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隣の秋月さんは絶対デレない  作者: Studio Yodaca
冬──義理チョコは手作りしない

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チョコレート戦争・二日目

 特訓2日目。私は再びつぐみの家を訪れていた。昨日の失敗の記憶がまだ体に残っていて、玄関のインターホンを押す指先が少し強張っていた。


「今日はテンパリング、やってみようか」


 つぐみがそう言って、温度計を取り出す。銀色の細い棒に、液晶の数字表示がついた、見慣れない道具だった。


「......テンパリング」


 初めて聞く言葉に、私は少し身構えた。


「チョコの温度を、細かく調整する作業。これができると、艶が出て、口溶けも良くなるの」


 つぐみの説明を聞きながら、私は温度計を手に取った。数字を見る作業自体は、そう難しくなさそうに思えた。液晶の表示が、指先の温度で少し揺れているように見えた。


 だが実際にやってみると、思っていたより繊細な作業だった。


「まず50度くらいまで温めて、それから27度まで冷やして、また31度まで上げる」


「......数字、覚えられる気がしない」


「メモしとけばいいじゃん。ここに全部書いとくから」


 つぐみはそう言って、紙に温度の数字を書き出してくれた。丸っこい字で「50→27→31」と書かれたメモを、私は鍋の横に貼る。


「これ見ながらゆっくりやれば、大丈夫。焦らなくていいから」


 つぐみがそう付け加えてくれる。私はそのメモをもう一度確認してから、作業に取り掛かった。


 つぐみの指示通りに、私はチョコを温めていく。温度計の数字を確認しながら、慎重に作業を進めた。


 だが途中で数字を見間違えてしまう。27度のところを、37度と読み違えた。メモの数字と温度計の表示を、何度も見比べていたはずなのに、気づいた時にはもう遅かった。


 鍋の中のチョコが、突然、分離し始める。油っぽい塊と、ざらついた粒。木べらで何度混ぜても、もう元の滑らかさには戻らなかった。


「......裏切った」


 私はそのチョコを見つめながら、思わずそう呟いた。


「チョコは裏切ってないよ」


 つぐみが冷静にそう指摘する。


「あんたの温度管理が裏切ってるの」


 その的確な指摘に、私は何も言い返せなかった。分離した鍋の中身を見つめながら、昨日焦がした時と同じ気持ちになる。悔しさと情けなさが、同時に胸に広がった。


「......もう一回」


 私は分離したチョコを片付けて、新しい板チョコを取り出す。包丁で刻む手つきは、昨日よりわずかに慣れていた気がした。


 2回目の挑戦。今度は温度計を、何度も確認しながら進めた。数字を読み違えないよう、指でメモをなぞりながら作業を進める。だが冷やす工程で急ぎすぎて、また分離させてしまう。焦る気持ちが、手つきに出てしまったのかもしれない。


「......また失敗した」


 私はその結果に、肩を落とす。つぐみは横で見守りながら、励ましの言葉をかけてくれた。


「大丈夫、まだたった2回目だから。焦らずいこう」


 つぐみはそう言って、私の肩を軽く叩いた。その励ましに、私は少し落ち着きを取り戻す。深呼吸を一つして、もう一度鍋を見つめ直した。


「失敗するたびに、少しずつコツが分かってくるものだから」


 つぐみがそう付け加える。私はその言葉を、心の中で何度も繰り返した。


「......つぐみ、疲れない? 私に付き合って」


「疲れないよ。凛が頑張ってるの見てる方が、あたしとしても楽しいし」


 つぐみはそう言って、笑ってみせた。休日を丸ごと使わせてしまっていることに、私は少し申し訳なさを感じていた。


「......つぐみは、この休みに、他にやりたいことあったんじゃない?」


「別に、大したことないよ。凛の特訓に付き合う方が、よっぽど楽しいから」


 つぐみはそう言い切って、私の肩をもう一度軽く叩いた。私は視線を鍋に戻した。手元がやけに温かい。


 私は深呼吸をして、3回目の挑戦に取り掛かる。今度は、一つ一つの工程を、じっくりと時間をかけて進めた。


 温める。慎重に確認する。冷やす。また確認する。上げる。


 鍋を火から下ろすタイミングは、温度計を二度見てから決めた。木べらでチョコをすくって、垂れる様子を何度も確認する。糸を引くように、滑らかに垂れていくのを見て、少しだけ手応えを感じた。


 鍋の中のチョコが、滑らかな艶を保ったまま、最後まで安定していた。


「......できた?」


 私は恐る恐る、その状態をつぐみに確認する。


「やった! 凛、できたじゃん!」


 つぐみが嬉しそうに声を上げた。私はその言葉に、口元がわずかに緩むのを感じた。


「......本当に、できた」


 私はもう一度、鍋の中のチョコを見つめる。艶やかで、滑らかな液体が、そこにあった。指先で軽く触れてみると、しっとりとした感触が返ってくる。分離した時の、あのざらついた感触とは全く違っていた。


「凛、この調子でいけば、本番も絶対に余裕だよ」


 つぐみがそう励ましてくれる。私はその言葉に頷きながらも、まだ少し実感が湧かなかった。


「じゃあ次、型に流し込もう」


 つぐみがそう促してくれる。私は慎重に、チョコを型に流し込んでいった。プラスチックの型は思ったより小さく、少しでも力を入れすぎるとこぼれてしまいそうだった。


 私は一つの型にチョコを流し込むのに、かなりの時間をかけていた。傾ける角度を少しずつ調整しながら、慎重に、慎重に。


「もうちょっと大胆にやってもいいよ、凛」


 つぐみがそう指摘してくる。私は型の一つ一つを、こぼれないよう慎重に扱っていた。手元に集中しすぎて、視界が狭くなっていたのかもしれない。


「......雑にしたくない」


「気持ちは分かるけど、このペースだと日が暮れるよ」


 つぐみがそう言って、壁の時計を指差した。確認すると、思っていたより時間が経っていた。窓の外の光も、いつの間にかオレンジ色に変わり始めている。


 つぐみがそう茶化してくると、私は少しむきになって答えた。


「......もう暮れてる」


「そうだった」


 つぐみはそう言って、笑い出した。私もつられて、小さく笑ってしまう。窓の外は本当にもう暗くなり始めていて、台所の照明だけが二人を照らしていた。


 私はそう答えて、また次の型に、丁寧に流し込んでいく。木べらの先から垂れる糸の太さを、目で追いながら調整した。一つ、また一つと、型が埋まっていく。


 しばらく作業を続けていると、つぐみがふと、こっちを見た。


「ねえ凛、誰にあげるの?」


 その質問に、私は一瞬、手を止めた。木べらを持つ指先が、意図せずぎゅっと強張る。


「......義理」


 私はそう答えたが、つぐみは疑わしそうな顔をした。眉を片方だけ上げて、私の表情をじっと観察している。


「義理で3日も特訓しないでしょ」


「......する人もいる」


「いないよ」


「......うるさい」


 私はそう言い返したが、それ以上の反論が続かなかった。作業の手を止めたまま、しばらく沈黙が続く。台所の換気扇の音だけが、やけに大きく聞こえた。


「凛、そんなに無理に言わなくてもいいよ」


 つぐみがそう言ってくれる。だがその優しさが、かえって胸の奥にあった言葉を引き出した。


「......嫌われたくない。味で」


 私は小さく、そう呟いた。木べらを持つ手に、自然と力が入る。


「凛は、味以外のところで嫌われるとは、あんまり思ってないんだ」


 つぐみがそう聞き返してくる。私はその質問に、少し戸惑った。


「......分からない。でも味は自分でどうにかできる」


 私はそう答えた。他のことは、どうにもできない気がした。転校の多さも、素直になれない性格も、今さら変えられるものではない。だが味だけは、練習すれば変えられる。そう思うと、少しだけ気が楽だった。


 つぐみは、笑わなかった。


「大丈夫。ちゃんと美味しいの作ろう」


 その優しい一言に、私は俯いたまま、次の型にチョコを流し込んだ。目の奥が熱くなるのを、瞬きで誤魔化す。手元が一瞬にじんで、型の縁にチョコが少しはみ出した。つぐみは何も追及せず、静かに隣で見守ってくれていた。


「......ありがとう」


 私はそう答えて、また型入れの作業を続けた。丁寧に、一つ一つ、時間をかけて。


 窓の外は、もう夕暮れの色に染まっている。台所には、甘い匂いが漂い始めていた。カカオの香りが、部屋中に染み付いているような気がした。


「凛、明日は本番用、作ろっか」


 つぐみがそう提案してくる。今日の練習で使った型やボウルを見渡しながら、私は頷いた。


「......うん。お願い」


「ラッピングも、明日考えよう。可愛いのとか、シックなのとか、色々あるし、あたし手伝うから」


「......考えておく」


 私はそう答えながら、頭の中でぼんやりと、渡す時の光景を想像してみた。教室で渡すのか、放課後に呼び出すのか。想像の中の私は、どの場面でも紙袋を持ったまま一言も喋れずに立っていた。


「凛、そんなに深刻な顔しなくても大丈夫だよ」


 つぐみがそう声をかけてくる。私は自分の表情に気づいて、慌てて取り繕った。


「......深刻な顔なんて、してない」


「してたって。眉間に皺寄ってたし」


 つぐみはそう指摘して、笑ってみせた。私は鏡を見ていないので分からなかったが、確かに眉間のあたりが強張っていた気がした。


 私たちはそのまま、片付けを始める。今日の特訓の成果が、テーブルの上に、いくつかの艶やかなチョコとして並んでいた。昨日の焦げた失敗作とは、明らかに違う出来だった。並べて見比べると、成長の跡がはっきりと分かった。


「凛、たった1日でここまでずいぶん成長したね」


 つぐみがそう褒めてくれる。私は片付けの手を止めて、少しだけ間を置いた。


「......つぐみのおかげ」


「あたしは温度をメモに書いてあげただけだよ。頑張ったのは全部凛」


 つぐみはそう言って、笑ってみせた。ボウルを洗う水音が、静かな台所に響いている。


「今日、結局何回失敗したっけ」


 つぐみがふと思い出したように聞いてくる。私は指を折って数えようとしたが、途中で分からなくなった。数える前に、もう記憶があやふやになっている。


「......2回。多分」


「2回で覚えられたなら、それは上出来だよ。あたしなんて初めて作った時、5回は失敗したもん」


 つぐみがそう教えてくれる。その意外な事実に、私は少し驚いた。


「......つぐみでも、失敗するんだ」


「そりゃするよ。最初から何でも上手くこなせる人なんて、この世にいないから」


 つぐみはそう言って、洗い終えたボウルを布巾で拭いた。その言葉に、私は少しだけ肩の力が抜けるのを感じる。


 これを、どう仕上げていくか。明日の作業を思いながら、私は片付けの手を動かし続けた。


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