大吉の行方
列がようやく本殿の前まで進んだ。太い注連縄が頭上で揺れて、賽銭箱の木の香りがふわりと鼻先をかすめる。桐生とひなたが先に賽銭を投げ入れて、鈴を鳴らす。
「よし、今年もよろしくお願いします!」
桐生が大きな声でそう唱えて、勢いよく手を合わせた。ひなたもその隣で、静かに目を閉じている。
つぐみが続いて賽銭箱の前に立ち、小銭を投げ入れた。鈴の音が澄んだ音を立てる。
「......今年こそ」
つぐみが小さく呟いた言葉の続きは、俺には聞こえなかった。
いよいよ俺と凛の番になる。並んで賽銭箱の前に立ち、小銭を投げ入れた。二人分の鈴の音が、重なって響く。
俺は目を閉じて、手を合わせた。
秋月と、ずっと隣にいられますように。
願い事の言葉が、自然と頭に浮かんでくる。それだけで十分だった。
目を開けると、隣の凛もまだ目を閉じたままだった。何を願っているのか、俺には知る由もなかった。
* * *
......今年も、この場所にいられますように。あの人の隣に。
私は目を閉じたまま、そう願った。
去年までの私なら、こんな願い事はしなかった。
でも今は、迷わずそう願えた。
隣に立つ藤宮くんの気配を、まぶたの向こうでも感じていた。着物の袖が触れそうで触れない距離のまま、私は合わせた手に少しだけ力を入れた。
* * *
参拝を終えて、俺たちは境内の一角にあるおみくじの授与所に向かった。
「よし、おみくじだ! 今年の運勢を占うぞ!」
桐生がそう宣言して、真っ先におみくじの授与所に駆け寄っていく。俺たちもその後に続いた。
「1回100円か。安いな」
桐生はそう言いながら、財布から小銭を取り出す。俺たちもそれぞれ小銭を用意して、順番に並んだ。
桐生が真っ先におみくじの箱に手を突っ込んで、番号の書かれた棒を引く。木箱を振るからんという音が響いて、桐生は真剣な顔で棒を睨んでいた。それを受付の巫女さんに渡して、対応する紙を受け取った。
「......凶」
桐生は絶望的な声で呟いた。
「嘘だろ!?」
「現実見な」
つぐみがすかさずそう突っ込む。桐生は肩を落として、紙をまじまじと見つめていた。
「恋愛運、『今年も縁なし』だって......ひでえ」
「毎年言われてるの、それ」
つぐみが呆れたように言うと、桐生はさらに肩を落とした。がっくりとうなだれて、羽織の肩が両方とも落ちていた。
次にひなたがおみくじを引く。
「私は......吉!」
ひなたは紙を開いて、嬉しそうな声を上げた。
「恋愛運、『新しい出会いあり』だって」
ひなたは紙を胸に抱えるようにして、少し照れた顔をした。
「新しい出会い......どこだろ」
ひなたはそう言って、不思議そうに首を傾げる。俺はその横顔を見ながら、何とも言えない気持ちになった。
つぐみもおみくじを引いて、中身を確認する。
「......小吉。まあ、悪くはないか」
つぐみはそう言って、紙を丁寧に畳んだ。
つぐみが袂を軽く引っ張って、凛を促した。
「凛、あんたも引くでしょ」
つぐみがそう促す。凛は少し緊張した面持ちで頷いた。着物の袖を軽く整えてから、一歩前に出る。
桐生が両手を口の横に添えて、大声で呼びかけた。
「秋月さん、次はお前だぞ」
桐生にも促されて、凛がおみくじの箱に手を伸ばす。番号を確認して、対応する紙を受け取った。
「......大吉」
凛は静かにそう言った。桐生が横から覗き込んでくる。
「おお、大吉じゃん! 何て書いてある?」
「......見せない」
凛はそう言って、紙をさっと畳んでしまう。俺は少し気になって、聞いてみた。
「秋月、何だった?」
「......秘密」
凛はそう言って、その紙を着物の袂にしまい込んだ。仕草だけはやけに手慣れていて、まるで前々から隠す練習でもしてきたみたいだった。
「秘密て、水臭くね?」
桐生が横から食い下がってくる。
「......大吉は大吉。それだけで十分」
凛はそう言い切って、それ以上は何も明かさなかった。つぐみが顎に手を当てて、意味ありげに笑う。
「凛が隠すってことは、相当な内容書いてあったんだろうね」
「......考えすぎ」
凛はそう返したが、耳の先が赤くなっているのを、俺は見逃さなかった。俺はそれ以上追及せず、自分の番になる。
俺もおみくじの箱に手を伸ばして、棒を引いた。木箱の底に棒がぶつかる音がして、意外と重い手応えがある。番号を確認して、紙を受け取る。
「......中吉」
「お、蒼太は中吉か。何て書いてある?」
桐生がそう聞いてくる。周りにいたひなたとつぐみも、興味深そうにこっちを見てきた。俺は紙を開いて、中身を確認した。
「学業運、『油断せず励め』だと」
「順当だな。恋愛運は?」
桐生が興味津々に覗き込んでくる。肩越しに覗かれて、俺は思わず紙を体の陰に隠したくなった。だが今更隠しても余計に怪しまれるだけだと思い直し、俺は少し躊躇いながら、続きを読んだ。
「......『自ら動け。機を逃すな』」
その一文に、俺は少し胸がざわつく。今年こそはと、なんとなく思う自分がいた。
「お、いいこと書いてあるじゃん。頑張れよ、蒼太」
桐生がそう言って、俺の背中を叩いてくる。ひなたも興味津々な様子で、俺と凛の顔を交互に見比べていた。
「自ら動けって、まんまじゃん。頑張ってね、そうくん」
ひなたがそう言って、意味ありげに笑う。俺は誤魔化すように、おみくじを畳んだ。
「うるせえ、お前は自分の凶を心配しろ」
「言うなよ、それ! 傷口に塩塗るな!」
桐生の悲鳴に、ひなたとつぐみが笑い出す。凛もそれを見て、小さく口元を緩めていた。
境内の一角には、おみくじを結ぶための場所が設けられている。金属の格子に、無数の白い紙が結ばれていて、風が吹くたびに一斉にかさかさと音を立てていた。桐生が真っ先にそこへ向かい、凶の紙を結びつけた。指先が悴んでいるのか、結び目を何度もやり直している。
「頼む、来年こそはいい運勢を......」
桐生の切実な祈りに、俺たちはまた笑ってしまう。ひなたとつぐみも、それぞれのおみくじを結んでいった。
「秋月、大吉は結ばないのか」
俺がそう聞くと、凛は首を横に振った。
「......いい運勢は、持って帰るものだから」
「それ、誰かの受け売りか」
「......母の教え」
凛はそう言って、袂の紙をそっと押さえた。母親譲りの験担ぎらしい。
「じゃあ、悪い運勢は結んで、いい運勢は持ち帰る。それが秋月家のルールか」
「......そう。凶も昔、一度引いたことある」
「その時はどうしたんだ」
「......ちゃんと結んだ。今年は違う」
凛はそう言って、少し得意げに袂を軽く叩いた。その仕草が妙に子供っぽくて、俺は思わず笑いそうになる。
その返事に、俺は妙に納得してしまう。凛らしい合理的な考え方だった。
「俺のは、結んどくか」
俺は中吉の紙を結び所に結びつけた。「自ら動け」という一文が、しばらく頭から離れなかった。
「そろそろ屋台、行くか?」
桐生がそう提案すると、みんなが賛成する。空腹を訴えるように、桐生の腹がぐうっと鳴った。俺たちは連れ立って、参道の屋台の方へ歩き出した。夕暮れの光が、屋台の提灯を橙色に染めている。
歩きながら、俺はさっきの参拝の瞬間を思い返していた。目を閉じている間、隣に立つ凛の手が、自分の手のすぐ横にあることに気づいていた。着物の袖に隠れて、指先だけがわずかに覗いていた。
触れたいと思った。だが触れなかった。参拝中に手を伸ばすなんて、罰当たりにもほどがある。そう自分に言い聞かせて、俺は結局その場では何もしなかった。
その一瞬の距離が、今も指先に残っていた。
屋台の明かりが、夕暮れの境内を温かく照らし始めている。俺は隣を歩く凛の横顔を、もう一度だけ見た。
屋台の光が、凛の頬をオレンジ色に照らしていた。肩と肩の間は、拳一つ分も空いていなかった。
「今年、何かいいことありそうな気がする」
俺がそう呟くと、凛が小さく首を傾げた。結い上げた髪の後れ毛が、その拍子に頬をかすめる。
「......おみくじの結果?」
「まあ、それもある」
「......私も、そんな気がする」
凛はそう言って、少し先を歩き出す。俺はその後ろ姿を見ながら、隣に並んだ。
湯気の立つ屋台の並びを、凛はしばらく物色するように見回していた。
「たこ焼き、食べたい」
凛がぽつりとそう呟く。
「いいぞ、奢ってやる」
凛は一瞬、目を丸くした。
「......いいの?」
「中吉の礼、っていうことで」
「......意味わからない」
凛はそう言いながらも、少し嬉しそうな顔をしていた。俺たちは連れ立って、湯気の立つたこ焼きの屋台へ向かう。ソースの焦げる香ばしい匂いが、近づくにつれて強くなっていった。
桐生とひなたも、それぞれ違う屋台の前で盛り上がっている。つぐみは甘酒の列に並びながら、こっちに手を振ってきた。湯気を纏った紙コップを、両手で包み込んで少しずつ飲んでいる。
冬の夕暮れの境内を、5人でゆっくりと巡っていく。桐生が甘酒の屋台で盛大にむせて、ひなたが背中をさすってやっている。つぐみはその様子を写真に収めて、笑いを堪えていた。
「桐生、そんなに一気に飲むからだって」
ひなたが呆れたように言いながらも、桐生の背中を軽く叩いてやる。桐生は涙目になりながら、それでも次の屋台に目を向けていた。
「次はりんご飴だ......今度は慎重にいく」
桐生は涙目のまま、指差した先の屋台をじっと見据えていた。
「学習しないの、あんた」
つぐみはシャッター音を響かせながら、呆れ顔でそう突っ込んだ。
つぐみがカメラを構えたまま、呆れた声を上げる。俺と凛はその様子を少し離れたところから眺めていた。たこ焼きの串を手に、凛は湯気を吹き冷ましながら、一つずつ丁寧に頬張っている。
「熱くないか、それ」
凛は口の中で息を吐きながら、慌てて手のひらで扇ぐ仕草をした。
「......熱い。でも美味しい」
凛はそう言って、また一つ口に運んだ。頬が緩んでいるのが、遠目にも分かった。串を持つ手つきも、いつのまにか堂に入っていた。
凛の袂には、まだあの大吉の紙が入っているはずだった。何と書いてあったのかは、教えてもらえなかった。
甘酒を飲み終えた凛が、空いた方の手で袂の上をそっと押さえた。中の紙の位置を確かめるような、短い仕草だった。それから何事もなかったように、屋台の並びの方へ歩き出した。




