ......え?

 驚きが顔に出る前に、俺は口を動かした。


「おう、おはよう」


 平静を装ったが、心の中ではかなり動揺している。秋月(あきづき)が自分から挨拶してきたのは、この2カ月で初めてだ。

 秋月(あきづき)は「......」と黙って、それ以上何も言わない。窓の外に視線を戻している。耳は、たぶん赤くない。たぶん。遠くてよく見えない。

 いや、隣の席なんだから距離は30cmくらいしかない。見えないわけがない。見ないようにしている俺がいるだけだ。


「え、秋月(あきづき)さんが自分から挨拶!?」


 教室の入り口から、全生徒に聞こえる音量で桐生(きりゅう)が叫んだ。こいつの声量はどうにかならないのか。


「......普通のことでしょう」


 秋月(あきづき)が平然と答える。声に揺らぎはない。まるで毎朝そうしているかのような口調だ。

 いや、していないだろ。一度も。


「普通!? 秋月(あきづき)さんの口から!? 蒼太(そうた)、お前何したんだよ」

「何もしてねえよ。うるせえから座れ」


 桐生(きりゅう)を自分の席に追い返して、俺は教科書を机に並べた。

 隣に座る秋月(あきづき)は、もう窓の外を見ている。何事もなかったかのように。

 ......何事もなかったのかもしれない。あいつにとっては、本当に「普通のこと」なのかもしれない。

 ただ、俺がそれを「普通じゃない」と感じていることだけが、事実として残っている。


 * * *


 昼休み。

 弁当箱を開けた瞬間、箸が伸びてきた。


「......一つだけ」


 秋月(あきづき)が唐揚げを一つ、俺の弁当から取った。もはや許可を求める形式だけが残っている。返事を待つ気配はない。

 いつからこうなったんだろう。最初は「食うか?」と俺が差し出して、「......一つだけ」と遠慮がちに受け取っていたはずだ。それが今では、弁当を開けた瞬間に箸が来る。進化が早い。


「うまいか?」

「......普通」


 普通、ね。普通と言いながら頬が少しだけ緩んでいるのは、もう指摘しない方がいいだろう。


蒼太(そうた)、俺にも一個くれよ」


 桐生(きりゅう)が自分の席から身を乗り出してくる。


「自分の弁当食え」

「コンビニのおにぎりだぞ? お前の手作り弁当の隣で食うおにぎりの惨めさわかるか?」

「知らねえよ」

秋月(あきづき)さんには分けるのにー」

「......席が近いだけ」


 秋月(あきづき)がぼそっと言った。いや、桐生(きりゅう)の席もそんなに遠くないぞ。


 * * *


 放課後。

 6時間目が終わって、帰りのHRが終わって、さて帰るかと荷物をまとめていたら、スマホが震えた。

 LINEの通知。秋月(あきづき)からだ。


 「......理科室」


 また迷ったらしい。

 俺は鞄を持って教室を出た。理科室は3階の東側。教室から2分もかからない場所だ。普通の人間なら。

 理科室の前に着くと、秋月(あきづき)がいない。ドアの前に誰もいない。

 嫌な予感がして、廊下の奥を覗いた。理科室の隣にある理科準備室。そのさらに奥の、倉庫に繋がる扉の前に、秋月(あきづき)が立っていた。


「......秋月(あきづき)

「......ここは理科室じゃない」

「知ってるよ。なんでそっちに行ったんだ」

「......ドアが開いていたから」


 開いていたから入ったのか。猫か。


「お前、この学校もう1年いるだろ」

「......建物が悪い」

「建物は何も悪くないだろ」

「......廊下が全部同じに見える」

「それはお前の問題だ」


 秋月(あきづき)は不満そうに──といっても表情の変化は微細で、眉がほんの少し寄っただけだが──俺を見た。


「......藤宮(ふじみや)だって、最初は校舎の構造がわからなかったはず」

「入学3日で覚えたけど」

「......ずるい」


 出た。秋月(あきづき)の「ずるい」。方向感覚がある人間に対する理不尽な抗議だ。

 俺は秋月(あきづき)の前を歩いて、理科室のドアを開けた。中には誰もいない。机の上には秋月(あきづき)のノートと教科書が置いてあった。居残りで自習していたらしい。


「帰り際に迷ったのか」

「......トイレに行って、戻れなくなった」

「トイレから理科室まで20歩くらいだろ」

「......15歩だった」


 数えてんのか。数えて迷うのか。ある意味すごい。

 秋月(あきづき)は荷物をまとめて、鞄を肩にかけた。2人で廊下を歩き、階段を降りる。放課後の校舎は静かで、窓から差し込む西日が廊下をオレンジ色に染めている。


「帰るか」

「......うん」


 昇降口で靴を履き替えて、校門へ向かう。いつもの帰り道だ。秋月(あきづき)と並んで歩く。歩幅を合わせるのは、二人三脚の練習で慣れた。

 5月の風が吹いた。秋月(あきづき)の髪が揺れる。黒い髪に夕日が当たって、赤みがかって見えた。


秋月(あきづき)

「......なに」

「いつでもLINEしろよ。迷ったら」


 何気なく言った言葉だった。深い意味はない。迷う頻度を考えたら、連絡手段を確保しておいた方が効率的だ。それだけのことだ。

 秋月(あきづき)が足を止めた。俺も止まる。

 秋月(あきづき)は俺を見ていた。いつもの無表情だ。でも目の奥に、何かが揺れている気がした。


「......迷わないようにする」

「無理だろ」

「......うるさい」


 秋月(あきづき)が歩き出した。少しだけ早足で。俺は笑いを噛み殺しながら、その隣に追いついた。

 分岐点が近づいてくる。ここで秋月(あきづき)は右に曲がって、俺は真っ直ぐ。いつもの別れ道だ。


「じゃあな」

「......うん」


 秋月(あきづき)が右に曲がる。2歩進んで、立ち止まる。振り返りはしない。ただ、立ち止まった。


「......藤宮(ふじみや)

「ん?」

「......LINE、する。......迷った時だけ」


 それだけ言って、秋月(あきづき)は歩いていった。今度は立ち止まらなかった。

 俺はその背中を見送って、それから真っ直ぐの道を歩き始めた。

 迷った時だけ、ね。

 それでいい。別にそれ以外の時にLINEしてほしいわけじゃないし。

 ......いや、してほしいわけじゃないって、何だそれ。変な考え方だ。

 頭を振って、帰り道を急いだ。今日の晩飯、何作るかな。冷蔵庫に鶏肉があったから、親子丼にでもするか。

 スマホが震えた。LINEの通知。秋月(あきづき)からだ。


 「......家に着いた」


 報告か。迷わなかったらしい。分岐点から先は間違えないんだよな、こいつ。

 俺は歩きながら返信を打った。


 「おう。迷わなかったな」


 既読がついた。返信はない。

 でも、なんとなくわかった。あいつは今、スマホの画面を見ながら、何か言いたそうな顔をしているんだろう。

 まあ、言いたくなったらそのうち言うだろ。秋月(あきづき)のペースで。

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