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隣の秋月さんは絶対デレない  作者: Studio Yodaca
冬──義理チョコは手作りしない

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放課後のふたり

 2月が近づいて、教室の空気にも、どこか浮ついた雰囲気が漂い始めていた。廊下では、女子たちがバレンタインの話題で盛り上がっているのをよく耳にする。


「今年こそ本命作るんだ」「私はもう友チョコで十分」。そんな会話が、教室のあちこちから聞こえてくる。窓際の席では、女子数人がスマホを見せ合いながら、何かのレシピを検討しているようだった。桐生はその話題に敏感に反応して、朝から誰かれ構わず「バレンタインの予定は?」と聞いて回っていた。


「蒼太は? 何か予定あんのか」


 桐生がそう聞いてきたので、俺は正直に答える。教科書を鞄から取り出しながら、視線を上げないままだった。


「ねえよ、予定なんて」


「秋月さんとは?」


「......知らねえよ、そんなの」


 俺がそう誤魔化すと、桐生はにやにやしながらこっちを見てきた。


「反応が怪しいな、それ」


「怪しくねえよ、本当に何も知らねえんだから」


「まあいいや。とりあえず、当日は覚悟しとけよ」


 桐生はそう言って、意味ありげに笑った。


「何の覚悟だよ」


「知らね。でも何かあると思うぞ、勘だけど」


「お前の勘、当たったためしねえだろ」


「うるせえ、今回は違う気がすんだよ」


 桐生はそう言い張って、自信満々な顔をしていた。


「うるせえ、放課後、宿題やるから邪魔すんな」


 俺はそう言って、桐生を追い払う。桐生は不満げな顔をしながらも、自分の席へ戻っていった。教室の後ろで、また別の話題で盛り上がっている声が聞こえてくる。


 俺は机の中の教科書を、意味もなく前後に並べ替えた。去年のバレンタインに何をしていたかは、思い出そうとしても何も出てこない。たぶん普通に帰って普通に飯を食った。それだけの日だったはずだ。


 放課後、教室に凛と二人だけが残っていた。他の生徒たちはとっくに部活や帰宅に散っていて、教室にはもう二人分の気配しかない。凛は宿題のノートを広げながら、シャープペンを走らせている。俺もその隣で、自分の課題を片付けていた。


 しばらく無言の時間が続いた後、凛がふと顔を上げた。


「......藤宮くんは、バレンタイン、もらったことある?」


 唐突な質問に、俺は少し驚きながらも答える。


「ひなたから毎年もらってた。友チョコだけど」


「......そう」


 凛はそれだけ言って、目を伏せた。シャープペンを持つ手が、一瞬止まる。


「毎年、どんな味だったの」


 凛が少し間を置いてから、そう聞いてくる。


「普通のチョコクッキーとか、生チョコとか。年によって違う」


「......そう」


 凛はそれだけ答えて、また視線を落とした。


「秋月は? 渡したことあるのか?」


 俺がそう聞くと、凛はしばらく黙り込んだ。シャープペンを持つ指先が、ノートの上で止まっている。


「......ない。一度も」


 その声が、少し震えていた。


「渡そうと思ったことは?」


 俺がそう重ねて聞くと、凛はさらに長い沈黙を挟んだ。


「......分からない」


 その曖昧な答えに、俺はそれ以上、深く追及しないことにした。


「そうか」


 俺はそれだけ答えて、また自分の課題に視線を戻す。凛もそれ以上何も言わず、シャープペンを再び動かし始めた。


 教室の窓の外は、もう夕暮れの色に染まっている。誰もいない教室に、二人分のシャープペンの音だけが響いていた。廊下からは運動部の掛け声が遠くに聞こえてくる。


 凛のノートを横目で見ると、几帳面な字が並んでいた。一文字一文字丁寧に書かれていて、消しゴムで消した跡もほとんどない。俺のノートとは対照的だった。


「秋月、宿題、どこまで進んだ」


 俺がそう聞くと、凛はノートを見せてくる。ページの半分以上が、既に丁寧な文字で埋まっていた。


「......ここまで。数学、あと少し」


「順調そうじゃねえか」


「......まあまあ」


「俺なんか、まだ半分も終わってねえのに」


 俺がそう漏らすと、凛は少し得意げな顔をした。


「......珍しい。藤宮くんが遅れてるの」


「うるせえ、今日はたまたま調子悪いだけだ」


 凛はそう答えて、また問題に取り掛かった。俺もそれに合わせて、自分の課題を進める。


 教室には、二人分のシャープペンの音と、時折聞こえる校庭からの部活動の掛け声だけが響いていた。


「この問題、分かんない」


 凛が不意にそう言って、ノートを俺の方に向けてくる。俺はその問題を覗き込んで、解き方を説明した。


「ここは、この公式使えばいい」


「......ああ、なるほど」


 凛は納得したように頷いて、また鉛筆を動かし始める。だが数分後、また手が止まった。


「......これも、分かんない」


「見せてみろ」


 俺がそう言うと、凛は素直にノートを差し出してくる。今度は少し難しい応用問題だった。


「これは、さっきの公式を2回使う感じだな」


「......2回?」


「まず、こっちの値を出して、それを次の式に代入する」


 俺がそう説明すると、凛は真剣な顔でノートに向き直った。シャープペンの先が、少しずつ動き始める。指先の力加減も慎重で、間違えないよう一歩ずつ確認しながら進めているのが分かった。その横顔を、俺はしばらく見つめていた。


 窓の外では、夕日が校庭のトラックを橙色に染めている。運動部の生徒たちが、まだ声を張り上げて練習を続けていた。


 しばらくして、二人とも宿題を終えた。鞄に教科書をしまいながら、俺は凛に声をかける。


「秋月、帰るか」


「......うん」


 二人で教室を出て、昇降口へ向かう。夕方の校舎は、もうほとんど人がいなくなっていた。廊下の電気も、半分ほど落とされている。


 昇降口で靴を履き替えていると、凛が不意に口を開いた。


「藤宮くん」


「......何」


 凛はしばらく黙ってから、意を決したように口を開いた。


「......2月は忙しくなるから、しばらく放課後の勉強はお休み」


 その宣言に、俺は少し戸惑う。


「忙しいって、何が」


「......色々」


「色々って、部活でもねえのに」


 俺がそう聞くと、凛は一瞬言葉に詰まった。


「......個人的な用事。詳しくは言えない」


 凛はそれ以上詳しく説明せず、鞄を持ち直した。俺はその態度に、不思議に思いながらも頷く。「個人的な用事」という言葉が、妙に引っかかっていた。


「分かった」


 俺がそう答えると、凛は少しほっとしたような顔をした。緊張していた肩の力が、目に見えて抜けていく。


「......ありがとう」


 二人で並んで、駅までの道を歩く。夕暮れの空が、二人の影を長く伸ばしていた。冷たい風が、時折頬を撫でていく。


「秋月、何か予定でもあるのか」


 俺が何気なくそう聞くと、凛は一瞬言葉に詰まった。


「......予定っていうか、準備」


「準備?」


「......何でもない」


 凛はそう言って、話を打ち切ろうとする。俺はそれ以上、深く聞かないことにした。


「準備って、それは何かのイベントか」


「......違う。イベントじゃない」


「じゃあ何だよ」


「......今は言えない」


 凛はそう言い切って、視線を前に向けたまま歩き続けた。その頑なな態度に、俺はそれ以上追及するのをやめた。


「まあ、無理すんなよ、準備とやら」


「......無理してない」


「そうか。ならいいけど」


「......心配、してくれるんだ」


 凛がぽつりとそう呟く。俺はその言葉に少し戸惑いながらも、素直に答えた。


「そりゃ、するだろ。当然、友達なんだから」


「......友達」


 凛はその言葉を、噛みしめるように繰り返した。


 俺がそう言うと、凛は肩の力を抜いて、また鞄を持ち直した。会話はそこで途切れて、二人はしばらく無言のまま歩き続けた。


 商店街の明かりが、少しずつ灯り始めている。夕方の空気は冷たいのに、隣を歩く凛の気配が、なぜか温かく感じられた。


「そういえば、宿題、ありがとう」


 凛が思い出したように言う。夕焼けに染まった横顔は、口元がわずかに緩んだままだった。


「別に、大したことじゃねえよ」


「......分かりやすかった。教え方」


 その素直な褒め言葉に、俺は少し照れくさくなった。


「そうか。それは良かったな」


 俺がそう答えると、凛は小さく頷いて、また前を向いて歩き出した。


 夕暮れの住宅街を、二人分の足音だけが響いていく。街灯がぽつぽつと灯り始めていた。商店街のパン屋から、焼きたての匂いが漂ってくる。


 駅前に着いて、改札の前で立ち止まる。


「じゃあ、また明日」


「ああ、また明日」


 凛はそう言って、改札の方へ歩き出した。定期券を取り出す仕草も、いつも通りだった。だが数歩進んだところで、こっちを振り返る。


「......楽しみにしてて」


「え?」


 俺は思わず聞き返した。凛の顔が、みるみる赤くなっていくのが見えた。


「......何でもない」


 凛はそう言い直して、早足で改札の向こうへ消えていった。改札の機械音が、鳴り響いたのを覚えている。俺はその背中が見えなくなるまで、突っ立ったままだった。


 楽しみにしてて。言い終わる前から凛の顔は赤かった。言った本人が一番動揺した顔のまま、逃げるように改札を通っていった。あれで「楽しみにしてて」は無理があるだろ。


 俺は駅のホームに向かいながら、スマホのカレンダーを開いた。2月14日のマスを、何度も見返す。今のところ、そこには何の予定も書き込まれていない。ホームに滑り込んできた電車の音で、俺は我に返った。


 家に着いて、玄関を開ける。母さんはまだ帰っていなかった。俺は誰もいない部屋に「ただいま」と呟いて、鞄を下ろす。


 台所に立って、水を一杯飲んだ。冷たい水が喉を通り過ぎていく感触に、少しだけ頭が冷静になる。


 自分の部屋に戻って、ベッドに寝転がった。天井を見つめながら、俺はしばらくそのままの姿勢でいた。部屋の電気もつけないまま、暗闇の中で考え事を続ける。


 窓の外はもう真っ暗になっている。隣の家の明かりが、カーテン越しにぼんやりと見えた。


 見ているうちに、その明かりの前を影が横切った。一度、二度。行ったり来たりしている。しばらくして明かりが半分になった。机のライトだけになったらしい。


 こんな時間から机に向かって、何をしているのか。宿題は放課後に終わらせていたはずだ。


 俺はカーテンを閉めて、ベッドに腰を下ろした。2月14日まで、あと11日。スマホのカレンダーのその日に、俺は「?」とだけ入力して保存した。12月24日の「用事」の3週間後に、今度は「?」。我ながら暗号めいてきた。


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