楽しかった、かもしれない
体育祭の閉会式が終わると、日はもう傾いていた。
結果は、2年3組が総合3位。1位は1組で、2位が4組だった。桐生は「来年こそ1位だ!」と拳を突き上げていたが、来年の体育祭は10ヶ月以上先だ。気が早い。
閉会式の後は、学年全体でキャンプファイヤーがある。グラウンドの中央に組まれた薪の山に火がつくと、夕暮れの空にオレンジ色の光が広がった。
クラスごとに円を作って、火を囲む。
「蒼太、こっちこっち! 席あるぞ!」
桐生が手を振っている。俺は適当に座った。芝生の上にブルーシートが敷かれていて、座ると一日中走り回った足がじんわり痛んだ。
隣に誰かが座る気配がした。振り向かなくてもわかった。秋月だ。
「......」
秋月は何も言わず、俺の隣に座った。少し間を空けて。手のひら二つ分くらいの距離。
別に示し合わせたわけじゃない。教室でも隣の席だから、癖みたいなものだろう。空いている場所がたまたまここだっただけだ。
たまたま。最近この言葉をよく使う。
「はい、マシュマロ!」
つぐみが串に刺したマシュマロを配っている。桐生が受け取って、火に近づけすぎて一瞬で黒焦げにした。
「うわあああ! 燃えた!」
「桐生くん、近すぎ。もっと離して」
「こう? まだ焦げる!?」
「だから離してって。ほら、こうやって端の方で」
つぐみが桐生にマシュマロの焼き方を教えている。桐生が「白河先生!」と呼んで、つぐみが「先生じゃないし」と突っ込む。
俺も串を受け取って、火の端にかざした。マシュマロの表面がゆっくりと膨らんでいく。焼き加減を見極めるのは、卵焼きと同じだ。表面にうっすら焦げ目がついて、中がとろっとするくらいがちょうどいい。
隣の秋月はマシュマロの串を持ったまま、火を見つめていた。焼く気配がない。
「秋月、焼かないのか」
「......焼き方がわからない」
「こう、火の端に近づけるだけだ。近すぎると焦げる」
秋月が俺の真似をして、串を火に近づけた。慎重な動きだ。マシュマロの表面が少しずつ色づいていく。
「......これでいいの」
「もう少し。表面がきつね色になったら」
秋月のマシュマロが綺麗に焼き上がった。金色の焦げ目がついて、中から白いのが透けて見える。完璧な仕上がりだ。
秋月がマシュマロを口に運んだ。一口で食べた。咀嚼する間、表情は変わらない。
「......甘い」
「マシュマロだからな」
「......もう一本」
秋月がつぐみの方に手を伸ばした。つぐみが「お、凛おかわり?」と笑って串を渡す。
秋月は2本目を焼いた。今度は俺に教わらなくても、ちょうどいい距離感で火にかざしていた。覚えるのが速い。
キャンプファイヤーの火が大きく爆ぜた。火の粉が夜空に舞い上がる。日が完全に落ちて、火の光だけがみんなの顔を照らしている。
「そうくん! マシュマロ焼いて!」
ひなたが駆け寄ってきた。手にはマシュマロの袋と串を持っている。
「自分で焼けばいいだろ」
「えー、でもそうくんの方が上手じゃん! ひなた、すぐ焦がしちゃうの」
「はいはい」
俺はひなたのマシュマロを串に刺して、火にかざした。ひなたが隣にしゃがみ込んで、焼けるのを待っている。
きつね色に焼き上がったマシュマロをひなたに渡す。
「わあ! 完璧! さすがそうくん!」
「大げさだろ」
「えへへ、美味しい!」
ひなたが嬉しそうに頬張る。
俺の反対側──秋月の方をちらっと見た。
秋月は2本目のマシュマロの串を持ったまま、火を見つめていた。俺とひなたの方は見ていない。見ていないが、串を持つ指の力が少しだけ強くなっていた。マシュマロが歪んでいる。
ひなたが「凛ちゃんも一緒にどう?」と声をかけた。秋月は「......大丈夫」と短く答えた。
ひなたは「そっか!」と笑って、別の友達のところに走っていった。あいつはいつでもどこでも全力で楽しそうだ。
* * *
時間が経って、キャンプファイヤーの火が少し小さくなった。
桐生は向こう側でクラスメイトと盛り上がっている。つぐみはバドミントン部の友達と合流した。周囲が騒がしい中、俺と秋月の間だけ、妙に静かだった。
火が爆ぜる音だけが、2人の間を埋めている。
「秋月」
「......何」
「楽しかったか?」
聞いてから、なんで聞いたのか自分でもわからなかった。秋月に楽しかったかどうかを確認する必要は、どこにもない。
秋月は火を見つめたまま答えた。
「......普通」
普通。秋月語で「悪くない」の意味だと、最近はわかるようになった。
「お前、さっきリレーの時立ち上がってたぞ」
「......立ってない」
「いや、立ってた。俺、見たから」
「......見間違い」
「つぐみも見てたけど」
「......白河の見間違い」
2人同時に見間違えることがあるだろうか。ないと思うが、秋月に正論は通じない。
秋月の横顔に、火の光が揺れている。オレンジ色の光と影が交互に頬を照らしていた。長い黒髪が肩から胸にかけて流れていて、その先端が風でわずかに揺れている。
綺麗だな、と思った。
思っただけで口には出さなかった。口に出したら秋月が固まるのが目に見えている。
火がまた爆ぜた。パチ、と小さな音が鳴る。
「......」
秋月が何か言おうとした。口が少し開いて、閉じて、もう一度開く。
火の爆ぜる音に紛れるくらいの小さな声で、秋月が言った。
「......楽しかった、かもしれない」
俺は聞こえた。
聞こえたが、聞こえないフリをした。
なぜかはわからない。ただ、秋月のこの言葉は、俺に向けて言ったんじゃないと思った。火に向けて、あるいは自分自身に向けて、ぽろっとこぼれたものだ。拾い上げたら、秋月は二度とこういうことを言わなくなる。
だから俺は、火を見つめたまま黙っていた。
秋月も黙っていた。
周りは騒がしいのに、俺たちの間だけ静かだった。嫌な静けさじゃない。何も言わなくていい、という種類の静けさだ。
火の粉が夜空に昇っていく。暗い空に散って、消える。
秋月の肩が、俺の肩から手のひら二つ分の距離にある。それは朝と変わらない。変わらないのに、その距離の意味が少しだけ変わった気がした。
理由はわからない。ただ、秋月が「楽しかった、かもしれない」と言ったことが、俺にはなんとなく嬉しかった。
嬉しいというか。
よかったな、と思った。それだけだ。




