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隣の秋月さんは絶対デレない  作者: Studio SASAME
隣の席

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17/45

面白いやつ

体育祭の翌日、金曜日。

 朝起きた瞬間、体が悲鳴を上げた。太ももが重い。ふくらはぎが張っている。階段を降りるたびに膝が笑う。リレーで全力疾走したツケが一晩で回ってきた。

 弁当を作る手は問題ないが、足がまるで使い物にならない。通学路の緩やかな坂道が、今日に限っては登山だった。


「そうくん、大丈夫? 歩くの遅いよ?」

「筋肉痛」

「あはは! そうくん、昨日すごかったもんね! リレーのラストスパート、かっこよかったよ!」

「その分、今日のダメージがでかい」


 ひなたと並んで歩く。いつもの半分くらいの速度だ。ひなたは全然平気そうな顔をしている。あいつは借り物競走で走っただけだから、ダメージが少ないのだろう。

 教室に着くと、桐生(きりゅう)が机に突っ伏していた。


蒼太(そうた)......俺、死ぬ......」

「生きてるだろ」

「全身筋肉痛......玉入れで腕を上げすぎた......」

「玉入れでそこまでなるか?」

「100個入れるって宣言したから......」

「何個入ったんだよ」

「......3個」


 97個分の無駄な動きをしたらしい。桐生(きりゅう)の効率の悪さには定評がある。

 秋月(あきづき)が教室に入ってきた。いつもと同じ時間に、いつもと同じ足取りで。表面上は何も変わらない。姿勢がいい。歩き方に乱れがない。筋肉痛の気配すら見せない。

 さすがだな、と思った。


 * * *


 3時間目が終わって、移動教室のために廊下に出た。

 階段の手前で、秋月(あきづき)が立ち止まっていた。

 いつもなら迷子のサインだが、今日は違う。秋月(あきづき)は階段の下を見つめて、一段目に足を置いて、止まっている。

 俺が横に並んだ。秋月(あきづき)がちらっとこちらを見て、すぐに視線を階段に戻した。


秋月(あきづき)?」

「......何でもない」


 秋月(あきづき)が一段目を降りた。2段目に足を移す。その瞬間、左足がもつれた。

 体が前に傾く。

 俺は咄嗟に秋月(あきづき)の腕を掴んだ。秋月(あきづき)の体が止まる。危なかった。階段から落ちるところだった。

 秋月(あきづき)が俺の手を見て、自分の足を見て、もう一度俺の手を見た。


「......大丈夫。筋肉痛じゃない」

「嘘つけ、二人三脚のやりすぎだろ」


 秋月(あきづき)の目がわずかに大きくなった。図星だ。


「......違う」

「じゃあなんで階段で足がもつれたんだ」

「......たまたま」


 出た。秋月(あきづき)の必殺技「たまたま」。方向音痴の時から進歩していない。


「お前の『たまたま』は信用できないって、前にも言わなかったか」

「......言ってない」

「言った」

「......記憶にない」


 秋月(あきづき)が顔を背けた。階段の手すりに手をかけて、慎重に一段ずつ降りている。普段の秋月(あきづき)は音もなく歩くタイプだが、今日は一歩ごとに微かな間がある。足を庇っているのだ。

 俺は秋月(あきづき)の半歩後ろを歩いた。いつもは秋月(あきづき)が俺の半歩後ろをついてくるのに、今日は逆だ。

 秋月(あきづき)がそれに気づいたのか、ちらっと振り返った。


「......何してるの」

「別に。たまたま後ろを歩いてるだけ」

「............」


 秋月(あきづき)が黙った。俺の「たまたま」には反論しにくいらしい。自分が散々使ってきた言葉だからだ。

 階段を降り切って、秋月(あきづき)の足取りが少し安定した。平地なら大丈夫らしい。


 * * *


 放課後。

 帰り道は、最近は秋月(あきづき)と途中まで同じルートを歩くことが多い。学校の正門を出て、最初の信号まで。そこで秋月(あきづき)は右に曲がり、俺は左に曲がる。

 ひなたが今日は料理部の活動日で先に帰れないから、俺は一人で──いや、秋月(あきづき)と2人で歩いていた。

 夕方の風が心地いい。5月の終わりにしてはやや涼しい風で、歩くのが気持ちいい。足は相変わらず重いが、朝よりはましになった。

 秋月(あきづき)は俺の半歩後ろを歩いている。いつもの距離だ。足音は相変わらず小さい。

 ふと、思ったことが口から出た。


秋月(あきづき)って、意外と面白いやつだな」


 言ってから、しまった、と思った。

 何が「面白い」なのか、自分でも説明できない。方向音痴で、嘘が下手で、「たまたま」を連発して、筋肉痛を隠せなくて、マシュマロの焼き方を知らなくて、リレーの応援で立ち上がったことを全力で否定する。そういうのが全部ひっくるめて、面白い。

 だがそれを説明するのは難しいし、説明したら秋月(あきづき)が怒る気がする。


「......面白い?」


 秋月(あきづき)が聞き返した。声にわずかな困惑が混じっている。立ち止まりはしなかったが、歩く速度が少し落ちた。


「あ、いや、いい意味で」

「......いい意味の面白いって、何」

「えっと、その」


 説明できない。面白いは面白いとしか言いようがない。


「つまり、その、飽きない、っていうか」

「......飽きない」

「退屈じゃない。一緒にいて」


 言ってから、自分の言葉に驚いた。一緒にいて退屈じゃない。それは事実だが、面と向かって言う台詞じゃない。

 秋月(あきづき)が足を止めた。

 俺も止まった。振り返る。秋月(あきづき)は俺を見ていた。正面から。秋月(あきづき)が正面から俺を見るのは珍しい。透明な瞳が、夕日のオレンジを反射していた。

 数秒の間。

 秋月(あきづき)が視線を落とした。それから、少し考えるように唇を動かして、言った。


「......変な人」


 その声は、前に教室で言われた時とは少し違った。前は突き放すような響きだった。今日のは、どこか柔らかい。


「それ、お前の口癖だな」


 俺が笑うと、秋月(あきづき)は「......口癖じゃない」と否定した。否定したが、視線を逸らす速度がいつもより遅い。

 歩き始める。信号が見えてきた。ここで右と左に分かれる。いつもの分岐点だ。

 信号が赤に変わって、立ち止まった。秋月(あきづき)が隣に並ぶ。手のひら二つ分の距離。


秋月(あきづき)、足は大丈夫か。帰り道」

「......大丈夫。迷わない」

「いや、筋肉痛の話なんだが」

「......それも大丈夫」


 信号が青に変わった。

 俺は左に、秋月(あきづき)は右に。いつも通り、言葉少なに別れる。

 だが今日は、秋月(あきづき)がいつもより少しだけ長く俺の方を見ていた。

 半歩。一歩。目が合ったまま。秋月(あきづき)の表情は無表情だ。いつもと変わらない。変わらないのに、その目の奥に何かがあった。何かというか──昨日のキャンプファイヤーの火みたいな、小さくて温かいものが。

 それから秋月(あきづき)は背を向けた。長い黒髪が揺れて、夕日の中を歩いていく。

 振り返らなかった。

 俺も振り返らなかった。左に歩き出して、そのまま家に向かう。

 面白いやつ。変な人。

 互いの呼び方が見つかったわけじゃない。秋月(あきづき)秋月(あきづき)だし、俺は藤宮(ふじみや)だ。でも、何かが少しだけ変わった。何がどう変わったのかは、まだうまく言葉にできない。

 帰り道、筋肉痛の足を引きずりながら、俺はぼんやり考えていた。

 4月の始業式から2ヶ月弱。隣の席の秋月(あきづき)は相変わらず無口で、相変わらず方向音痴で、相変わらず「別に」と「そう」と「たまたま」を繰り返している。

 でも、最初の頃とは違う。何がとは言えないけれど、違う。

 家に着いて、玄関のドアを開ける。靴を脱ぎながら、ふと笑った。


 秋月(あきづき)は「面白い」と言われたことがないと言っていた。

 じゃあ俺が最初なのか。

 それは、なんとなく悪くない気分だった。

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